貧乏父さん、貧乏母さん
note投稿復帰2つ目にしていきなり嫌な感じのタイトルである。もちろん、ロバート・キヨサキ著『金持ち父さん 貧乏父さん』のタイトルをもじったものである(※当該書籍を所有しているが購入して1回読んだ後自室の本棚で眠ったままだ。またあらかじめことわっておくが私はマ〇チ商法はしないし、関わりたいとすら思っていない。読んだ中でいくつか参考になる点もあっていい本だと思うが、当該書籍がマ〇チ商法の勧誘で使われてしまってイメージダウンしているのはなんとも残念でならない)。貧乏父さん、貧乏母さんはいずれも私の実の親である。
貧乏父さん。私の実の父である。私立大学文学部を卒業後、バブル経済終了直前でサラリーマンになった。大手企業子会社の営業マンであったが、早期退職による転職や出向などで同じ系列企業の会社をあっちこっちいったりする低収入・ノースキルの窓際社員だ。定年退職まであと数年をなんとかしがみつく予定。
貧乏母さん。私の実の母親である。会計の専門学校を卒業後、有名アイドルを起用したCMを民放で流している某企業の経理事務として勤務していて私の父と結婚。出産を機に退職後は、子育てしながらコンビニや飲食店のパートとして勤務していた。現在はフルタイムで勤務している。フルタイムで働いても時給制だし賞与もないから、得た給料はほとんど生活のために使われて貯蓄はほとんどできていない。
貧乏母さんは私が中学生のときに貧乏父さんと離婚して10年ほどは私や私の弟と一緒に暮らしていたが、私の弟が高卒で社会人になったのを機に、一人暮らしを始めた。一方で、私や私の弟は現在貧乏父さん名義の戸建て一軒家(ローンは完済している)で貧乏父さんと暮らしている。
ここで『金持ち父さん 貧乏父さん』の冒頭にある一文を紹介する。
この文は「親」とは何かを端的に表していると同時に、子にとってどんな親のもとに生まれてくるかで人生が決まってしまいそうなことを思わせる。
当然、貧乏父さんと貧乏母さんとの間に生まれた私や私の弟は貧乏である。いまこのnoteを書いている時点で、私の預金口座には数万円しかない(証券口座で投資している金額はもっとあるが)。そして今月の末にはクレジットカードや学生時代に借りた貸与型奨学金の支払いが待っている。納付猶予申請した国民年金や学生時代に借りた奨学金を含めた借金は数百万円ある。私の弟は高卒で就職して節約に努めた結果、預金口座に大金があって他にローンもなくて貧乏とはいいがたいかもしれないが、体力の使う仕事であり今も身を粉にして働いている。
私の親も含めて私や私の弟は、働く以外にお金を稼ぐ手段が無い以上、働き続けるほかない。生活するためのお金を得るために時間を売らなければならない。貧乏そのものだ。特に私は、借金を完済するか借金相当額以上に資産を築けなければ純資産はマイナスのままである。私はいっそう働かなくてはならないのである。
貧乏父さんは大学文学部でメディア論を学び、本多勝一の著作を片っ端から読むような立派な左翼学生であった。しかしながら、メディアとは関係のない職種のサラリーマンになった。
貧乏父さんからは学問らしいことや生きるために必要な知識・知恵を教わったおぼえがない。宿題を見てもらったおぼえもない。休日は一日中寝室で寝ていて、はす向かいの家に住む同級生の父親が家族をキャンプやBBQに連れて行った話を聞いて羨ましく思ったものだ。ただし貧乏父さんは映画や昔の洋楽に精通していて、休日になるとたまに私たち兄弟を映画館に連れて行った。私が映画に興味を持ったのは父親の影響が大きい。
貧乏父さんは未だに左翼で、金持ちや氷河期世代で成り上がった人に多い新自由主義者については悪というバイアスがあり、大企業への課税強化に賛成している。当の本人は民間の個人年金や確定給付企業年金を積み立てていたため定年退職後は安泰であると誇っている。安泰な老後は、日本経済をけん引する大企業の堅調な業績や出資者・株主への還元のおかげであることにどうして気づかないのだろうか。
投資については当然否定的だ。日本は何年も続いたデフレ状態からインフレ状態に入った。インフレ下では物価が上がるため、貯金をしていてもその価値は目減りする。インフレ下においては株式や債券などのリスク資産を持つのも手だ。投資に対して否定的な考えを持っていると投資そのものに対する知識をもつ機会が生まれない。そうすると「投資はギャンブル」「投資は危険で必ず失敗する」といったバイアスを持ってしまう。
むしろ国民は投資をしなくても労働して得る給料だけで生活して結婚して子どもができるようにするべきだと貧乏父さんは考えている。たしかにそれも一理ある。投資には元本割れなどのリスクがある。
しかし、今や日本を代表する企業の株主は海外投資家の割合が大きく、企業は株主への還元を意識せざるを得ない。そうすると企業は、経費である人件費(=我々にとっての給料)をできるだけ抑制せざるをえない。その一方で、人口に占める高齢者の割合は増え続け、公的年金保険料の天引き額も増えて手取り額も大きく増えない状況が起きている。そして物価も上がっている。ただ給料をもらうだけでは経済的にますます厳しくなることが予想できる。そうであるならば、働きながら少しづつ投資して株主となり、インフレや企業の業績の恩恵を受ければよいのである。
もし私に子どもがいたら、まずは失ってもいいお金で1単元でどこかの会社の株を買うよう勧めるだろう。1株が数百円であれば、数万円で100株=1単元の株主になれるし株主総会で投票することもできる。それに若いのだから、仮に投資した企業が倒産して株の価値が0円になったとしても投資した分のお金はアルバイトでもすればすぐ取り戻せるはずだ。投資をすれば自ずと、株価も気になって政治経済やファイナンス、簿記・会計を勉強しようという気持ちにもなるだろう。もちろんある程度それらを勉強してから投資を始めるのも悪いわけではない。大事なのは「〇〇について勉強してみよう」「(違法なことや命を失いかねない危険なことでない限り)まずは一歩踏み出してチャレンジしてみよう」という気持ちを持つことだ。そして親は子の挑戦を見守り、大きく足を踏み外してしまいそうになったときや大きくくじけてしまったときに手を差し伸べて助けてやればよいのだ。
余談だが、左翼な貧乏父さんは、私が防衛産業の企業に投資をした際は難色を示していた(貧乏父さんは当然「戦争産業」「軍需産業」と呼び、「防衛産業」とは決して呼ばない)。皮肉にも、現在この記事を執筆している段階で私が保有する個別株の中で最も大きい含み益が出ているのはこの防衛産業の株である。
子が働きだしたら低コストのインデックスファンドの積み立て投資を勧めるだろう。人的資本たる自分は本業に力を注いで給料を得るだけでなく、知識・経験・スキル・人脈を培う。自分が働いている間、インデックスファンドに投資したお金は自分よりも頭のいいプロの証券マンたちが四六時中PCとにらめっこしながら運用してくれるのだ。人的資本と金融資本で盤石な経済的基盤を築くことができる。
私は、若い人は余剰資産で投資をするべきだと思うが、貧乏父さんのような中高年は投資するべきでないと考えている。定年退職まであと数年だから、早期退職して退職金をもらってその全部または一部を資産運用に回すのではなく、能力がなくても解雇規制で守られる窓際の正社員を続けて一定収入を得て年金受給が始まる定年退職までしがみつこうとするのは悪くない戦略である。資産を投資に回して退職した瞬間に世界的恐慌が起きて株価が暴落して、資産も無くて再就職がかなわないリスクもある。
左翼な貧乏父さんは、国や企業に不信感を持ちながら、自分たちが味わっている不幸は国や企業のせいであるから、国や企業がどうにかしろと心の底から思っている。不信感を持つ相手がどうにかしてくれるとどうして思えるのだろうか。他責思考や矛盾の極みである。今後、一人ひとりが適正にリスクをとって挑戦して生きていかなければならないのだ。受験、就職、資格、投資、恋愛、結婚……いずれもそのような性質を持っている以上、生きている限りどこかで経験することになる。自由や権利には必ず責任や義務が発生すると思うのだが、これについて語りだすとキリがないため、また改めてこれについて一考したい。
貧乏母さんは会計の専門学校で日商や全経の簿記検定に合格していた。簿記の資格を活かして企業の経理事務に就いていた。私は数年前に日商簿記3級と2級を故あって勉強して合格していたが、「複式簿記」(※簿記には単式簿記と複式簿記があるが社会一般的に「簿記」といえば「複式簿記」をさす。)は人類が生み出した素晴らしい仕組みの一つだと思う。できればもっと早く学んでおきたかった。
大きなビジネスをやっている人間のなかで簡単な複式簿記がわからない者はいないはずである。また、株式投資においても企業の財務諸表を読んで投資判断をするためにも複式簿記の知識は必要である。金持ちは、ビジネスオーナーか投資家、需要のある専門分野で結果を出して上り詰めた人(一流スポーツ選手や芸能人、難関の資格専門職など)くらいである。労働者を続けている限り金持ちにはなれない。金持ちに近づく、すなわち貧乏状態から脱するための第一歩として複式簿記を学ぶことはマストである。
しかし、貧乏母さんの口から「借方・貸方」のかの字すら聞いたおぼえがない。自由放任にして「学びたいものを学んでやりたいことをやりなさい」という構えで子を思う親心があったのだろうし、通塾や習い事ができた点については感謝してもしきれないが、当時まだ未成年の息子が大金を借りてこれから大学進学しようとするのなら、複式簿記を学んで毎月エクセルで複式簿記による家計簿をつけるように言うのがせめてもの親心だろうと強く思う。今現在、私は毎月エクセルで複式簿記による家計簿をつけている。複式簿記については日を改めてnoteで書きたいと思う。
未成年だった私の身の周りという狭い狭い世界にいる大人は、サラリーマンかパートタイムか学校教職員かスポーツインストラクターか塾講師しかいなかった。そこで私は高校の国語科(現代文・古文・漢文)か社会科(世界史)の教員になりたくて大学進学を志した。しかし、残念ながら私は大学受験でことごとく不合格になり、大手予備校の発表する偏差値基準で中堅の都内私立大学の文学部と地元私立大学の法学部に合格した。偏差値的にはほとんど変わりはない。前者に進学すれば大学で学びながらどっちかの教員を目指せただろうが、毎朝満員電車に揺られてまで通う価値のある大学かを考え、虚学たる人文科学と実学たる法学を比較した結果、通いやすい後者に進学した。この決断は間違っていなかったと思うし、きちんと学んでいたからほとんどの科目で「秀」や「優」の成績を取って卒業した。また、法学検定(ベーシック)やビジネス実務法務検定2級に合格している。もし、私の身近な人間で理系でも体育会系でも芸術系でもないが、とりあえず大学進学したいという者がいれば法律学科か会計学科を勧めるだろう。
なお、大学には学校教員になるための教職課程があったのだが、法学部では中高の公民の教員免許しか取れず、地歴の免許は取れなかった。また、法学部はなぜか他の学部に比べて卒業までに取らないといけない単位数が多く、法律の勉強も難しかったため、教職課程は断念した。
法学部では当然、社会のルールである法律について学ぶ。大学4年間で学んでよかったと思える法律・法分野は、民法(債権・担保物権)、保険法、会社法、労働法、租税法、社会保障法だ。いずれも生きていくうえで密接にかかわってくる法律・法分野である。法律は限りなく奥が深いため、大学のたった4年間で学べるのは基本中の基本中のそのまた基本でしかないが、学生時代にさわりだけでも学んだという経験の有無の差はあると思う。
日本で働いて給料を得ると、所得税や厚生年金などの社会保険料が引かれていく。それぞれは、所得税法や厚生年金保険法などを根拠法令としている。しかしそれら根拠法令は、難関大学を出て日本でも一握りの頭脳をもつ官僚たちがあえてわかりにくいルールを条文にして大臣を通して内閣提出の新設・改正法案とする。内閣はたいてい国会の多数派で組織するから、国会の議決でほとんど可決する。こうして国は、我々が汗水流して働いて得る給与から合法的にお金を抜き取るのだ。
お金をできるだけ取られたくないと思ったとき、もし学生時代に法律をさわりだけでも学んでいたら、一度は見聞きしたことであるからどうにかしようと思えてくる(受講した講義が鬼単であったために、苦手意識を持ってしまっている場合もあるかもしれないが)。国が合法的にお金を抜き取るのであればこちらも適法に節税や控除を受ければよいのである。そのために、節税や控除についてWEBや関連書籍で調べる。そしてどの法令の条文を根拠としているのか、自分は当てはまっているのかを原典にあたって調べる必要がある。調べることへのハードルの高さは法律を学んでいたか否かで雲泥の差であると感じる。(他にも法律を学んだことによるメリットはあるのだが本記事の趣旨と外れるため、今回は省略する。それについてまた日を改めてnoteに書きたいと思う。)
『ドラゴン桜』(三田紀房・講談社)第一巻で桜木先生もこう言っている。
「社会の(中略)ルールは頭のいいやつに都合のいいように作られている」
「逆に都合の悪いところはわからないように隠してある」
(中略)
「例えば携帯電話……給与システム 年金 税金 保険……みんな頭のいいやつがわざとわかりにくくしてロクに調べもしないやつから多く取ろうという仕組みにしている」
「つまりお前らみたいに頭使わずに面倒くさがってると……一生だまされて高い金払わされるんだ」
(中略)
「だまされたくなかったら……損して負けたくなかったらお前ら……勉強しろ」
また、2005年に日本テレビ系列で放映された天海祐希主演のTVドラマ『女王の教室』で、天海祐希が演じる阿久津真矢先生もこう言っている。
「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。 賢いものや努力をしたものは、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることが出来る。 それが、社会というものです。」
「日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。」
「そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる? 今のままずーっと愚かでいてくれればいいの」
「世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、 戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの。」
頭使わずに面倒くさがっている愚か者や怠け者は、安月給の会社に入ることになり、安月給の中から高い税金や社保、無駄に高い通信費や保険料を支払わされることになる。挙句の果てには戦争が起きれば憲法も改正されて徴兵されて銃弾や砲弾、ドローン兵器の飛び交う戦場の最前線に弾除けとして送り込まれる。海外に高飛びした特権階級は戦死した者たちを指さして「英雄だ」「英霊だ」などと賞賛して、金のない大多数の若者にもっと戦場にいけと扇動するだろう。
貧乏とはむろん、お金のない状態を指すが、それ以外にも「知識・知恵の欠乏」も含まれているのではないだろうか。親が子に対して、「社会とはどんなところか」「社会の仕組み・ルールとは何か」「社会で生きていくためにはどうしたらいいか」「何を勉強したらいいのか」「なぜ勉強しなければならないか」を社会に巣立つ前の子に親が教えて、子が社会でしっかりと生きていくためにも親は知識・知恵とお金を準備しておかなければならない。
私の父も母もたしかに貧乏である。しかし、父は仕事をし続け土地とその上に戸建て一軒家をもって私や私の弟の生活の拠点を整えてくれたのである。ロバート・キヨサキ氏からすれば持ち家はローンや固定資産税や修繕費のかかる負債だとみなしているが、氏の住むアメリカと日本の土地や住宅事情は全く同じではないし、若くて給料の少ないときに家賃分を支払わないで済むのは大きなメリットである。浮いた家賃分を若いころから貯蓄や投資に回すことができるメリットもあり、それは大きい。
私の母は、たとえ貧乏であったとしても私や私の弟を産んだという命がけの一大事業を行ったのだ。しかも私や私の弟は五体満足だ。特に私は幼少のころから虚弱体質で母によく小児科へ連れていかれた記憶がある。いま健康に過ごせているのも面倒をしっかり見てくれていたことが大きい。こればっかりは金持ちだとか貧乏だとかそういった次元を超えた、人間として大切な何かである。
貧乏父さんと貧乏母さんはお金や子に与えられる有用な知識・知恵が無かったとしても、私たち兄弟が生きていくための最低限の衣食住は用意してくれたのだ。そして私たち兄弟は五体満足に成長して、それぞれ業務独占の国家資格を活かした仕事に就いている。成人して大人となった以上、必要だと思ったことは自ら進んで学ぼうとしなければならない。私の現在勤めている会社では技術系の資格の取得について奨励していて、私は取得に向けて鋭意勉強中である。また、それ以外にもファイナンシャルプランナー(FP)の勉強がしたいとひそかに考え始めている。世間一般に比べて法律や簿記が多少わかる私が新たに学ぶ予定のFPは知識としていい武器になってくれるだろう。そしてゆくゆくは経済的に良好な状態になってくると確信している。
私たち兄弟が成人して社会に対峙してくために必要最低限の衣食住を用意して、社会で生き残っていくために今後将来どうしたらいいのかを考えるきっかけを与えてくれた最も大切な教師である貧乏父さんと貧乏母さんに深く感謝を表しつつ本記事を締めようと思う。
※本記事の全部又は一部はフィクションです