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終わりとはじまり

私の言い訳と愛情のはなし。



私に背を向け、すうすうと寝息を立てる娘。頭を乗せているはずの枕は、体の横に投げ出されている。おとな用のシングルサイズの枕の横幅は60センチ。この幅と同じくらいの身長だった頃があった。


涙の跡をいくつもつけた娘がコロンと横たわって、時折しゃくりあげながら寝ている。シーツには、娘の涙が作ったシミがいくつもある。さっきまで真っ白になるほど握り締められていた手は、くたっと緩んで頭の横に投げ出されている。指先で触ると、汗ばんだ額とは対照的にさらさらしていた。

スンスンスン、スーン
スンスンスン、スーン

声を上げ続けていた娘は、体を揺らしながら、まだ泣いているような寝息を立てていた。
どうか起きないでほしい、と思いながら、指の背でそっと髪の毛を撫でる。

ごめんね、こんなに泣かせて。
寝かしつけが上手じゃなくて、ごめんね。

娘の横に、重たい体を横たえる。ベッドの衣擦れで、私の気配を察知されないように。慎重に、びりびりと痺れる腕をつく。
重かった。一体どれくらい抱えていただろう。時計を見ると、娘が泣き始めてから1時間30分が経っていた。その過ぎた時間の重量に、心がズンと沈む。左の腰にキリキリと感じる痛みは、ここのところ取れることはない。
ゆっくりと頭を沈ませて、音が漏れないよう、ふー、と長い溜息をついた。

産まれたばかりの娘は、いつも大泣きしながら寝た。まだ言葉を話せない小さな娘。寝ることが怖いのか、まだ起きていたいのか、それともただ泣いているだけなのか。わからないことばかりだった。
近所を気にして、少しでも早く泣き止んで欲しくて、ずっと抱いて揺らした。抱き癖がつくと言われたって、寝転んで何時間も泣き続ける娘を黙って見ているなんてできなかった。

娘のことを愛していると思いたいのに、寝ていると心が軽くなる。
娘のことを愛していると思いたいのに、1秒でも早く寝てほしい。
娘のことを愛していると思いたいのに、心が言い訳ばかりする。

天井を見つめながら、罪悪感に覆われる。

だって、私は娘のことをまだ愛していると思えていない。
産まれてから、ぜんぜん思えていなかった。

産んだら愛情が自然にわく。
顔を見た瞬間からかわいくて仕方がない。

そんなの、私にとっては嘘っぱちだ。私が娘を初めて見た時に感じたのは、愛情ではなく責任の重さだった。

この子を、死なせずに育てなければ。

それでも、愛している、かわいい、と胸を張って言いたい自分もいた。

まわりの人が、かわいいねと声を掛けてくるたび、無責任だなと心がざわついた。そりゃあそうだ、だって、すれ違う人たちは娘を育てなければならない責任なんてないのに。簡単に娘に対してかわいい、と言えることへの嫉妬だった。

そんな気持ちを思い出して、まだ寝返りもしない娘の写真を撮った。いつかこの写真を見て、おかしなことで悩んでいたなと思いたい。私は泣きながらシャッターを押した。

ベッドに寝転ぶ4ヶ月の娘は、無造作に置かれた枕の横幅と同じ大きさだった。



あの辛く長い日々が終えた日を、私は知らない。

娘が3歳を過ぎて少し経ったころ、その枕に並んで寝る娘をみて、はたと気づいたのだ。
最近寝る前に、娘が体をひねって、この世の終わりかと思うほど泣き叫ぶ回数が減っていることを。
いつの間にか、娘は、嫌々ながらもベッドへ行き、飛んだり跳ねたりして私に怒られながら、そして私とおはなしをしながら眠りにつくようになった。

私にとって、一番大変だと思っていたことが、気づかぬうちに消えていたのだ。


けれど、それに気づくもっと前から、私は胸を張って娘を愛していると言えていたし、私にとって世界一かわいいとも思っていた。


いつからそう思えていたのか、はっきりとはわからない。
それは虹のように色を変えたのかもしれないし、雪のように降り積もったのかもしれない。

娘が初めて笑ったときだろうか。
はいはいしながら、笑顔で向かって来てくれたときだろうか。
伝い歩きにふらついて、私をぎゅっと抱きしめたときだろうか。
私の名を呼んでくれたときだろうか。
公園で、娘が拾い集めた小石をプレゼントしてくれたときだろうか。
頭がぶつかって、笑いあったときだろうか。
私の作ったごはんを、おいしいねって食べてくれたときだろうか。
鉛筆で、私の似顔絵を描いてくれたときだろうか。

この愛に、はじまりがないなんて。

なんだか、大切な気持ちの変化がぽっかりと抜けているようで、寂しくて、少し悲しい。



でも、本当は、自分が認めていないだけで、はじめから愛はあったのかもしれない、とも思う。











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にわのあさ
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