居場所がない人間がたどり着いた先がゲームセンターだった話
こんばんは。ギタドラ大好き20年の「ぞえ」と申します。
さて、先日「ゲームセンターに行く人間は社会不適合者なのか?」という記事を投稿しました。
その中で、「ゲームセンターには多様な側面がある中で、社会に居心地の悪さを感じている人たちが、ゲームを通じて人と通じ合ったり、交流したりする側面がある」という意見を書きました。
「自分はそんな人間を見たことがないから、そんな側面はない」という意見もありましたが、それはその人の周囲にはいなかったというだけで、実際にはそんなことはないと思っています。
なぜなら、他でもない私自身がそうだったからです。
私自身、過去を振り返ってみると、
・高校時代クラスに居場所がなかった
・大学時代留年を繰り返した
・バイト先では毎日のように怒られていた
と社会不適合者エピソードには事欠きません。
それでもここまで生きてこられたのは、ゲームセンターという居場所があったからでした。
学生当時は知りませんでしたが、「自宅と学校(職場)という本来人が行き来する2つの場所とは別の、第3の居心地のいい場所」という意味の「サードプレイス」という言葉があります。
こうして今振り返ってみると、学生時代学校に馴染めず、家族の帰りも遅かった私にとって、ゲームセンターはまさにサードプレイスでした。
年齢も違えば立場も違う、本来なら出会うことなんてなかった人達と、ギタドラというゲームを通じて仲良くなれて、そこではみんな自身の社会的背景や普段の社会での評価など、自身の後ろめたい部分は関係なく接してくれる。
放課後にゲームセンターへ行くと、約束したわけでもないのに誰かがそこにいて、当たり前のように一緒になってゲームを楽しむ。
そんな場所があったから、自宅、学校という本来の社会に居場所のない私も日々をあきらめることなく生きていくことができたのだと思います。
だからこそ私は今でもゲームセンターという場所やギタドラというゲームが大好きですし、今でも誰かとセッションしたり、みんなでギタドラを通じてわいわい遊ぶことが大好きで、またそういう場所を作りたいという気持ちからギタドラをテーマにしたイベントを主催したりしています。
というように、うまく社会に馴染めなかった私自身がゲームをきっかけに生まれた居場所に救われたという体験から、ゲームセンターにいる人の中にはそんな人もいるのではないか、と考えているのです。
最近はSNSの発展によってわざわざゲームセンターに行かなくともネット上で同じコンテンツが好きな人と繋がり、新たな交友関係が広がる世の中になりましたが、結果的に「コンテンツを通じて出会った友達と実際に会って一緒に遊ぶ」という機会は少なくなりがちです。
もうだいぶ影響も薄れましたが、コロナ禍の際には誰かと会うこともできず、結果としてそこにあったはずのコミュニティやリアルな繋がりは薄れて、一人でゲームセンターに行って個人でプレイすることが増えた。みんなでわいわい遊ぶことよりも、一人で技術を磨くことがゲームの中心的な楽しみ方になった。
それでも、私はやはりゲームセンターには、あの頃のようにみんなが自然と集まってわいわい遊ぶ、サードプレイスとしての可能性がまだ残っていると信じてやみません。
あの頃の景色を取り戻したくて、ギタドラをテーマにしたセッションイベント「四国GDS」をしているところもあるくらいです。
ということで、次の記事では私の主催するセッションイベント「四国GDS(ギタドラセッション)」について書いてみようかと思います!
そんなわけで私はいつでもセッション大歓迎なので、ゲームセンターで会えたらぜひぜひセッションしましょう!
それでは!