20241010

「みんな違うのが大前提」だと思っている。「みんな違ってみんないい」ではない。良いものでも悪いものでもない。ただそこに違いがあるだけだ。作用反作用があって、人間と社会がそれに善悪の性質を見出す。

だから母に「普通にして!」と怒られた時は心底驚いた。普通とはなんだろうか?人間はみなそれぞれ差異がありすぎるほどあるのに、何か「普通」という規格のようなものがあるのか?
それが「TPOに合わせた社会性を身につけろ」というお叱りだったと気づいたのは割と最近のことだ。母はその語彙を持たなかったのだ。

「普通に」「常識として」という言葉はよくやり玉に挙げられるし、俺自身もその言葉をセンシティブなものとして扱っている。しかし言葉とは使いようなのだ。その後に具体的な事柄が続いて文意が通っていれば特に違和感はない。
「普通」や「常識」の内容を明かさず、「普通こうでしょ」「それが常識でしょ」というようにその曖昧な言葉そのものを根拠とするようなその語彙の無さ、考えの浅さ、気の短さになんとも言えない感情を抱いてしまう。

まあ「だからこうしろ」とか「こうするべきだ」みたいな提言のようなものは何も無い。上記のような感想を持っているだけだ。そういう人に変わってほしいとも思っていない。違うということは素晴らしい。

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