私は、幸せのふりをした妊婦だった

「幸せいっぱいの妊婦」になれなかった私の話。

つわりで体調が悪かった時の描写、妊娠に対して一部マイナス表現があります。苦手な方はご注意ください。



「何ヶ月ですか?」

勤務先から帰宅するバスの中、席を譲っていただいた。お礼を伝えて、濃紺のベロアが貼られた席に座る。ベージュのパンプスを履いて、ワンピースを着た上品女性。

今、8ヶ月とすこしです。
そう伝えると、女性はうなずき、目を細めて微笑む。

「幸せね、頑張ってね」

はい、ありがとうございます。
母と同世代くらいのその女性は、私よりも幸せそうな顔をして、大きくなったお腹を眺めていた。

”幸せね”

私は、うまく笑えていただろうか。



妊娠がわかった3週間目。
その日から、小さな黒いもやを抱えた。
ああ、大変な責任を負ってしまった。十分に考えて、1年かけて夫と何度も話をして、覚悟を決めて、子どもを宿したはずだった。それでも、胸に広がるこの黒いもやはなんだ。
これ以上ないほど、調べて、たくさんの可能性を考えて、覚悟を決めたはずなのに。

いざ、お腹にこの子を迎えると、喜びよりも不安が勝ったのだ。


すぐにつわりが始まった。

はじめは1日1回、トイレに駆け込んで吐く程度だった。
1ヶ月過ぎて、何も受け付けなくなった。食べては吐き、食べては吐きを繰り返す。水分だけは、と水を飲んで吐く。ゼリーでごまかして、お腹が空いたと何か食べれば吐く。胃液を吐ききったあとは、喉が酸で焼けて血を吐いた。仕事の隙間に産婦人科へ這うように通い、1時間の点滴を受ける。みるみる体重は減っていった。

夫はひどく心配して、休みをとるよう勧めた。でも仕事を止めたくなかった。担当していた部門は、立ち上げから6年目の成熟期だった。

安定期に入る前、上司に妊娠を報告した。
流産のリスクを考えると、心が擦り切れそうだった。けれど、スタッフの補充には時間がかかるため、できるだけ早く伝える必要があった。
「実は、ダメになりました」そう言ってうなだれる自分を何度も想像しては、心がキリキリと痛んだ。


マニュアルも作った。作業手順とそれぞれの要点、担当先リスト、業務別のトラブル予想と対処法のまとめ、社内資料のインデックス、ラフで書いた企画書。社長とバディ状態で行なっていたプロジェクトだったため、対社長のマル秘資料も作った。
新しい担当者は頼もしい後輩2名だった。これまでの分野が違うぶん、意思疎通に戸惑いながらの引き継ぎだった。
水を飲みながら、トイレに駆け込みながら、遅くまで仕事をした。
6年前の立ち上げから携わって来たかわいい我が子を、中途半端に手放すことができなかった。

子どもを宿して2ヶ月目、体重が10kg落ちていた。
限界、という言葉が頭をちらつく中、産婦人科医から優しく諭される。

「1回、休もう。つわりが終わったら、もう一度仕事に戻ろう」

もう何度目かわからない点滴の針を見ながら、はた、と気づいて涙が溢れた。仕事と子ども、天秤にかけて、私は仕事を取ろうとしたんだ。それまで全く気づいていなかったことに愕然とした。もう、あと数ヶ月しかないのに。

私は、ちゃんと「母親」になれるんだろうか。



つわりが落ち着いた7ヶ月頃、仕事に復帰した。

「おめでとう」
「よかったね、何ヶ月?女の子?男の子?」

お腹が大きくなるにつれ、同僚から声を掛けられることも増えた。

ありがとう。そう言うたびに、自分の心が醜くなる。お祝いの言葉をくれる人たちの顔を見るのが辛かった。望んでも妊娠するのが困難な方もいるのに、こんなこと、思ってはいけない。そもそも、望んで妊娠したのに。子どもに合わす顔がない。

祝われても祝われても、私はうまく笑えなかった。



「ああー」
小さな声がして、目の前に立つ女性から目をそらす。後部座席の方を見ると、赤ちゃんを抱っこした女性がいた。
前の席に座る女性の髪の毛を触ったのか、お母さんが眉をひそめて、何度も何度も頭を下げていた。赤ちゃんは無邪気に笑っていた。
前に座った女性は、にこにこと笑いながら「いいのよ」と手を振っている。

あのお母さんは、幸せなんだろうか。

しばらく、ぼうっと見つめていた。



結局、私が妊娠中に幸せな気持ちになることはなく、そのまま出産を迎えた。
幸せそうなマタニティフォトや、ふかふかのソファに座って紅茶を飲む妊婦、編み物を楽しむ写真なんて、我が家には全くない。
そして次に待っていたのは、出産後の悩み。

出産も、育児も、私や夫を不幸にするためのライフイベントではない。
でもここまで、自分のこれまでの価値観や、生活や、体の外から心の内まで、何もかもがガラリと変化するイベントは他にない。
それを、私はすんなりと受け入れることができなかったし、これからもきっといちいち立ち止まる。
子どもが成長するたび、何かが変化を起こすたび、私を構成する何かにピシピシと亀裂を入れ、その亀裂をひとつひとつ埋めながら、前に進んでゆくしかない。

だからあのとき、私は紛れもなく「幸せのふりをした妊婦」だった。



そして、こうして、せっせと埋めてきた亀裂を振り返った時に、やっと、ああ、あの時、少し幸せが混ざっていたんだと思う。

 娘が、お腹にいるとわかったとき。
 娘が、お腹を蹴ったとき。
 娘が、産まれたとき。

ぜんぶぜんぶ、そのとき、ああ、そうなんだ、としか思わなかった。


けれど、今思い返すと、なぜか少しだけ、柔らかな幸せを感じることができる。




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にわのあさ
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