みんな秘密
「もうすぐ来るって」
隣から聞こえた声に反応する。知った声だった。
「やっぱり難しくない?席を外したときじゃないとできないし」
こちらも知った声。ついでにはきはきとした口調も、よく知っている。
平日の午後のカフェは、会話をする集団や一人で静かに過ごす客で案外賑わっている。大学生になって知ったことだった。
休講日の今日は、私は一人でボックス席を独占していた。ほとんど満席でも、店内のざわめきは休日のそれとは違っていた。そのせいで、私の背中側にあたる隣のボックス席の会話がよく聞こえた。
来た、と先程の二人とは別の声がしたと思ったら、ベルの音を鳴らしながら男女の二人が入ってきた。慣れた様子で、後ろの彼女たちの席ではなく、私の前、つまり隣のボックス席に座った。
私は、紅茶を一口飲むと、読んでいた本に意識を戻した。しかし、頭のどこかで両隣の声を聞き取ろうとしている。
「お待たせしました」
前の席に店員がやってきたことで、また本に集中できなくなった。去っていく店員を目で追っていると、その向こうから前の席にいるはずの男が歩いてきた。お手洗いがある方向だった。
「もう来た?いい匂い」
「私、いつもカフェオレ。大人なんだね」
向かい合う二人の姿を想像して苦笑する。二人とも、ついでに後ろの三人も、同じ学部の顔見知りだった。大学に近いカフェとはいえ、おもしろい構図になっている。
何時になっただろうとテーブルに置いたスマートフォンに触れる。一瞬、時刻がどこに表示されているか探してしまった。
「飲んだかな」
何となく嫌な声の響きだった。同意するような声も、秘密めいて悪意を感じた。元々、後ろの彼女たちのことはあまり好きではない。大学生になっても教室内の人間関係を気にするような、子どもっぽい人たち。
前の席で、人が動いた音がした。テーブルにぶつかったような、重い音だった。
後ろが小さく沸いた。私はつい、身を固くした。共通点のある私たちが並んだのは偶然ではない。私の両隣、私を挟んだ二つの席では何かが進行している。
前の席からあの子が立ち上がった。会計を済ませ、店員に何かを言い添えると、了解した様子の店員はテーブルの片付けをしなかった。まだ、彼がいるのだ。
再び後ろが騒がしくなり、彼女たちが席を立った。私の横を通って、レジへ向かうと思いきや前の席に入っていく。
「お疲れ、もういいよ」
「こっちまでゴンって音が聞こえたよ」
騒ぎ立てる彼女たちの声に混ざって、彼の声もあった。何気にいい声をしていると、いつも思っていた。
「確認されなくてよかった」
「確かに。あれ生きてるじゃんってね」
「二万で動いてくれるとはねー」
四人はそのまま話し始めた。まとめると、こうだ。
三人のうちの一人が前に座る彼と付き合っている。それは私もよく知っていた。三人とさっきまでいた彼女は、いつも一緒にいる。ただ、詳しくは知らないが彼女を切りたいと思った三人は、彼氏に酷いことをされたから助けてほしいと、大量の睡眠薬を盛る役割を彼女に託して金を渡した。三人よりも比較的優しい彼女はそれを受け入れ、ついさっき、実行に移した。
つまり、彼女は騙された。明日には、友人の彼氏を奪って殺そうとしたと非難されているのだろう。恐らく、四人の間の契約に証拠はない。
「これ、すごい甘いんだけど」
困ったような彼の声。また、前が沸いた。
「致死量っていったらけっこういるんだよ。普段ブラックだもんね」
「本当に睡眠薬を入れるわけにはいかないし」
私はにやりと笑った。言ってしまったな。
「お疲れさま」
口にすると同時に、彼が立ち上がった。そのまま振り返り、私と目が合った。こちらの席に入ってきて、向かいに座る。
「多分、綺麗に録れたよ」
「だろうね。俺の声、拾えてるかな」
やっぱり、優しくていい声だった。
突然隣の席に移って話し始めた彼に、はあ、と三人が声を上げている。私の姿を確認すると、目を見開いていた。
「何で、」
「あなたたちみたいな意地の悪い人は嫌みたい」
「俺が相談したんだ」
彼が恋人を見上げて、困ったような表情になる。
友人を騙す作戦に協力するふりをして、彼女たちを騙した。いや、悪いことはしていない。言質を取っただけだ。
「さすがに怖い。悪いけど、今日限りで」
「何なの、そこ二人で裏切って」
「ねえ、どうする?」
私はゆっくりと問いかける。この状況で、明日になって騒ぎ立てられることがあるだろうか。それがあなたたちに分かるだろうか。
「このまま、全部黙っておけば問題ない、よね。あの子にも、失敗だったねって言えばいい」
彼女に合わせる顔がないのはこちらの知ったことじゃないが、汚名を着せるようなことをするのなら、録音した音声を使わせてもらう。
「録ってるんでしょ、消してよ」
「それ盗聴じゃない?」
いくら騒いでも、彼女たちが私を警察に突き出すことはないだろう。
「この五人の秘密、でいい?」
誰も頷かないが、否定もしない。
彼に向き直って、笑顔を見せる。
「もう少し話さない?私、頭がいい人と話すのが好きなんだ」
私も、彼のことが好きだ。チャンスができた。
でも、こんな私は怖いだろうか。
彼が頷いてくれたら、紅茶のお代わりを頼もうかな。
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