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心のライター【後編】
「もっと」というのは本能的なもの
前編では、
なぜ、「もっと」上手くなることや、「もっと」勝利することを目指すのか、違和感を覚えてしまった、
という話をしました。
そこから少し考えた結果、もっと上を目指すというのは生物としての本能的な部分であり、人間に備わっている欲求だという結論に至りました。
(かなりいろんな方向にまで思考が巡りましたが、書き切れないので経緯は省きます!)
ここで思い出したのが、
マズローの
【欲求階層説】
です。
高校時代公民の授業で習いました。
みなさんもなんとなく聞き覚えがあるでしょうか??
こんなピラミッドです!
マズローという人は、人間の欲求には5段階あり、下の欲求が満たされることで、上の欲求が生まれてくるという考えを主張しました。
下から順に、
①生理的欲求 → 食事や睡眠など
②安全の欲求 → 安全な暮らし(家や住環境)
③所属と愛の欲求 → 仲間や集団を求める
④承認の欲求 → 周りから褒められる、認められる
⑤自己実現の欲求 → 成長すること、目標を達成することをめざす
というふうになります。
ここでふと思いました。
サッカーはどこに入るのでしょうか?
おそらく
サッカーは、自己実現の欲求
だと思います。
もっと上手くなりたい、試合に勝ちたい
というのは自分自身の成長や、目標達成の部分だからです。
ということは。
マズローの説に則って考えるならば、
①〜④の欲求が満たされていない限り、子供たちは、サッカーが上手くなりたいとか試合に勝ちたい思うことはないわけです。
コーチが怒鳴ってばかりいたら、
子どもは承認欲求を満たせません。
試合に負けて罰走をさせていたら、身の安全を感じることはできません(体罰や暴言なんてもってのほかですね!)。
チーム内に不必要な上下関係や、悪い意味でのグループが存在するようであれば、所属と愛の欲求は満たされません。
保護者の人が毎日、しっかり食事をとらせてあげることも必要不可欠ですね。
つまり、
もっとを目指すための適切なプロセス
がきちんとなされているかどうかが重要ということです。
いきなり上の欲求を選手に押し付けても、良い結果は生まれません。
まず
安心させてあげること、仲間ができること、認めてあげること。
選手と指導者で心のゆとりに差が生まれてしまってはいないか?
つねに自分自身に問いかけていきたいと思います。
おそらく
ライターでは不十分
ですね。
指を離したら、すぐ消えてしまいますから。
最終的にピラミッドの頂点に火をつけ、選手自らがその火を燃やし続けるためには、
木と木をこすって火種を作り、
わらでその火種を絶やさないようにし、
息を吹きかけ火を大きくし、
薪を集めてそこに火をうつす。
そうすることでようやく、子どもの心に火がつくのでしょう。
大人が見ていないところでも、その火は燃え続けるでしょう。
ライターで楽して火をつけるより、
地道に、焦らずいきたいところです!