#15.絶望と諦めのなかで
気がついたらもう冬で、冬と夏と秋を行ったり来たりを繰り返しているうちに、びっくりするぐらいの時間が過ぎた。
一年も終わるなと思い、このnoteマガジンも気がついたら一年が過ぎていた。
なんとなく、振り返ってみてもいいかもしれないと思って、今筆を執っている。
去年の私は就職活動がうまくいかなく、卒論も書けず、全てにおいて限界を迎える一歩手前だった。休学しても、自分のなかで休むという選択肢を受け入れることが出来ずに、場所と時間が余っているという理由だけで、書店をしようと行動していた。書店員の知人を訪ねて、どんな経営でやっていってるのか教えてもらったり、商談会につれていってもらったり、本屋の構想を練ったり。かなりアクティブに動いていたけど、自分自身の経験も知識も体力も気力も、自分の生活を組み立てる能力もなんもかんもなくなって、ようやく休んだ方がいいんだと思い直すことが出来た、ような気がする。
それからは、日々こんなんでいいのか……?と戸惑う日も多いけど、去年よりかは穏やかに過ごせている。とりあえず、最優先事項は療養と回復。
今になっていうことが出来るけど、去年の私ってけっこう怖かったな~、必死というか、何かよくわからないものに追いたてられていて、毎日苦しかった。追い詰められていたんだろうな。
別に状況はなにも変わっていない。就活はなにも出来てないし、卒論もかけていない。ただ年だけは重ねていて、気がついたらもう25歳になっていた。大学院生が院を卒業して就職する年に私は、二束三文な大学で、大臣みたいな人が「これはこの国の癌だ!」という学問をせっせと修めている。でも、これが自分なんだとそろそろ受け入れなくちゃいけないなと思い始めてきた。大学在学中に起業して成功を収めなくても、大学を首席で卒業しなくても、卒論が論集に載らなくても、部活の大会で優勝しなくても、何があっても自分という存在は揺るがない存在なんだと最近ようやくわかってきた。
こうなりたい、こうあらなければならない、ができなくて、癇癪を起こしてゲームの電源抜くみたいなことって起こらないんだって純粋に何度も絶望している。もう諦めたい。いつか、ゲームオーバーになることは、きっと交通事故に遭ったって、災害に襲われたって、来ないんだという新鮮な絶望。挙げ句の果てに、ポックリいけるとは限らず、生き残ってしまうのかもしれないという可能性もある。
最近は、絶望することにも飽きてきたので、諦めもようやくつきつつある。
自分のできる範囲で、できることと、できそうなことをやっていくしかないんだと、ネガティブなりに前向きに生きていこうとしている。
そんな毎日です。
でも、本屋さんにはなりたいな~。絶対になりたい。図書館とカフェと本屋が融合したみたいなお店が、あったらいいな~と思う。本読みながら、お茶とか飲んで、この本いいな~って思ったら買うみたいなことができる本屋さんになりたい。
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