2歳の娘が美容院で髪を切った話
「かみのちぇが顔にかかったりするし、ととと、かかみたいにしたいの!」
◇
肩まで伸びた娘に対し、夫と私は年中ショート。
3歳前にして、娘は未だ後髪カットの経験がない。
前髪は過去に4回ほど、私が5年近く通う美容院でカットしてもらっている。
3歳になる誕生日を前にして、夫が「そろそろ暑くなるし、後ろの髪の毛切ってあげようよ」というと、娘はすっかりその気になった。
切りたいと思うと急に気になりだしたのか、みつあみを左手の指でなぞったあと、ぎゅっと掴んで引っ張ったりしている。
確かに、ショートの方が似合いそうかもと思った。
けれど、切った後に、「やっぱり切るんじゃなかったのに!」と泣いてしまったらと考えると、なかなか動くことができなかった。
ずるい私は、そうだね、切ってもいいかもね、ちょっと考えてみようか、なんて流していた。
◇
そこから毎日、何かにつけ”髪の毛を切りたい”と言われ続けた。
「娘ちゃんはかみのちぇを切りたいの!」
「まだびよういん空いてないの?」
「かかのかみのちぇと一緒がいいのに、まだなの?」
「これくらい、切りたいの!(耳たぶあたりを指す)」
2歳(あと数週間で3歳)の娘を、見くびっていたことを反省した。
だって、保育園でショートカットの女の子はほぼ居ない。
なんとなく、″みんなと同じがいい″という時期かなと思っていた。
娘がここまでの執着をみせたのは、久しぶりだった。
キウイを食べて感激して、1週間毎日毎食キウイを要求された時以来だった。
七五三の時に長めの方が色々アレンジできそうじゃない?という勝手な思いもあって延ばし延ばししていた。
けど、私が間違っていた。いつも何かにつけて、娘の意思を大切にしたい、と夫に伝えていたのは私だ。
最後に、大好きなエルサみたいな髪型にできなくなるよ、保育園のSちゃんと同じ髪型にできなくなるよ、それでも大丈夫?と聞く。
娘はひとつひとつにしっかりと頷き、最後に「うん!」と元気に返事した。
私は、翌日の美容院を予約した。
◇
美容院について、娘は待合いのソファに自ら座った。
足は床に届かず、所在無げにぶらぶらと揺れている。
長く通った美容室なのに、なんだか初めて訪れたときのように、そわそわする。
ちらりと横を見ると、背筋をピンとのばし、すましたした娘の横顔があった。期待を含んだ目で、ぱたぱたと行き交う美容師さんを見ていた。
窓から、ゆるやかな日差しが差し込んでいた。
娘の髪の毛は、毛先の色素が特に薄い。
長さも揃わず、自然にふわっとカールしている。
毎日のお風呂上がりのドライヤーは、毛先に当てないよう優しい風で乾かした。
耳の後ろの方は短くて、三つ編みにしてもくるくると外に飛び出してくる。何度手櫛でといてもまとまらず、毎朝苦労した。
「アナと雪の女王」の絵本を保育園で読んでもらったと聞いた日、試しにエルサの髪型にした。それを知った娘は嬉しそうに笑い、洗面所の鏡で結んだ髪の毛を見たがった。何度も何度も、抱っこをせがまれ、自分の後頭部を鏡で見ようと首をひねっていた。
そういえば、なかなか髪の毛がのびず、1歳頃まではよく通りすがりのマダムに「かわいいぼっちゃんね!」と言われていた。お礼を言って、ふふ、と笑っていたのが懐かしい。
髪の毛が伸びてからは、そう言われることがなくなっていた。
すべてが懐かしい。
窓からの光で金色に輝く毛先を、指の背でそっと撫でた。
◇
「娘ちゃん、こんにちはー」
担当のNさんが席まで案内してくれた。
大人と同じ席にボックスを置いて、座高を高くした椅子。
娘は自ら椅子によじのぼる。
「どうすればいいか分かってるんだね、えらいね」
Nさんに声をかけられ、緊張したときにでる、むすっとした顔をしていた。
私が頬を指で撫でると目だけちらりとこちらを見てすこし笑う。
大丈夫そうだな、と思いながら笑い返す。
ケープを掛け、髪をとく。
切っていくよ〜という声に、慌てて「あ、はい」と答える。
さく、さく、とはさみが鳴る。
肩甲骨の下あたりまであった髪の毛が、ぱさ、ぱさ、と落ちる。
娘の顔を見ると、強張った顔でまっすぐ前を見ていた。
娘は、髪を切る20分間、驚くほどじっとしていた。
Nさんが時折り話しかけ、ふたりで、ふふ、と笑う以外は、鏡を見て微動だにしなかった。
◇
おわったよー、の声に続いて、首に巻いていたケープをさっと取る。
とたんに、娘の目がいつもより開き、顔が、ぱあ、と音が出そうなほど明るくなった。
手のひらを毛先に当てて、ふふ、と笑う。
上目遣いでちらりと見られたので、かわいいね、いい感じだねと伝えた。
「かかといっしょだねぇ!」
娘は満面の笑みを向けてくれた。
◇
上手に座ってえらかったね〜なんて話をしながら、帰り道、手を繋いでゆっくり散歩をする。西日がきらりと眩しい。
腕が、くん、と引かれた。
突然立ち止まった娘を見て、どうしたの?という言葉を飲み込んだ。
ショーウィンドウにぐっと顔を近づけて、自分の姿を、顔を、短くなった髪の毛を見ていた。
毛先を人差し指と親指でつまみながら、鏡に映った娘自身をまっすぐに見ながら、へへへ、と照れたように笑っていた。
あと数週間で3歳になる、春と夏の間の1日だった。