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カポエイラとサンバヘギ

マッチ:オリンピックを観ていてあらためてスポーツと文化はちがうなと思ったのですが、スポーツは速さや高さや強さを求めて競うものであるのに対して、文化は勝利や優勝の瞬間がなくても長く続けられる。オリンピックなどはとくに顕著で、優勝の瞬間を得ることができなくなったときに、引退したり指導する側にまわったり、それまで続けてきたことをやめる道を考えるものだという印象が強い。文化は勝利にこだわるものではないから長く続けられる。長く続けることに価値があるということをすごく感じていて、それを知ってほしいと思うんです。何十年も続けていけるものであってほしい。高いとか速いとか、より強いとか、そういうことじゃなくて、ちがいを出すことを評価されることが、文化を学ぶ良さだと感じています。

島野:そうですね。「文化」という言葉の意味合いにも、日本人特有のものがあると思います。日本人が想像する「文化を学ぶ」とか「文化に触れる」という言葉の意味合いは、ハードルがとても高い印象があります。「文化」や「アート」って、一般人には想像も及ばないような高尚なことをやっているんじゃないかと思われている。それってどれくらいお金がかかるものなんですか、才能があるひとがやるものじゃないんですか、みたいな。でもじつは普段生きているうえでやっていることが、文化と密接につながっている部分がいっぱいあるんですよね。生活のなかに楽しみを見出すようなものであって、普段の生活の延長にそれがあるだけで、それを言葉にしたら「文化」という表現になっているだけだから、そんなにハードルは高くないんですよ。なぜか文化勲章とか、縄文文化みたいな、重いイメージに結びつく。一方ではオタク文化やアイドル文化のような、極端に軽いものが簡単に文化になる。流行りなのか文化なのか、もはや区別のつかないような。その軽さや柔軟性もある意味では日本のおもしろさなのかもしれないけど、自分たちの生活や知恵から自然に生まれたものをただ続けていることがひとつの文化であって、高尚ととらえるものでもなければ、流行りと混同したなにかともちがう、だからこそ長く続けていける文化があることを知ってほしい。カポエイラも、僕らがやっているような音楽も、その楽しみをさまざまな世代に伝えることでみんながよりよく生活できる文化なんだと思うんです。そういうところをブラジルから見習いたくて、彼らは文化の育みかたがひじょうに上手だなと感じます。不便だからこそなのかもしれない、工夫のなかから本当にいろいろなものが生まれて、ただ純粋に楽しんで、楽しさが伝わって、みんなで共有するというような、それこそ素敵なことですよね。

マッチ:僕はサンバヘギを始めてから、カポエイラの音楽がもっとおもしろくなりました。音楽をちゃんと習ったことがなかったので、以前は単純に拍もとれませんでした。カポエイラを教える立場になっていたのに、音楽とズレて間違ったところで入ったりしていたんですけど、サンバヘギを始めてからはわかるようになりました。体を揺らして叩くことによって、ちゃんと拍をとれるようになったんです。それまではビリンバウ(berimbau:ブラジルの打弦楽器。弓矢の弦の部分を棒で叩いて音を出す)を叩く手先だけで音楽をやっていたかんじだったのが、体全体を揺らすことで拍をとる意識ができるようになりました。あとよくバハヴェントでもまわりを聞いて演奏することが大事って言われますけど、カポエイラにもそれが活きてきたなと感じています。

島野:スインギすることこそ大事だなとあらためて思います。ゲトでも動けない子をとにかく動かしてあげる工夫をするじゃないですか。ステップしながら教えるとか。毎週ジェラルド(島野のブラジルの師匠)とリモートで練習しているんですが、前回もチンバウ(timbau:コンガによく似た胴長のブラジル打楽器。プラスチックヘッドを使用する)ですごいむずかしいフレーズを教わって、でも僕にはむずかしすぎてだんだんズレていくんですよね。そうするとジェラルドは、こうやるんだって体を揺らすんですよ。やっぱり体に入らせながら叩くことが重要なんですね。僕もひとに教えるので、叩きましょう、つぎは足をステップしてみましょう、それから体を使ってみましょうって、段階的に教えようとしてしまう。これはとても日本っぽい教えかただなと思っていて、ジェラルドたちブラジル人は最初から動くんですよね。動いてリズムをとって、はい叩きます、みたいな。逆なんです。それって僕らにとってはめちゃめちゃむずかしいのに、最初から踊ってスインギしなくてどうすんのってかんじで。彼らもむずかしいということは理解しているらしいんだけど、でもそういうものでしょっていう。ノリながらやるのが音楽だろって、あたりまえなんだけど、あらためてそうだよな…って思いますよね。

マッチ:笑った表情をしているから、本当におもしろくなっていくし、楽しくなっていく。表情の動きが最初にあってから感情がついてくるということを書いている本を読んだんです。それと同じで、体を動かすことでどんどん楽しくなっていくんでしょうね。メストレ・ジャンに「マッチ、いい音楽ってのはどんなのかわかるか」って聞かれたんですけど、答えは「もうノリたくて仕方なくなるっていうのが、いい音楽だ。動きたくなるのが、いい音楽だ」って。サンバヘギも踊らせてなんぼの音楽ですし、叩くひとが動いてないと、それは出てこないですもんね。踊らないひとが踊らせる音楽をつくるなんて、ちょっとむずかしいですよね。

島野:そうですよね(笑)踊れない音楽で、どうやって踊らせるみたいな(笑)そんなのは基本ですね。

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マッチ:段階的に教えるという話で思い出したんですけど、ブラジルに行って新しい歌を聴いて、これが流行ってたよってみんなに教えようと思ったときに、生徒はポルトガル語がわからないので歌えるように区切って、僕が歌って、歌わせて…その繰り返しで徐々に段階で教えたことがあるんですけど、でも僕はなんでそんなことをしたかといえば、ブラジルで聴いたその歌に感動して、歌ってるひとが素敵で、その空気みたいなもの、あの瞬間がかっこよくて歌いたい!と思っていたのに、なんかプロセスで教えていくと、感動が伝わらないなと思ったんですよね…

島野:たしかにフレーズだけだと、こんなダサかったっけみたいな(笑)

マッチ:そうそう(笑)プロセスで教えると最初に受けた感動みたいなものが消えるんですよね。僕が感じたものを教えたかったなって。

島野:感動を教えるってまたべつの話ですよね。テクニックや細かい動きはプロセスや段階を踏んで教えることが大事ですが、感覚や感動を教えていくなんていうことは、それとはまったくちがいますよね。でも感覚もすごく大事です。それ、かっこいいじゃないですかってなったら、一気に入りこむわけだから。

マッチ:そうなんですよ。順番でいえばそこがまずいちばんで、そこからプロセスなのかなと思います。バハヴェントを最初にみたとき、1発目の「ドカーン」でかっけえー!ってなって、最初に「ドカーン」をみせられたから、こんなふうになりたいと思って。そのあとバハヴェントのみんなが金沢に来てくれていっしょに演奏したときに、また鳥肌がたって、さらにこんなふうになりたいと思ったんですよね。

島野:いやありがとうございます。

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マッチ:以前、実際にシマケンさんたちが、このリズムはこうしたらかっこよくなる、みたいなことを話してたんですよ。カポエイラがかっこいいということは思うんですけど、リズムにかっこいいがあることに気づかされたというか…リズムってただの音でしょと思ってたので、そういう感覚があることに驚いたんです。音の強弱やグルーブ、誰かが入って誰かが抜けての差し引きとか、いろんなことがリズムのかっこよさになることを教えてもらえました。それはカポエイラにも通じていて、カポエイラでは細かく教えられなかったことを、サンバヘギで教えてもらえたかもしれません。サンバヘギならジレトール(diretor:指揮者)のサインを逃さないように、ビリンバウではグンガ(gunga:低音域のビリンバウ。ベースの役割を担う)のひとのアイコンタクトとか、演奏中のコミュニケーションがあるから一体感が生まれてくる。そのコミュニケーションが楽しさにつながることも感じました。でもけっきょく、サンバヘギもビリンバウもリズム楽器ではあるけど、歌ありきということにも気づかされる。歌をどうひきたたせるかをリズムでつくっていくものですよね。

島野:言葉なんですよね、行きつくところ。その土地の言葉が歌になって、言葉の意味することが感情になり、それがメロディとしてリズムとして聴こえるわけじゃないですか。ものすごく密接な関係で結びついていますよね。原始的で記録もされないような方法で伝わってきた太鼓と、言語の発展によって言葉を使ってひとに伝える方法が、こんどはそれが歌になって、そして太鼓が伝えていたこととさらにミックスして重層化した音楽になる。どっちが先とか、どっちに意味があるとかそういうことじゃなくて、密接に結びついているから切り離せないものだと思う。だからこそ言葉を大事にしたいと僕は思っています。それはたぶんカポエイラにも通ずるものですよね。あとリズムにかっこよさがあるという感覚を知ったって、逆に新鮮なかんじがしました。僕はサンバヘギをやるまえから、叩く音に対してかっこいいかっこわるいの判断しかなかったんですよ。これはもうサンバヘギをやっているときでしたけど、新宿だったかな…駅のガード下にいて電車が重なって来るときの音が、ダラシカダガヅクダラシカダガヅク…おお!いい音がするぞ!って(笑)あとブラジルのゴミ箱あるじゃないですか、車輪のついたでかい青いやつ。あれがペロウリーニョの坂を降りてくるときに、バツカーダに聞こえるときがあるんですよ。ドロヅクドロヅクヅグヅグドゥルシカって、おお!誰か叩いてんの!って、見るとゴミ箱がガガガガーと降りていく(笑)

マッチ:それおもしろいっすね(笑)

島野:なんでもリズムに置きかえますね。あ、かっこいいな!みたいな。

マッチ:そういう感覚をむかしからもってたんですね。

島野:ずっとそうですね。

マッチ:ワークショップでシマケンさんたちに来てもらっていっしょに叩くと、一気に世界に入れさせてくれるというか、別空間にもっていかれるかんじなんですよね。でっかい音のなかで、もう音しか聞こえない。リズムが安定してるから、ほんとに異空間、別空間に入ったかんじがする。ああこれが音楽か。音の世界に入るってこういうかんじかって、いつも思いますね。

島野:ジェラルドもそうだけど、超一流のミュージシャンやカポエリスタも、ひとりで世界を変えられるひとがいるじゃないですか。その人間が入ってきただけで空間がぜんぶ変わる。そいつが一発叩いただけで…ほんとにめちゃめちゃあこがれますよね。

マッチ:シマケンさんもそう思うんですね。

島野:思いますね。ほんとに思いますよ。マッチくんも僕からすればカポエイラで、ジョーゴひとつで世界を変えられるひとだと思うんですけど、マッチくんにもきっと目標があるでしょう。その身ひとつで世界を変えられるひとっていうのにはあこがれます。さっきの感動を伝えるにはどうするかという話だけど、テクニックも重要だと思うんですよ。練習と勉強を積み重ねてテクニックを向上していくことで、魅せることができるものは確実にあると思います。超一流プレーヤーだって基本のそれがあったうえでの感動を与えてくれていると思う。でも僕がひとに教えるとき、最終的には感動につながるんだとしても、プロセスとしてテクニックだけを教えることで、そのひともそうなるかというと、そうじゃないんですよね。もっとシンプルに、こういうふうにいっしょに叩いたらすごい気持ちよくなるよねって感じられるもののほうが、そのひとにとってよかったりする場合があるんだろうなと、今日の話で考えました。教えかたの引き出しをもっといろいろもてるようになると、自分自身もおもしろくなるんだろうなと。あらためて感じましたね。

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島野:最後に聞きたいことなんですけど、マッチくんが考えていることや伝えていきたいことはどんなことですか。

マッチ:そうですね…僕がカポエイラを始めた理由は「ひとがやってないから」だったんですけど、いまはたくさんのひとにやってほしいと思っています。めずらしいというのもひとつの価値なんですけど、でも単純にたくさんのひとがやっていることは、もっと大きな価値になるかもしれない。多くのひとたちのなかで、みんなそれぞれちがいを出していけたらいい。ちがいを認めあえる世界というものがカポエイラの大きなテーマだと思うので。なのでたくさん知ってもらうためには、やっぱり指導者が増えてほしいし、カポエイラの指導者がやっていけるような社会にしていきたい。それから僕が海外へ行ってカポエイラによってつながっていったように、日本から世界へいろんなひととつながっていってくれたらいいなと思います。いまの自分の生徒たちは小さなコミュニティのなかだけでしかつながっていないので、ここから日本全国のひととつながり世界へ、そうすれば自分たちのやってきたことの価値がもっと感じられて、楽しいとも感じられるはず。そのうえで価値があった、長く続けてきてよかったと思ってもらえたらいいですね。そういう架け橋じゃないけど、きっかけをつくっていけたらいいなと。あと道場のような、みんなが集まる場所もつくりたいですね。

島野:カポエイラはいまでは世界中に広がっていますよね。独特のコニュニケーションの方法をもっていることが大きいんじゃないかと思います。体で対話ができる、ホーダでつながる。その方法は平和にもつながるんじゃないかと思うんですよ。当然ホーダのなかで喧嘩は起こるけど、それもふくめて輪のなかで、人種のちがうひとたちが熱狂できるものというのは、カポエイラのすごさですよね。音楽もそうだけど、そういうものが大切にされる世界になったら、変な争いごとなんていうのは本来あまり起きないんじゃないかな。エゴみたいな、自分が自分がっていう、それこそさっきのお金の話じゃないけど、自分だけが得したいなんてものが出るからおかしなことになるわけで、もっとシンプルに考えられればいいのにね。カポエイラは架け橋としていいものだなと思います。マッチくんのTikTokもですけど、若い子たちが躍動している姿ってすごくいいですよね。サンバヘギもいま台湾の若い子たちが一生懸命やっていて、ほんとに応援したい。そしてこんどはどうやってそれを日本に逆輸入するかを考えたいんですよね。コロナがひと段落したら。でもZOOMでこうしてつなげてしっかり話をするような機会がもてるのは大きな恩恵ですよね。奇しくもコロナによってもたらされたものですが。金沢には行けなくなったし、いまは話ししかできないよねってことからコンテンツをつくってみたけど、いままでこんなにじっくり話す機会がなかったから、すごくいいことを聞けたり学べたりして、僕はこれはコロナの副産物だとも思っています。

マッチ:台湾もいっしょに行きましたし、共通点がいっぱいあって、シマケンさんが辿っている道と、僕の辿っている道ってけっこう近い道を行っているんじゃないかと思うんですが、話を聞けてほんとにおもしろかったですね。

島野:マッチくんの昔話も思い出したし(笑)

マッチ:あれだけでもう2時間ぐらい喋れますね(笑)まだまだあるんで(笑)


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