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はらはらの駆け引き

「だめ!自分でするの!やめて!」

両目を固くつむって、はの字に曲がった口からは、いつもの音が漏れる。
ううう、と絞り出されたそれは、目の淵に溜まった涙とともに、3歳の娘から溢れ出す。



何度か遊びに来ている公園。入り口で、繋いでいた手を払いのけられ、まっすぐにそこをめがけて走る。ボルダリングのような、カラフルな突起物が壁についた遊具。
数ヶ月前に手をかけてやめたそれは、昨晩見たバラエティ番組で、出演者が登っている姿を見てピンと来たようだった。

壁面すれすれのところで、私の背と同じくらいのところにあるゴールを見上げる。私が娘の横に追いつくと、ちらりとそれを確認して、がしっと、その小さな手を突起にかけた。
ぎゅっと結ばれた口元。鼻息がフン、フン、と薄く耳に聞こえる。
わかってる、娘は自分一人の力で、この偉業を成し遂げたいのだ。

わかってはいるけれど。

娘の視界に入らないよう、私の両手はうようよと宙を舞う。娘が産まれて、「はらはらする」と言う気持ちがやっとわかった。娘は、常に「はらはらする」何かをまとって生きている。

両足をかけたところ、4手目で動けなくなって、上を、下を、左右を、と覗き込んで、足を、手を、ごそごそと動かしていた。

どう?大丈夫?ここに足を乗せてみたら?

私の言葉は娘の耳に入らず、風に乗って消える。

だめだ、抑えなければ。
ここで手を伸ばすと、このチャレンジは、娘の中で終了してしまうのだ。

触れそうになる手を抑えつつ、何か、やってほしい何かの合図を探し、娘の泳ぐ目を、表情をじっと見つめる。
ばちり、と頭に音が響いて、眉毛を寄せた、眉をハの字に寄せた娘と目があう。伸びそうになる手を、何度目になるか、ぐっと堪える。

途端、娘の左足が、砂利の擦れる音とともに、突起から落ちてぶらりと宙に浮いた。

あ、と思った時には私の右手は、勝手に娘を支えていた。

しまった。

あの困り顔の答えは、この、動いてしまった咄嗟の支えは、正解だったのか。

頭を考えが過ぎる間も無く、むむむ、と音を立てそうなほど、娘の表情は曇っていった。残念、不正解。



「助けて」半分。「自分でやりたい」半分。
まだ答えが見つけられない状態で、顔を曇らせていたんだ。
娘が、答えを出すまで待つべきだったか。あの、じわじわとした時間を、娘の自立と天秤にかけて、黙って耐えるべきだったのか。
そう、私は耐えるべきだった。こけたって、少し高いところから落ちたって、それすらも吸収して取り込んでしまう3歳児だというのに。
どうしてほしいか聞かず、咄嗟に手を出してしまった。
完璧に、私の負け。

でもね、ほんとうに「はらはらする」んだもの。
あの瞬間、私は、カラフルな取手に顔面を強打して、鼻血を出して空を見上げながら大泣きする娘を想像してしまったんだもの。
けれど、なんでもできると自分を信じている最強の3歳児は、この思いを知る由もない。



もうこの「はらはらする」気持ちは、小学生になっても、中学生になっても、部活を初めても、友人関係で悩んでも、好きな人ができても、社会人になっても、何になっても、何があっても、娘にまとい続けるのだろう。

そして、私はその気持ちを振り払いながら、絶妙な距離を保つよう、たくさんの想いを巡らせるんだ。

この、恐ろしくも楽しいぎりぎりの駆け引きは、きっと、ずっと続く。

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にわのあさ
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