夏の記憶とセミの声
2020年夏、私の一番の思い出は”セミ”。
この夏昆虫に目覚め、どこへ行くにも昆虫図鑑を離さない3歳の娘。
7月から毎週末、セミの抜け殻を探して、車で10分ほど、山の中にある公園へ行く。ガチャ、とドアを少しだけ開ける。その隙間から、ジーーーーギイギイギイギイと尖った虫たちの声と、熱を持った空気がムワリとこじ開けるように入ってきた。重く湿った空気は、キンキンに冷えた車の中を一瞬で満たす。無遠慮に暑い。これからの時間を思い、つい顔をしかめる。
木から木へ、小走りで飛びうつる麦わら帽子の娘を、重い足取りで追う。ぼたり、顎から汗が垂れる。ジワジワジワジワ。なぜ、こんなにも暑いのに、娘は元気に走り回ることができるのだろう。答えはわかっている。無意味な自問自答を何度も繰り返す。
1週間前、同じようにこの公園へ来た。娘の右手は、セミの抜け殻2つでいっぱいになった。3つ目、4つ目を左手でそっと取り、5つ目に遭遇したとき、もう手がなくなっちゃった、と大泣きした。
どの木の根元にも、必ずセミの抜け殻がある。キュッと体を縮めて、ひっそりと娘を待っていた。一つ一つ、小さな手で丁寧に収穫され、持ってきたタッパーに詰められる。ぼたり、と、顎から汗が垂れた。何度目だろう。自分の首元を触ると、べったりと汗があふれていて、ただただ不快になる。ジー、ジー、ジー、ジー。頭の中が、セミの鳴き声で溢れかえる。かぶりを振っても、頭の外へ出て行ってくれなかった。
「みてー!」
娘に呼ばれて、足早に近づく。
「このセミのぬちぇがら、お花にくっついてるよ!」
大きな木の根元には、長く伸びたまっすぐの葉と、紫色の花を持つ植物が群生していた。茎の先には淡紫色の小さな花をいくつも連ね、稲のように頭を垂らす。その花の一つに、セミの抜け殻がぎゅっとしがみついていた。さらさらと風がそよぐたび、木の葉の影は波打ち抜け殻をつやりと光らせる。
「この花はなに?セミのぬちぇがらは、木じゃなくてもいいの?」
調べると、抜け殻がしがみついているのはヤブランという植物だった。
「ちれいだね〜」
うん、綺麗だね。
娘はしゃがんで、その抜け殻をじっと見つめる。じわじわと迫る暑さの中、私はその横顔から目を離せない。
花にしがみつく抜け殻はちょっと珍しいな、とか。花の淡紫色と草の緑と、茶色い抜け殻、コントラストが綺麗だな、とか。なんだか手に取るのがもったいないな、とか。そんなことを思っているんだろうか。親馬鹿な私は、そんな期待をしてしまう。
娘は今、なにを感じているんだろう。
相変わらず、耳をつんざくセミの声は何層にも折り重なり、私と娘の頭上から降り注いでいた。
◇
8月の最終日、保育園からの帰り道、娘とふたり手を繋いで歩く。
どこかで1匹のセミが鳴く声が聞こえた。
あの細い足で木にしがみつき、体を震わせながらこの音を奏でているのだろう。近頃、セミの声は極端に減っていている。うるさいなあ、と思うことはもうない。
「今日、セミいっぴきしか鳴いてないね」
カナカナカナ、キキキキ、
そうだね、今日は夏の最終日なのかもしれないね。
「さいしゅうび、ってなに?」
キキ、キキ、キ
最後の日、ってことだよ。
キ、キ、キ
あ、終わってしまいそう。
この夏、耳に飛び込んできたこの声は、小さくしぼんで、ついにはぷつり、と消えた。ブロロロ、と車の走る音が聞こえる。娘とふたり立ち止まって、しばらく静かに耳を澄ます。
「セミ、いなくなっちゃったのかなあ」
ため息をつく娘に、そうだね、もう秋なのかなあ。と返す。
横を見ると、川沿いの遊歩道、風に揺られ頭をもたげる猫じゃらしが並ぶ。太陽に真上からじりじりと照らされていた鮮やかな黄緑色は、そのふさふさとした頭を夕陽の中で赤茶色へ変化させていた。
8月31日、私たちは夏と秋の間に立っていた。
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