見出し画像

土曜講座「荒川ガチ歩き」

はじめに

2023年3月に、「荒川ガチ歩き」というタイトルで土曜講座を実施しました。参加生徒は、中1~高2までの合計16名。2024年に立ち上げる「河川と人間」のプレ講座的な位置づけです。この講座は、埼玉県立川の博物館 羽田武朗先生を講師に迎えて実施することができたものです。9:00新木場集合、16:00南砂町駅解散の合計16㎞をひたすら歩く、体力勝負の講座でした。真のタイトルは、「荒川の堤防探検 ~荒川の堤防の終わりを見に行こう~」というもので、荒川の堤防の終わりがどのような風景なのか、海との関係はどのようなものなのか、川と町との関係はどのようなものなのか、といったことを現地で、自分たちの眼で見て考えることを目的としました。以下に、①「募集段階」から②「事前アンケート」③「生徒たちによる当日の各地点の報告文」という流れで紹介します。

①募集段階のこと

2023年1月に次のようなチラシを各教室に掲示しました。

2023年度新設土曜講座教室掲示プリント


チラシ中には次の文言がありました。                                                   自分のことは自分で出来る生徒の参加を望みます。ひたすら歩き続けますので、根性の無い生徒は参加しないでください。
            
そして、持ち物欄には「根性と折れない心」が・・・。                                           15㎞歩くことを念頭においた上での募集文言でした。幸い、講座そのものに関心をもってくれた教員3名を加え、学校側引率4名で実施できましたので、多少のトラブルがあっても実施できていたと思いますが、体調不良者なく当日を終えることができたことは何よりでした。

②事前アンケート

次は、グーグルフォームで事前に河川やこの講座「荒川ガチ歩き」に対する関心を収集したものを紹介しておきます。問いと生徒(一部)の関心は次のようなものでした。

Q1)今回の土曜講座を申し込んだ理由について教えてください。

・川口に住んでいたことがあり、荒川は身近な川で、楽しそうだったから
・逗子市内以外の川に行ったことがないため、行ってみたかった
・体力をつけたいから
・ガチ歩きと言うことで楽しそうだなと思ったから
・案内を見て興味をもっていた時に誘われたから
・高二ラストの土曜講座だから
・社会の地理を学ぶ中で興味を持ったから
・部活動内で紹介されたため
・河川歩きが楽しそうだから
・案内で見かけ、荒川をほとんど知らないことから興味を持ったため。
・普段から川に行く機会があまりなかったのでいい機会だと思ったから
・たくさん運動できると同時にちょっとした勉強もできるから                                      など

グーグルフォームより

Q2)君自身と河川との関わりについて、以下にあてはまるものを全てチェックしてください。チェック項目は以下の通りでした。
「川で遊んだことがある」
「川で虫をとったことがある」
「川で魚釣りをしたことがある」
「川で泳いだり、水遊びをしたことがある」
「川下りをしたことがある」
「川沿いや河原でバーベキューをしたことがある」
「川沿いや河原でキャンプをしたことがある」
「川で防災研修や安全講習に参加したことがある」
「川の調査に参加した(水質調査、生物調査など)ことがある」
「幼稚園や小学校において河川をテーマにした授業に参加したことがある」
「その他」


Q3)荒川について知っていることを記してください。詳しく書いてもらえると助かります。

・埼玉と東京の境を流れている。埼玉側の方が堤防が低く浸水域も殆ど埼玉
・東京にある川
・東京を通っている川
・東京都に河口がある一級河川
・河道が不安定でよく荒れ狂うかわだったから荒川という名がついた
・河口が大きい
・高度経済成長期の時にすごく汚かったと言うのを学校で習った

グーグルフォームより

ちなみにQ3)の答えでは、「なし」が半数でした。神奈川県の南側に住んでいる生徒がほとんどのためか、「荒川」そのものを意識することが少ないようでした。一方で、Q2)では、「河川」を何らかの形で意識している生徒が多いようです。ただし、「家族」で河川に親しむことに加えて「教育」の中で親しんでいることを挙げている生徒が一定数いることが印象的でした。母数も小さいため、今後何らかの形で調べてみると良いと思いました。「家族」と「河川」のつながりが少しずつ減少し、「教育」が補完していくような傾向もあり得るかと考えさせられました。

③当日報告文(分担執筆)

                             地理院地図より作成、一部加筆

上記の地図①~⑯を順番に歩きました。以下は、各地点について参加生徒たちがまとめた報告文です。当日集合時に、一人一か所の分担を定め、事後に、各自の判断で羽田先生から聞いたことや自分たちなりに考えたことを書いてもらったものです。各自の視点はそれぞれですが、率直な報告と感想としてお読みいただければ幸いです。上記の地図の番号と文章が一致するように原稿をお願いしてあります。


新木場駅に集合しスタート!

①第一号貯木場
昔は丸太の形で木材を輸入する時代で、丸太を海に浮かべて保管していたためこういった貯木場が作られていた。かつては深川にあった木場に貯木されていたが、埋め立てにより木場が内陸となると、1969年この場所に貯木場ができた。正式には14号地第1貯木場という。(担当:J1Iくん)

②ここは堤防?
この周辺は明治時代以降、埋立が盛んだった。埋め立ての際、荒川のゴールを埋め立てては行けないと、荒川の幅の分は埋め立てをしなかった。その結果、荒川のゴールの先にも、「川」のような場所ができてしまった。これを重く見た国は荒川を延長し、元のゴールの先から最大−4キロメートルまで伸ばした。(このときゴールは、荒川の右岸と左岸、それぞれの南端を結んだ線のちょうど二等分する点に定めた)(担当:J1Iくん)


良い天気でした。見晴らし最高!

③荒川右岸側堤防の終わり
ここまでが(歩いてはいけないが)堤防の端で、近くには新砂水門があり、そこを通っている船からは見えるところにある。また、ここも埋立地で近くには荒川の右岸側の堤防があり、この堤防ではただの堤防としての役目(波を防ぐ)以外にも、市民の人々が遊べるスペースが設けられている。(担当:J1Kくん)

河口橋から荒川右岸側を眺める

④荒川河口橋
ここでは荒川河口橋から見える川の様子を説明してくださった。橋から見て左側に荒川、右側に中川が並走して流れている。かつては利根川の河口であり中川以外にも綾瀬川などという多くの支流が流れていたが人の手により現在は荒川と中川の河口となり利根川の河口は千葉の銚子になった。今では川沿いに公園が設置されている。(担当:J1Nくん)

⑤中川堤防の終わり
もう少し上流のところ(中川と荒川の合流)では荒川と呼ばれるが自分が担当した付近の堤防は中川の堤防と呼ばれていた。とても不思議でなぜだか気になった。成分などは混ざっているのに人間の都合上中川の堤防と呼ばれるようになったのだ。反対の海岸は荒川の堤防と呼ばれ、中川の堤防と呼ばれているのは合流後ではぼくの担当したところだけである。(担当:J1Mくん)

⑥新左近川
新左近川と中川の合流点には水門が整備されており、平常時は開けっ放しで、非常時を閉門し機械で水をだすしかなくなるとのこと。
(担当:J2Iくん)

⑦やまびこ公園
やまびこ公園は荒川沿いにある公園で中央が凹んでいて広いのが特徴で、これによりボールが道路に飛び出ないので安心してサッカーなどができます。さらに遊具も豊富で、シーソーやロール滑り台などの珍しい遊具もありますよ。都市部の荒川には、このような魅力的な公園があります。(担当:J2Kくん)

⑧旧葛西海岸堤防
旧葛西海岸堤防についての説明を聞いた時、ひどい運命をたどった堤防だなと感じました。最初に完成したときには高さが足りず、高さを上げたら土地が足りないので埋め立て工事が開始。ひどい運命をたどっているものの、東京の歴史や荒川の歴史を知ることにおいてとても重要なものだなと思いました。このようなものは機会がないと見に行くことがないと思うので今回のような講座で見に行けてよかったなと思いました。
(担当:J2Kくん)

旧葛西海岸堤防が残る


中川側を歩く、歩く、そして歩く
この高低差に考えさせられました

⑨中堤この場所にある堤防は普段みなさんがよく見る連続堤と呼ばれる堤防とは異なり、背割堤に似た形状をしています。背割堤とは、大きな川と小さな川を合流させる際、増水した場合水が逆流して決壊してしまう為、背割堤が作られました。また、この場所では通常の背割堤の役割に加え、高潮や津波の被害を減らす働きもしています。(担当:J2Kくん)

⑩0㎞地点左岸側、荒川左岸堤防の終わり
大規模災害の際、巨大船などが停泊して、10の場所に避難している人に食料を配ったり、人命の救助などに使用するという役目がある。名称を緊急用船着場というらしい。端っこは地図上、荒川の河口から0キロメートルである。大地震や台風だと津波や高潮などの影響で使いにくそうだし、荒川付近に影響を及ぼすほどの火山なども知らないため、使いにくそうと思った。(実際は違うかもしれないが)(担当:J3Sくん)

個人ではなかなか来ない場所だろうな・・・


一列縦隊で!荒川側に戻ります!!

⑪0㎞地点右岸側江東区内にも、高規格堤防と呼ばれる一般の堤防とは少し異なるものが整備されている。高規格堤防は別名スーパー堤防とも呼ばれており、堤防の幅を高さの30倍程度まで広げた全体にゆるやかな台地のような形状となっている。(担当:J3Kくん)

⑫新砂地区高規格堤防
そこの地区には高規格堤防、通称スーパー堤防が建てられていた。スーパー堤防とは堤防の幅が高さの30倍程度であるものを指す。スーパー堤防のおかげでその地区の標高は他の地区と比較してとても高く、洪水に強いことが読み取れた。そのため変電所などのインフラを担う重要な施設がこの地区には並んでいた。
(担当:J3Tくん)

⑬歩いて行くことができる堤防の終わり
現在は荒川の水位を量る装置が設置されているが、昔は荒川の水位がどのくらいか見に行く、というアルバイトがあったらしい。(担当:J3Nくん)

⑭新砂リバーステーション・物資輸送
荒川の堤防それより先にも続いている(⑮辺り)、歩いていけるのはそこが最後である。荒川の堤防としての終着点も⑮である。(担当:S1Mくん)

関心の高かったトイレ。法律により、簡易的なトイレしか置けないことを学ぶ。

⑮新砂の干潟
新砂干潟は浚渫した土砂の一時置き場に使用している岸辺に昭和40年ごろにあった干潟及びその生態系を復元させるため、平成18年に川岸から幅約 50 メートル、長さが 350 メートルに及ぶ区域を再生、整備して作られた。水際にはヨシが生育し、荒川水面と連続する江東区内唯一の干潟でカニ類、カモ類が見られる数少ない汽水域である。新砂干潟と新砂干潟の周辺にある荒川エコスペースには都及び国のレッドデータリスト種44種類が生息し生物多様性が豊かな一方、中には近い将来における絶滅危険度が高い都の絶滅危惧Ⅰ類や国の絶滅危惧Ⅱ類指定されている種もあり、引き続き保全が必要とされている。(担当:S2Kくん)

⑯ 高低差の違い
此処の土地は近年スーパー堤防という盛土をされた土地である。江戸時代、昭和前期後期の三段階にわたっての堤防(盛土)の層がみられる。昔ながらの下町風情の残る地帯は盛土されず沈み込み、盛土をなされた新しい(?)地帯に並ぶ工場やオフィスとのコントラストが非常に面白い。まったくもって”埋立地”を彷彿とさせない土地であるのも素晴らしい。われらが日本の発展を支え続ける土地を散歩するのは非常に楽しかろう。
(担当:S2Sくん)

【感想ほか】  

以下は、各場所への感想等です。素朴な意見や疑問に好感がもてます。

色々な場所に今は少なくなっているが東日本大震災の爪痕が残されていることについての話が深く興味を感じた。理由は、被害をたくさん受けた東北ではなく、埋立地がたくさんある、東京ならではの被害だなとかんじたからです。(J1Iくん)

☆中川と荒川の合流地点への関心の高さが以下からうかがえます。
⑩中川と荒川は合流しているのに合流していない扱いになっていると知って驚いた(J1Iくん)
⑨荒川と中川の間の中堤という仕組みは他の川ではあまり見かけることのない構造なので深く興味を持ちました。(J1Nくん)
⑤中川と荒川の合流したところの葛西臨海公園側の堤防が中川の堤防だということが面白かった。人間の勝手で決めたことがわかった。(J1Mくん)
⑨の中堤についての説明で、この中堤の役割を理解できたうえにとっても重要なものなのだなと感じ、もっと知りたいなと感じました。(J2Kくん)⑨連続堤と呼ばれる普段よく見る堤防とは異なり、この堤防は背割堤に近い形状をしていて増水した水が大きな川と小さな川で合流させる時に逆流して決壊させないためにあると聞いたから。(J2Kくん)
⑩先生の荒川と中川の合流時に逆流が起こらないようにするためにこれほど長い堤防を作ったという話が興味深く、また緊急用船着場があって大きな船も入ってくることができるという話を聞いて本当に座礁することなく進入できるのか不思議に思ったからです。(S2Kくん)
⑯。また、中川と荒川の河口の話はどれも面白かった。よい。(S2Sくん)

①新木場の語源を知れた。/⑯江東デルタ地帯の沈降具合を見れた。(J2Iくん)
①昔外国から輸入した木材を海の上に浮かべて保存していたことを想像すると面白かったから。(J3Kくん)
①貯木場という概念自体に興味を持った。また、橋の一部が地震によって破壊されるといった跡が残っていることが印象に残ったため。(S1Mくん)
②見た目は完全に海なのに川(J2Kくん)
④干潟の不法侵入の話が、もし自分が荒川付近に住んでいたら知らずにやってそうだなと思ったから。(J3Sくん)
⑥首都高速中央環状線沿いの埋め立て地が釣り人やスケボープレイヤーらなどのふれあい場になっていると同時に災害時、支援物資などを積んだ大型の船が着く港の役割を果たしていることに魅力を感じた。また、大型の船が通れるように河口付近の橋の作りが工夫されていて感心した。(J3Nくん)
⑧住宅地の高さが埋立地と全く違うことがわかり、この住宅地ができるまでの歴史が理解しやすくなったため。(S1Mくん)
⑩の災害時の船着場についての説明で、貴重なものを見ることができたなと感じました。(J2Kくん)
⑫スーパー堤防は今までも話には聞いていたが、実際に見たことはなく驚いた。(J3Tくん)
⑯地盤沈下が住宅地に影響を与えていることが一目瞭然だったため、とても驚きだったため。(S1Mくん)
あと何番に当てはまるのかはわかりませんが、荒川の今の終点は-4キロ地点だという話や水位は目視で測っているとこも多いという話はとても意外で面白かったです。(S2Kくん)

おわりに

はじめての試みでしたが、実施して良かったです!!フィールドワークによる視点を身につけ、その楽しさを知ってもらうことができたら何よりです。そして、埋め立て前後の荒川の終着点や荒川左岸堤防の終着点(中堤)等を確認できたことは、生徒たちにとって大きな発見につながっていると思います。また、周囲の地形の見方や歴史的視点、防災行政の問題点などを現地で、羽田先生から直接うかがえたことは、大きな財産になったと思います。埼玉県立川の博物館と羽田武朗先生には、この場をかりて御礼申し上げます。
*本土曜講座は、河川基金助成事業2022「河川教育とりくみ支援」採択テーマ「博学連携で考える河川教育」によって実施させていただいたものです。