「官渡の戦い」
ニューフェイス 第24回
今回は『三国志』の三回目、「官渡の戦い」(Battle of Kanto)です。
前哨戦の「白馬の戦い」(西暦200年)では、関羽の活躍で曹操(そうそう)はかろうじて勝利。しかし時をおかず袁紹軍が、70万の大軍でふたたび襲いかかってきました。曹操軍はわずか7万。多勢に無勢で苦戦し、黄河の支流に面した官渡の砦に逃げこみました。
すると袁紹軍は総力を投入し、土を運び盛りあげて砦の前面に小高い堤を構築。その上に高い櫓を建て並べ、強力な弩弓で矢を撃ち込んできました。高所から見下ろす射撃に、砦内の移動もままなりません。
窮した曹操は部下と相談し、「霹靂車」を何台も急造。テコの原理のシンプルな投石器から、重い石を次々に発射し、櫓を木っ端微塵に打ち砕いて撃退。さらに後方の食糧庫を焼き払いました。
後に「天下分け目の戦い」と呼ばれた官渡の戦いで、袁紹に大勝利した曹操(魏)は、孫権(呉)や劉備(蜀)を圧倒する中原の覇者になりました。
貝は「割らない」「塗らない」「削らない」
第24回 「官渡の戦い」」 使用した貝
★「霹靂車」:パイプウニ/サザエ/キサゴ/ナミマガシワ/ムラサキウニほか
★兵隊:チャイロキヌタ/メダカラ/ウメノハナガイ/スガイ/ヒメキリガイダマシ
★大石(砲弾):スガイ ★綱:ガンガゼ ★地面:ホタテガイ/マドガイ
☆『三国志』こぼれ話
官渡の戦いのシンボルとして「|霹靂車《へきれきしゃ」を制作しました 。”霹靂”は雷鳴の意味で、攻城用の大型投石器です。
吉川英治の『三国志』には「硝薬を用い、大石を筒にこめて爆させる火器」とありますが、火薬の発明はずっと後の宋代(960-1127)でした。
古代ギリシャ・ローマ時代の「投石器(カタパルト)」を調べると、構造や機能はさまざまで、少々迷いました。ただ、狭い砦の中で、限られた材料で急拵えしたとなると、テコの原理を生かした素朴な投石器が正解ではないかと考えました。
なお、櫓の上の袁紹兵は、弦を引き絞った状態でロックして、狙いを定めて引き金を引く、”弩弓”(クロスボウ/ボウガン)で曹操兵を苦しめました。