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「河川と人間②ー荒川の瀬替えと堤防決壊地点を歩くー」第3回【コラム】参加生徒の視点による「合宿」紹介
8月の暑い時期に決行した荒川歩き。今回は、生徒自身が関心のままにまとめた【コラム】です。2023年の「河川と人間」は、3月に荒川河口部歩き、6月に田越川源流探し、8月に今回紹介の荒川合宿が実施されました。その後、12月に複数回参加してきたコアメンバーが集まり、本ブログの立ち上げと運用について話し合いの場をもちました。その際の役割分担で決定した【コラム】文章を紹介いたします。
2023「河川と人間②ー荒川の瀬替えと堤防決壊地点を歩くー」
No.1 全体の流れと事前課題のこと
No.2 1日目 博物館での取り組み
No.3 【コラム】参加者生徒の視点で「合宿」紹介 ← 今回
No.4 2日目 フィールドワーク報告
No.5 事後の感想
3人の原稿をそのまま紹介します。一人目のJ3Kくんは、合宿1日目について文章をまとめてくれました。二人目のJ3Iくんは、合宿2日目で特に関心をもった「川砂利」!?について。三人目のS1Mくんは、自身が関心を持つSLについて。なぜSL?それは2日目のフィールドワークで偶然目にしたからです。脈絡がない文章が三つ続きますが、それは、生徒たちが決めたこと。執筆者が何を感じてこのような文章をまとめたのか、各自の視点に寄り添って読んでいただけると幸いです。参加生徒それぞれです。
1人目執筆者J3Kくん 合宿1日目のこと
朝早くから筆者の最寄り駅から埼玉県立川の博物館(以下、かわはく)のある鉢形駅へ。鉢形駅は川越の北に位置し、東武東上線の小川町駅で一回乗り換えを挟むと行ける駅です。かわはくの学芸員さんであるHさんによれば、かつては池袋駅から寄居駅まで一本だったものの、経費削減のために基本は小川町駅で運転系統が分断されているそうです。
さて、鉢形駅から歩くとそこにはかわはくの姿が。まず目に飛び込んできたのは巨大な水車。なんと日本一の大きさであり、館内には模型も置かれていました。そのほかにも荒川を再現したジオラマや、ミニ水車、それから子供も遊べるプールなどが設置されていました。
館内へと歩を進めると、普段は学芸員さんたちが使う会議室に通され、そこに荷物を置いて待機しました。ちなみに、筆者はその間に遅刻者と連絡をとって先生に報告していました。
最初にHさんからあいさつがあり、まずは事前に配られたワークシートを埋めて展示と昼ごはんを済ませるように指示されました。
ちょうどその頃は特別展示として動物のフンと人の歴史についての展示がなされており、そちらもワークシートに記録しました。
通常展示はと言うと、埼玉の自然から始まり、荒川の歴史、歴史的建造物、災害など幅広く展示されていて知識が体系的に理解できるように展示がされていたのがポイントです。
特に自分の中でのお気に入りは、江戸時代の川の工事に使われた桶です。これが結構重く、一緒に来ていた仲間二人とともに持ち上げた記憶があります。さらに、学芸員さんによる巨大な水車の模型の実演解説が行われ、辺りには人だかりが出来ていました。その後翌日のフィールドワークに備えてHさんによる講義が数時間に渡って行われました。講義が終わると秩父鉄道の桜沢駅から、宿のある熊谷駅まで電車で行き、チェックインを済ませて各自自由に過ごしました。筆者は三人と連れ立って日高屋に行き、餃子とチャーハンを注文し楽しく会話しながら食事をしていましたが、お金の計算で手間取ったのは少し反省しています。さて、その後はというと一時解散して各々アニメイトに行ったり、ドラッグストアに行ったり、テレビにintendoSwitchを接続してミニゲーム大会を開催していました。筆者はすぐにシャワーを浴びてテレビを見て就寝しました。
二日目の朝、ほとんどの生徒は時間通りに起きてくれましたが、一部寝坊してしまった生徒がおり、筆者は先生に頼まれて彼らのモーニングコールを行っていました。朝食はバイキング形式で、筆者はゆで卵とコーヒーとクロワッサンと食パンを選択しました。今思うと、真夏の熊谷を15km歩くのに、何故それだけしか食べなかったのか後悔しています。もし真夏の熊谷をお出かけする方、朝はちゃんと食べましょう。熱中症になりかねません。話を戻すと、ホテルのチェックアウトを済ませ、Hさんと合流すると熊谷駅からひろせ野鳥の森駅まで秩父鉄道で乗車し、ちょっとした時間を使って遠目から汽車の転車台を観察しました。次に、照り返しの強い河川敷をひたすら行進し、暑さにやられて(この日の最高気温は36.8℃)Hさんの話を半分くらいしか聞こえていなかったところでコンビニが見えたので、アイスコーナーにある袋に入った氷と冷えピタを購入するとバッグの中の氷の冷気が意外と気持ち良く、さらには冷えピタも功を奏してだいぶ快適になりました。ちなみに、使い切れない冷えピタは同じフィールドワークにいた友達に何枚か譲りました。河川敷を抜けたその先には住宅が立ち並んでいて、もう熊谷駅周辺まで戻ってきていました。もちろんこれで終わりではなく、しばらく住宅街を歩き、畑のある地帯を移動している最中、元荒川という、荒川だったのに江戸時代の河川工事により荒川ではなくなってしまった川の一番上流を観察できました。ただ、川と言われなければ分からないただの枯れた側溝が横に広がっているだけでした。もちろんもう少し下ると水が湧いていて、その水で絶滅危惧種の魚を育てている光景をHさんのもと、見ることができました。そこからすぐ行くとまたコンビニがあり、昼食を購入して近所の公園で食事を摂りました。昼食を食べ終わったあとは、最高気温36.8℃の中鬼ごっこが始まり、それが終わると午前中に筆者が購入した氷の袋の中身がドロドロに溶けていたので友達の頭と自分の頭ににかけました。溶けていたとは言え非常に冷たく、恐らくあの快感は真夏の熊谷で鬼ごっこをしなければ味わえないでしょう。さて、昼食を摂るとひたすら畑の地帯を行進し、トイレを利用する為にチェックポイントとしてコンビニにて小休憩しました。もちろんマナーとして退店するのではなく、各自何かしら商品を買っていました。ちなみに筆者は唐揚げ棒を購入しましたが、Hさんから「若いって強いなあ」と半ばなんとも言えない口調で言われました。さて、畑の地帯を抜けると雑草が大量に生えて脇にヘビがいそうな河川敷をまた歩き始めました。この頃には既に夕方でしたが気温が下がる気配は無く、もはやメンバーのやる気と根性は尽きかけていました。途中にトイレなどというものは存在しないので休憩もほぼ無くボロボロになって行田駅に到着しました。しかし、メンバーの中には勇者もいるようで、行田駅に着いてからの番外編の解説を聞くためにまた歩く勇敢な中学1年生を筆者は見届けました。筆者はもう何もかもが限界だったのでフィールドワークが終わると義務ではない番外編にも行かずに思わずグリーン券を購入してかなり長い時間電車で爆睡してしまいました。もう筆者含めみんな真夏の熊谷を歩くのはできないと思います。
この一文を読むと、暑い夏の荒川歩きに懲りたようです。「ボロボロ」だったとのことですが、振り返り等の原稿では、河川文化に関して感じたことを適切にまとめてくれていたことが印象的です。なお、合宿の各タイミングで、遅刻者の連絡役や起床できない生徒への声掛け役などを買ってでてくれた生徒でもあります。自主的に、全体を見渡して責任役を担ってくれた彼の行動にとても感謝しています。機転を利かせて動いてくれる彼のような先輩(初対面にも関わらず)がいてくれて、後輩たちは幸せです。ちなみに、休憩場所のコンビニとトイレは、全て下調べをしていただいており、フィールドワーク中、適切にご案内いただいていることを念のため記しておきます。
続いて、二人目は合宿2日目の原稿です。一人目の生徒さんのように全体についてコメントすることなく、「川砂利」について関心をもったところをまとめてくれました。
二人目執筆者J3Iくん 合宿2日目の川砂利について
秩父鉄道ひろせ野鳥の森駅が最寄駅の大麻生陸閘に行った。近くには秩父鉄道の車両基地があってSLが動いていた。増水時、陸閘はコンクリートの凹みに木の板をはめて水が流れ出すのを防ぐらしい。
川砂利のために、荒川という名前からの暴れ川の堤防を切る(陸閘)のは驚いた。そのことから当時は川砂利での事業での利益がとても大きかったということがわかる。また川砂利でできたコンクリートで作られた建物の耐久性を知りたい。
一人目の内容とは異なり、合宿2日目のフィールドワーク全体内容は分かりませんが、「陸閘」と「川砂利」について関心をもったことが伝わってきます。「川砂利」が重宝された時代を改めて考えることも大切です。今後も河川を歩き続ける限り、「川砂利」への着目は続きそうです。
最後に三人目です。三人目の執筆者は、フィールドワーク時に偶然出会ったSLについて記してくれました。
三人目執筆者S1Mくん
突然ですがわたくしMは大の鉄道好きです。そんな自分は今回の土曜講座でも鉄道を求めて熊谷から行田までの16kmを歩きました。今回はそこで見つけた2つのSLについて書いていこうと思います。
まず1つ目は秩父鉄道で走るSLパレオエクスプレスです。この列車は秩父鉄道のうち、JR高崎線との接続駅である熊谷駅から寄居駅、長瀞駅に停車の後同鉄道の終点、三峰口駅までを走ります。また、年に数回は西武鉄道の西武秩父駅にも乗り入れます。使用されている機関車はC58形という蒸気機関車で、同じ形式のものが少し前まで東北にてSL銀河として運転されていました。そんな彼を見かけたのはひろせ野鳥の森駅から少し歩いたところにある広瀬河原車両基地。電気機関車に繋がれたパレオエクスプレス専用の12系客車が発車を待つ中で、奥の方にポツンと佇み、蒸気をモクモクと発しながら発車を待っていました。そして、しばらく私たちが撮影をしていると、突然、ポォ~ッと汽笛を鳴らしてくれました。これには一同大歓喜。そんなこんなで、パレオエクスプレスは私たちを賑やかにお出迎えしてくれました。
それとは反対に私たちの前に静かに、そして突然現れたのがD51形、通称デゴイチと呼ばれる機関車です。この機関車は国鉄(現在のJR)を代表する機関車で、日本各地で走っていました。今も高崎や山口、果ては台湾にて線路上を走る姿を見ることが出来ます。さて、今回出会ったのはD51 140号機。熊谷市内にある荒川公園内に静態保存されているものです。フェンスに囲まれ、そして動けない状態での保存ですが、時期によってはフェンス内の見学も可能とのこと(Wikipediaより)。静態保存機とはいえデゴイチ、その輝きは間違いなく往年のものを保っていました。
以上が、今回私が荒川を歩いて出会った蒸気機関車でした。彼らが東海道線などの大きな路線で活躍していたころを偲び、今後も末永く彼らを見守れることを願いながら締めとしたいと思います。ご精読ありがとうございました。
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三人目の原稿は、「好き」が伝わってくる文章でした。河川文化を探究するなかで、偶然出会った二台のD51形に感謝するばかりですね。これは、今回のフィールドワークを仕切っていただいた羽田先生のご配慮のたまものでしょう。鉄道好きをも喜ばせようとしていただいたフィールドワークコースとなりました。
さて次回はいよいよ、炎天下の中に歩いた合宿2日目の様子です。生徒たちに要所要所で書いてもらった原稿とあわせて紹介いたします。