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子育ては忍耐の連続だと知る。

トイレトレーニングのお話が少しだけ出てきます。


「できないから、やりたくないの!」

口をへの字に曲げてそっぽを向く娘に、なんて声をかけたら良いか考える日々。



できることを見つけて、慣れない手つきでお手伝いをしてくれる娘。
3歳半になる最近は、より勢いを増した。
私の家事、身の回りのお世話など、手厚く面倒をみてくれる。


「おみそしるのワカメ、娘ちゃんが入れるから、その時になったら呼んでね!」
「大丈夫?かかのくつした、娘ちゃんが履かせたげよっか?」
「おせんたく、娘ちゃんがたたむの!かかは自分のことしといて!」

乾燥わかめを鍋に入れるときは、ぱりぱりの触感を楽しみながら、一つ一つつまんでお湯の中に入れる。
靴下を履かせてくれるときは、私がくねくねと足を動かすのを、「ちょっとお!うごかないでよお!」と嬉しそうに笑う。
お洗濯は、不器用な私よりも上手に畳むことができるようになった。


どのお手伝いをするときにも、一瞬、ため息をつくほど綺麗な表情をする。
真剣に手元を見つめる娘の目を見るのが、私はとても好きだ。
ついでに言うと、ものを丁寧に扱う娘の手を見るのも、それと同じくらい好きだ。



一方、失敗したことを再チャレンジするのは、今の娘にとってハードルが高いことらしい。

サンタクロースからプレゼントでもらったレゴブロック。
ブロックをつなげて、娘が両手を広げても足りないほどの長さの何かができていた。

「ひこうき、できたよー!」

きて!という顔をして私を見る娘。
見ると、飛行機の胴体は小さく、娘の手ですっぽりと覆い隠せるほどだった。

大きい羽根だね、よく飛びそう。
だけど、バランス大丈夫?

「だいじょうぶなの!」

みるからに大丈夫ではなさそうだけど、それ以上言うのをぐっと堪える。

娘は、みてて!と飛行機に手をかける。
そして、「びゅーん!」と言う掛け声とともに、満面の笑みで胴体を持ち上げてくれた。

あ、と声が出たけれど遅かった。

羽根は根元ら折れ、ばらばらと崩れたカラフルなブロックが娘の足元に散らばる。一瞬、驚いた顔をした娘は、すぐに真っ赤な顔をして泣き始めた。

もう一回作ってみる?

そう言っても、娘は首を横に振って、ブロックを触ろうとしない。



「あいうえお」を書く練習をしていた。
子ども用の太い鉛筆を持って、線をなぞってゆく。

娘は、文字を書く時に小さく声を出す。
「い」を書く時は「いぃ〜」、「う」を書く時は「うぅ〜」と言っていた。

2文字書き終えた後、「あぁ〜」と唱えながら「あ」に鉛筆を滑らせる。
先の2文字に比べ、「あ」は複雑でむずかしい。

2画目で、すでに書き順なんてものはなかったが、ぐっと堪える。

「あ」の文字をどうにか線で埋めた後、娘は「あ」とにらめっこしながら泣き出した。

「じょうずにかけないから、もうやめる!」



似てるなあ、と思う。

娘の気持ちがよくわかる。
私も、同じ気質を持っている。失敗するのが、とても嫌なのだ。

私の母は優しくて、愛情深い。
私が失敗しそうなときは、先に先に、手を伸ばして助けてくれた。

小学生の時は、私は忘れ物をしたことがなかった。毎晩、母は忘れ物がないか、ランドセルを開けて確認してくれていた。
中学生になって一人部屋を持っても、私は掃除をしたことがなかった。専業主婦の母が、毎日部屋掃除をしてくれていた。
高校3年生、大学受験の願書だって、自分で書いた覚えがない。

忘れ物をして怒られることも、部屋がぐちゃぐちゃになって困ることも、受験のスケジュールを管理を失念することだって、ない。

自分の足で歩いて、失敗をするという経験がなかった。

そして社会に出て「ひとりだち」をしたとき、失敗するのが嫌で、身動きが取れなくなってしまった時に気づいたのだ。
母が、大切に育ててくれたことと、それに甘えて、大切に育てられすぎてしまったことを。



今のうちに小さな失敗を繰り返して、失敗しても大丈夫なのだと知ってほしい。

娘が失敗しそうな度、手を出すべきか、見守るべきかを見極めて、ぐっと堪える。

たぶん、子どもへの愛情は、一歩引いて贈るくらいがちょうど良いのだ。
ただ、そのバランスをはかるのが、私にとってはとても難しい。
娘の年齢や、環境や物事によって日々変わる距離感。
自分のものにするためには、ただただ、娘と真正面から向き合うしかない。

愛しているから失敗させたくない、けれど娘にとって適切な距離を保ちたい。

子育ては忍耐の連続だと知る。


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にわのあさ
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