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2度目の胃腸炎と娘の話
ぎりぎりと締めつけられる脳みそに眉がゆがむ。無数の針を持った胃液が、粘膜を突き破って腹まで刺さるようだった。食道は酸で焼けただれ、呼吸で肺が動くたび、絶えず込み上げてくる何かを抑えていた。……と、2週間ほど急性胃腸炎で寝込んだり、スローに生きて滋養していた。
必要なこと以外は何もせず、うどん、うどん、おかゆ、うどん、の生活がやっと終わり、数日前から自炊をする気力が回復してきた。
胃腸炎になるのは2度目で、1度目は2年ほど前、娘が1歳半になった頃だった。
仕事中、急な不調を感じ、タクシーでかかりつけ医まで行った。病院の自動ドアが開き受付のスタッフと目が合うと、安堵からか崩れ落ちたことを覚えている。ひんやりとした床に火照った頬が張りつき、かろうじて意識を保てた。朦朧とする中、数人のスタッフが私の腕を持ち上げ「大丈夫ですか」と声をあげていた。返そうにも声が出ない。眼鏡を落としたのか周囲はぼんやりとしていた。「せーの」という数人の声と衝撃で車椅子に乗せられようとしていることに気づいた。
ごめんなさい。そう声に出そうとしながら、頭に浮かんだのは保育園に通う娘だった。
今何時、お迎え、保育園は19時まで、きもちわるい、吐きそう、娘ちゃんにうつってたらどうしよう、あ、無理かも、死ぬかも、娘ちゃんと夫で生きるってこと、あ、頭割れる、娘ちゃんどんな子に育つんだろう。死にたくない。
次に視界に映ったのは、急激な悪寒とともに見た病院の白い天井だった。腕が冷えていて点滴を受けていることに気づいた。時計を見ると17時過ぎだった。保育園の迎えは間に合う。寒さに身震いしながらほっとして、ふとんを引き上げる。看護師さんが気づいてパタパタと近づいてきた。
「よかった、落ち着いたね。先生呼んでくるね」
疲れや心労からくる急性胃腸炎の診断が下りると、「死ぬかも」なんて思ったのが急に恥ずかしくなった。
胃腸炎で、きっと人は死なない。ただ、体調不良で意識を失うことが初めてだった私は、大げさにも自分の死を感じてしまった。
病院から保育園へ向かうタクシーの中で、じくじくと痛む胃を抑えながら、娘を妊娠する数年前に受けた手術を思い出していた。
正確には、手術台に寝転んだあと、口に吸入器をあてがわれ、
「麻酔かけますねー、3、2、1——……」
と、意識が飛んでしまう瞬間を。
短いカウントダウンを聞きながら、この目を閉じると目覚めることはないかもしれない。という胸の内の小さな恐怖が、突然現実味を帯びて頭の中心に広がる感覚を。
真っ暗な世界の中に意識が戻って、ああ、まぶたの裏側か、と思いながら目を開けると、見たこともない表情をした結婚したばかりの夫と目があって、「あ、生きてた」と思ったことを。
そして次の日、子どもを授かりたいと、わずかに考え始めたことを。
這うようにタクシーを降りると、保育園の玄関先で担任の先生が娘と待ってくれていた。いつものように、私を見るなり駆けよってくる娘をぎゅっと抱きしめる。
「お母さん、大丈夫ですか?」
と尋ねる先生にお礼と病名を伝える中、娘はぽわっとした顔で私たちを見上げていた。
その日私は娘の夕飯を準備したあと、動くことを諦めた。収めていた毛布を引っ張り出し、リビングの床に寝転ぶ。
娘の夜ご飯は、冷凍していたごはんと、ヘタをとって4つに切ったミニトマト、子ども用のチーズにした。背の高い子どもイスに座り、いつも通りゆっくりと口を動かす娘を見上げる。床から頬だけを離し、
「ごめんね。ごはん、これだけじゃお腹空くかな」
というと、
「と、わ、と! とわと!」
と、ミニトマトを入れた皿が空っぽになったのを見せつける。
トマト、まだいるの?と聞くと、コクリと大きく頷く。
「準備するね、かか今日、体調悪いから、ゆっくりになるかも」
と言いながらはたと気付く。1歳半になっても、幸い娘は発熱をしたことがなかった。体調が悪い、熱が出る、しんどい、というのはまだ娘には無縁だっだ。
毛布を引きずりながらキッチンに向かい、伝わっているかなぁ、と思ったことが、今はひどく懐かしい。
2年ぶりに胃腸炎の診断をもらい、3日ほどほぼ食事を取らず、そのあともなかなか完治せず横になっていた。体調を崩すと、なぜかメンタルも弱々しくなるように思う。ひとりで横になると、考えなくてもよいことまで考えて、不安や後悔が胸の中を渦巻いたりする。
今回はそんな時、寝室のドアの隙間から娘がのぞいていたり、寝ているソファの横にそっと近寄ってきていた。
「かか、ねてた? だいじょうぶ?」
と、私の顔にぐっと顔を寄せながらいう。
「大丈夫だよ、ちょっと頭が痛いけどね」
そういうと、娘は何も言わずバタバタとリビングへかけて行く。しばらくすると、
「はい、これ。頭いたいから、冷たいの、おでこにしたらいいよ」
そう言って、ウエットティッシュをふわりと私の額に乗せてくれる。ありがとう、と伝えると、
「また痛くなったりしたら、言ってね」
というので、娘の頭を何度もなでた。
「ちょっとお腹が痛いかも」
と伝えたときには、また何も言わず走ってリビングへ向かい、タオルケットを持ってくる。私のお腹のあたりにかけて、端が折れないよう丁寧に広げながら、
「これ、うさちゃん(ぬいぐるみ)が使ってるやつだけど、かかお腹痛いから、使っていいよ」
という。
つい寝てしまって、飛び起きながら謝ると、ソファいっぱいに娘の好きなぬいぐるみが敷き詰められていた。娘が産まれたときにあわせて買った、うさぎのぬいぐるみと目があう。このうさぎも、もうすぐ4歳を迎える。
お道具箱から塗り絵を出し、ぐりぐりとクレヨンの赤一色でプリンセスを塗っている後ろ姿を見る。いつもなら「かかと遊びたい」とべったりくっついているのに、静かにひとりで遊んでいる。
以前倒れてしまった時からの娘の成長を思いながら、湧き出るように自分のことも願っていた。
健康で、それでいて長生きをしたい。
そんな風に望むのは、もっともっと、おばあちゃんになってからだと思っていた。
何かに躓くたび、それどころか、娘と話をするたび、手を繋いで歩くたび、一緒に公園へ行くたび、娘が笑うたび、その存在からは与えられるばかりなのだと感じる。娘を授かりたいと思ったときより前、子どもを望むか望まないかを夫と話し、「そう」なのだろうと考えていた以上に、与えられるばかりの日々が続く。だんだんと、娘が育つにつれ親にしてもらっている。
「みてー!」
と振り返って、赤とオレンジに塗られたアリエルがにこりと笑っていた。
「暖色系で塗ったんだね」
というと、
「アリエルのかみのけ赤いけど、虹色がきれいかなって」
という。ほら、みて、と言いながらぐいぐいと近づいてくるアリエルが顔にぶつかって、クレヨンの油のにおいが香る。赤とオレンジの間には白や黄色も混じっていて、
「ほんとだ、虹みたい。きれいだね」
と本気で思ってしまう。へへへ、と笑う娘の頬にオレンジのクレヨンを手でぬぐいながら、また愛おしいという思いが湧き出る。
たとえ私や夫が娘に返せたとしても、それは物であり、わずかな金銭であり、私たちが娘からもらっている以上のものは、決して返せないのではないかとも思う。
それでも、すこしでも、娘へ返せていますように。最早これは祈りに近い、願いである。
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