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ブラジル音楽と沖縄音楽

 対談をもとに音楽を探るrhyZm。
自身のルーツとは遠いところで生まれた異文化に惹かれる理由はどこにあるのか。
 ブラジルと沖縄、それぞれの場所にそれぞれの理由で惹かれた2人が語り合います。


プロフィール
島野賢哉
ブラジル音楽に惹かれ、ブラジル各所に滞在、居住。ブラジル、とくにバイーア州で出会ったサンバレゲエの魅力を日本や台湾、他、世界各国に伝えるため、サンバレゲエグループ「BARRAVENTO」(バハヴェント)を仲間とともに創立。現在クリエイティブサウンドスペース 「ZIRIGUIDUM」(ジリギドゥン)を四ツ谷に開設し、音響機材を駆使しながら音の可能性を探る活動を展開中。
池田尊
エイサーを始めとした沖縄音楽に惹かれ、コザ市在住の沖縄民謡の歌い手、松田一利氏(琉球音楽協会 師範/弘弦会 会主)に師事。自身も沖縄音楽の魅力を関東で伝えるため、「ZIRIGUIDUM」(ジリギドゥン)等にて三線を教える。楽曲制作のエグゼクティブプロデューサーとして活動中。


島野:いま僕らはともに音楽が好きだけど、僕はブラジル音楽、タケさんは沖縄音楽と出会ったんだよね。最初といえばもう長い付き合いで、高校のころに同じバンドで活動してたことから始まって。僕の知らないうちにタケさんが沖縄音楽に惚れこんだ理由と、その魅力についてを聞いてみたいと思って、はじめにタケさんとの対談をお願いしてみました。僕自身のブラジル音楽への想いと経緯なんかも語りながら、互いの音楽について深く語れたらと思ってます。そして今後は各自が音楽を通してできた仲間をゲストに迎えて、ブラジル、沖縄の両方向からのアプローチで、このrhyZmというコンテンツによって、それぞれの文化のことを発信していきたい。まずは僕とタケさんによるイントロということで。そもそもタケさんと音楽の出会いってなにがきっかけだったの?

池田:シマちゃんは知ってると思うけど、うちは男3兄弟なんですよ。兄弟みんなずっと野球をやってたんだけど、あるとき兄貴がいきなりフォークギターを持ってきたわけ。もらった、とかいって。もちろん誰も弾けないし、音楽なんか無縁だったのにさ。それがきっかけでハードロックとかを聴いて、なんじゃこりゃと思って、一生懸命フォークギターでハードロックを弾いてたっていう(笑)それから音楽がおもしろくなってきて。兄貴はバンドを組んで、メンバーのなかにギターが上手い人が何人かいてさ。

島野:それって中学のとき?

池田:うん。それで兄貴のバンドの練習を見にいったんだけど、それで自分もやろうと思ったとき、なんかわかんないけど、ドラムだったの(笑)でも当時ドラムセットなんてないから、竹ひごをスティックにして座布団叩いて、ルーディメントみたいな(笑)当時はお小遣いもあんまりないから、スタジオなんて月に1回入れるかって感じでさ。初めて音楽スタジオに行ったとき、なんとなくギター、ベース、ボーカル、ドラムのメンバーが決まって、じゃあ合わせてみようってやったんだけど、そりゃめちゃくちゃだったよ(笑)めちゃくちゃなんだけど、大きい音を出してなにかをやるっていうのが初めての経験だったから、楽しいんだよね。じゃあこの曲、あの曲もやってみようってやり始めたのが、中2ぐらいかな。やっていくと、もっと上手くなりたくなって、コンテストに応募してみたりして。優勝すると、賞品をもらえたり、デビューできたりがあったから、それを目指してたよ。しかも当時住んでた赤羽って、ハードロック系のミュージシャンやバンドがけっこうデビューしてたんだよね。

島野:そうだよね、当時赤羽ってわりと聖地だったよね。

池田:そう。中学卒業後、同世代でギターがすごい上手いやつがいたの。中学のバンドで、デモテープを聞かせてもらったんだけど、すごいハイクオリティでさ、俺なんか収録なんて、スタジオ行ってテレコで一発録りぐらいのレベルなのに。でも彼のは、すごい音も綺麗で、コーラスも入ってて、なんでか聞いたら、やっぱり両親が音楽関係やミュージシャンだったりして、家にスタジオがあるんだよね。それから、もっといい音を作っていきたいなと思い始めて。当時は演者でやっていきたいと思ってたし、もっと上手いやつと音楽をやりたくて高校に行って。正直、高校に行った理由はバンドをやるために行ったようなものなんだけど、ブラバンに入ったつもりが、なぜかフォークソング部に入ったっていう(笑)でもそこでいろいろ知り合ったよね、シマちゃんとも。

島野:たしかに高校の先輩たちの演奏レベルは素人から見てもすごいと思ったよね。

池田:そうそう。先輩のなかにはオリジナル楽曲の制作をする人もいた。当時はハードロックとかヘヴィメタが好きだったんだけど、うちの高校ってファンクとか、フュージョンとか、ロックンロールとか、とにかくいろんなジャンルをやってる連中がいたので、すごい刺激になった。

島野:タケさんは高校のときから作曲してたんだっけ?

池田:理論はむちゃくちゃだったけど、なんとなく1曲できてる、ぐらいな感じのものは作ってたよ(笑)だけどそのあと高校卒業してから、自分で曲を作ろうって思ったときに、独学で勉強したんだよね。当時はピアノも弾けなかったけど。それで作った曲でライブしたよね。そのときにシマちゃんがドラムだったでしょ。

島野:そうだね。

池田:シマちゃんはそれからバンドを抜けるけど、ブラジル音楽に傾倒していったんだよね。

島野:うん。バンド長かったよね。会社員になったときまで一緒にバンドやってたし。23歳のときかな、サンバに出会ったくらいの時期に、OLODUM(オロドゥン)っていうグループのジュニアチームが東京でライブをやってたんだよ。偶然というか運命的に、それを見る機会があって。見た瞬間に、この音楽を絶対日本でやりたい!って気持ちになっちゃって、結果バンドを抜けた。バンドをやってたときは、プロのドラマーもいいなと思ってたけど、なんかぼんやりしてて、結局そんなに熱くなかったんだよね。すでに広告会社で働いてたし。そのときにちょうどOLODUMやサンバレゲエに出会って、やっぱり俺は自分が決めたこの音楽ですごいドキドキしたいし、させたいと思って、本能的にそっちを選択をしたんだよね。

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池田:当時はブラジル系の音楽って、どういう感じだったの?日本のシーンではけっこうメジャーだったの?

島野:今もそうだけど、メジャーではないね。

池田:サンバって、いろいろなアーティストがそのエッセンスをとりいれた楽曲を演奏してたりすると思うんだけど、そういうのはサンバなの?

島野:サンバといえばサンバというか…日本のアーティストに限らず、世界のアーティストでもブラジル音楽に惚れ込む人って多いんですよ。OLODUMに関しても、ジャズサックスプレイヤーの渡辺貞夫さんの協力が、彼らの来日を実現させていたりする。OLODUMだけじゃなく、あの感覚的な旋律やリズムって、強烈に惹きつけるものがあると思う。ブラジルはさまざまな民族から成る、多様な文化をもつ人たちが集まる場所だから、そのバックグラウンドから、音楽も独特の進化を遂げたような状態になってる。そこから生まれる旋律やリズムには、圧倒されるというか驚かされることが多々あって、おそらくそこに影響されたアーティストたちが多いんじゃないかな。

池田:サンバレゲエと渡辺貞夫さんがつながってるんだ。

島野:そう。渡辺貞夫さんもそうだし、THE BOOMの宮沢さんも、同じバイーア州サルバドールの音楽や芸術に魅せられているし、有名な日本のミュージシャンが数多く影響を受けてると思うんだけど、残念ながら「サンバ」っていうジャンルは、一般的にはワールドミュージックのなかにカテゴライズされてる。そして「サンバ」といえば、イメージとしてのサンバダンサーに結びついてしまうようなところがあって、音楽性に結びつかない。「ボサノヴァ」もブラジル音楽ではあるけど、たとえばカフェボッサみたいな、表層上の言葉やビジュアルでしか、多くの日本人のなかでの認識ってないんじゃないかなって思う。沖縄のイメージももしかしたら近いものがあるんじゃないのかな。「エイサー」といえばぼんやり浮かぶイメージはあるけど、たぶん沖縄での本当の「エイサー」とはなにか乖離したものになってる気がするよね。

池田:そうだね。サンバはショーとして人前で演奏することがあるでしょ。エイサーもあるんだけど、エイサーってもともと、旧盆のときにご先祖さまを迎えて送るっていう行事のうちのひとつなんだよね。だから決してショーではない。沖縄の言葉では、死んだ人が行くところを「グソー」というんだけど、エイサーはグソーの祭りなんだよね。お盆にご先祖さまが帰ってきて、太鼓を叩いて送ることが、もともとのエイサーの意味。だから本来めでたいところでやるものじゃない。でもいまはよく結婚式でエイサーをやってください、なんて話があったりして、本来の意味とはかけ離れてるよね。とはいえ、いまはそういうのもアリってことになってたり…旧盆の時期の3日間、現地で行われている青年会の行事のひとつとしてのエイサーを見ないと、それは理解できないし、沖縄の人たちにとっては生活の一部であって。だからこそ現地でしばらく暮らしたり、地元の人たちと馴染んで、そのなかでのエイサーを見ないと、本当のエイサーというのはわからないし、沖縄の音楽についても、そうだよね。このことについては、やっぱり現地との遠さっていうものがあると思うんだけど。ブラジルの話に戻すけど、いまシマちゃんがやってる太鼓だったり音楽っていうのは、原初的な、音楽の源流に近いものを感じるような音楽だと思うのね。音楽のもつ歴史からも、その響きからも感じるものなんだけど。そこからの日本との距離というか、遠さのようなものって、演奏するうえでは感じたりするの?単純なことでいえばノリみたいなものだったり、どうしても越えられないものってあるじゃない。そういうことにギャップを感じたことはないの?

島野:ギャップしかないよ。

池田:本場に行くといろいろ感じるよね。

島野:そうだね。いまはYouTubeなんかのメディアを通して、学べる素材が豊富な時代になった。でも根本的なグルーヴ感って、その場所に実際に行って聴いたり、現地での生活を経験しないと出せないと思っていて、いくらメディアが発達したところで、本質的に伝わらないことがあるし、肌感覚として感じられるものは再現できない。バハヴェントのメンバーにもよくいうのは、本場のリズムを本気で学びたいなら、もちろん音楽を学ぶために現地の学校に行ったり、カーニバルに出るのはいいことだけど、大切なことはむしろ、現地でのリアルな生活体験で、そこでなにを体験し、誰と出会うかっていう、その場所で取り込んできたことのほうが重要であって、音楽の経験だけじゃないところの部分がものすごく大切だということなんだよね。これはおそらくブラジルも沖縄も一緒なんじゃないかと思っていて、それこそ沖縄もさ、三線を弾きながら飲んで、歌って、紡いでいくあの独特の空気感というか、うちなんちゅの人たちの話してる会話とか、温度とか、そこで体験したことは絶対、その場そのときにしかない。なかに入って吸収していくことは、とても大事なんじゃないかなと思う。本気で文化を学びたいのであれば。ブラジルに行って、ブラジルに住んだ自分自身のいろいろな経験を通して改めて思うことは、ブラジルって他から来る物事にたいして、受け入れるキャパシティがとてつもなく広い。ブラジルの人のことでいえば、相手の意見や表現を決して頭ごなしに否定することをしない懐の深さをすごく感じるんだよね。そういったことが、音楽を含めた芸術文化の多様性や奥深さに表れていて、まさに多文化の共生が培ってきた、生活と文化が密接にからんでいる。それは現地での生活を通して学んだことかな。その懐の深さをもって、ブラジルの音楽や芸術文化は世界に多様な広がりを見せているんだと思う。

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島野:タケさんの沖縄音楽との出会いはどういうものだったの?

池田:曲を作ったりライブをやったり、長く音楽活動をやって、仕事としても音楽制作は続けてたんだけど、バンド活動がひと段落したときに、あんまり仕事と関係ないように楽しめるものはないかなと思ってさ。そのときにTHE BOOMの宮沢さんの曲とかを聴いて、あ、沖縄音楽っておもしろいなって思って。きっかけはそんな感じだったんだよね。そこから沖縄の文化にエイサーというものがあることを知って、じゃあやってみようと思って、東京のエイサーの団体に入ったの。そこの会長さんがだいぶ本場のエイサーが好きで、一度見にいってみようって言われて、実際に沖縄に行ったんだよね。そこで初めて本物を見てさ、謝苅区(じゃーがるく)青年会っていうところなんだけど。もう圧倒されちゃって、すごいって思って。こういうのをやりたいと思って、そこからどんどん入れ込んでいって。最初は太鼓を叩いてたんだけど、そのうち三線弾き、地方(じかた)っていうんだけど、これがいまその団体にはいないから、三線弾ける人はいないかって話になって。楽器はやってたけど、三線は弾いたことないし…でも三線買ってやってみようと思って、見よう見まねでやり始めて、歌もいろんなところで録ったものとか、CDを聴いて、とりあえず覚えてやってみたらさ、これがまたおもしろいんだよね。そこからかな、独学で三線をやり始めたのは。

島野:エイサーを聴いたときって、どういう感覚になった?

池田:なんかね、久しく感じてなかった衝撃。それこそ使い古された言い回しだけど、「雷に打たれた」みたいな。その謝苅区青年会は夜にやるんだけど、公民会から始まり、自治会がね、向こうでは「島」っていうんだけど、それが家々を回ってくるんだよね。火の用心が町内を回るでしょ。あんな感じで、太鼓を持った40~50人、いやもっと、80人ぐらいの青年会の人たちが回ってくる。謝苅は北谷町(ちゃたんちょう)なんだけど、坂が多くて、あたりはもう真っ暗よ。遠くから太鼓の音が聞こえてきたなと思ったら、向こうのほうから太鼓の集団がきて、音が近づいてくる。それでこっちにきたら、すごい人数が太鼓叩いて踊ってるの。あんな独特な雰囲気って見たことない。祭りとすら言っていいのかわからなくて、音もでかいし、サンバやってればわかると思うんだけど、太鼓の人数が増えたときの音って、ほんとにすごいじゃない。しかも一糸乱れぬ音で「ドゥーン」って鳴るんだよね。腹に響きながら目の前を通り過ぎていく。あの光景見たら動けなくなっちゃってね。向こうでいう内地、こっちでは当然そんなの見たことないし。一発でもう好きになっちゃって、その謝苅区青年会とか、本場で見た青年会のエイサーをこっちでもやりたいと思って、東京に帰って、当時はまだ踊りも少し創作が入ってたり、CDで流しながらやっていたことを変えて、ちゃんと三線を弾いてやってみようとか、本場のものを目指すようになったんだよね。

島野:俺もまさに同じで、「雷に打たれた」って、ほんとにそうなんだよね。ほかにうまい表現ができないんだけど、いい音楽やリズムを体感すると、全身が震える。もうなんかどうにもならない震えというか、ゾワーってなるんだけど、俺はOLODUMのショーを東京で見たときに、生まれて初めて「こんなやばいリズムは聴いたことねえよ!」って思って。その時のライブイベントの対バンが、なんか明るいノリのラテンバンドばっかりだったのと、事前に聞いたCDがポップな感じだったから、てっきりOLODUMも底抜けに明るいラテンサウンドかと思ったら、爆発力のある戦闘的なパーカッションサウンドとパフォーマンスに度肝を抜かれて、それで瞬間に「絶対にこんなかっこいい最強パーカッショングループを日本で作るんだ!」って強く決意したもの。で、あれからもう24年ぐらい経っちゃった(笑)

池田:やっぱり打楽器でしょ。OLODUMもエイサーも太鼓が主になってる。CDで聴いたら、それなりに完成されてはいるんだけど、生音の場合は空気の振動で、耳や腹に直接くるじゃない。とくに低音なんて絶対生で見ない限りは、本当の良さなんて絶対感じないよね。音楽の一番いい聴きかたって、機械的なものを介さない音が一番伝わるでしょ。太鼓をひとつ「ドン」って生で叩かれたら、その振動が来る。それをマイクで拾って大きくしても、そこに電気やデジタルが挟まっちゃって、別物になっちゃうんだよね。本場のサンバでもそうじゃない?当然カーニバルだからPAは必要だけど、ただ街中で打楽器のみでパレードする場合は生演奏でしょ。エイサーもショーでやるときはマイクで拾ったりもするけど、基本は生でやったりとかさ。そういうのを見るのと見ないのでは全然違うし、見るっていうより体感だよね。体感しないとわからないよね、やっぱり。

島野:タケさんの話を聞いてると、沖縄もブラジルも関係なく、同じなんだなって思うね。その体感をきっかけに、なにかを始めた人たちというか。俺もタケさんもそうだけど、文化とひとくちに言ってもいろいろあって、カポエイラやアート、ダンス、文学を含めた、ブラジルの文化に衝撃を受けて、ハマった人たち、もちろんタケさんの場合は沖縄文化に衝撃を受けた人、これからのrhyZmではそうした人たちにフォーカスをあてながら対談できたらと考えてます。うまくいえないけど理屈では語れない、感覚を大事にのめり込んでいく人たちを追っていきたいね。

池田:そうだね。衝撃を受けたところが出発点になったっていうことって、きっとあるよね。

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島野:タケさんは仕事でも楽曲制作やディレクションをしてるよね。仕事のなかで沖縄音楽への興味関心が生かされることはあるの?もちろん商業的な部分やクライアントの要望なんかもあるだろうから、あえてそこはうまく自分のなかで消化して切り分けるのか、もしくはそのエッセンスを入れたりするのか…

池田:仕事で創作する楽曲に関していえば、あえて分けてるね。クライアントは沖縄音楽なんて関係なく創作してほしいからね。そこに無理に沖縄のエッセンスを入れるのも違うし。ただし沖縄のエッセンスを入れてほしいっていう場合には、自分の沖縄の知識や経験は役に立つときもある。とはいえ、より本物に近い沖縄的エッセンスを取り入れたからって、それがクライアントニーズに合致していないようであれば、意味がないから。切り分けないと仕事にならないかな。

島野:なるほどね。たとえばさ、沖縄で感じた考え方とかが活かされるようなことってない?俺の話になるんだけど、さっき言ったように、多くのブラジル人は相手を受け入れる懐が広くて、どんな状況でもジョークを上手に使って、しっかり対話できる人たちだったんだよね。いわゆる場とか空気の作り方がうまい。

池田:コミュ力が高い?

島野:そう!異常に高い。コミュニケーション能力の高さはほんとに特筆すべきものがあると思う。べつに喋る仕事してるとか、そういう人たちじゃない人たちまでコミュニケーション能力が高いから、そうやって実際話して感じたことが、今の自分の仕事のスタイルに大きな影響を与えてる。僕は音楽を創作することはないので、タケさんみたいに切り分ける必要性っていうのはないんだけど、なんとなくだけど、沖縄もブラジルと似たようなところってあるんじゃないのかなって思ってるんだよね。勝手なイメージだけど…「なんくるないさ」って言うじゃない。おおらかさは感じるよね。沖縄で感じたものが仕事じゃなくても、普段の生活やスタイルに影響を与えたりすることってある?

池田:まあ、おおらかっていう、そういう感覚が好きだから惹かれるみたいなところはあるよね。少なからず影響は受けてるよ。よく言われることではあると思うけど、寒い地方での時間感覚と暖かい地方での時間感覚は違うってところとか。冬が長ければ1分1秒の重みが違うとかさ…いわゆる沖縄時間、みたいなものでの洗礼は受けたよね。「午後8時にお店集合」で、10分前に行ったら、待てど暮らせど誰も来なくて、電話したら「8時から出る用意するから、今シャワー浴びて10時ぐらいまでに行くよ」って言われて、9時くらいからぽつぽつと来だす人たちが俺を見て「早いね」って(笑)ビジネスでそれはどうかと思うけど、それぐらいゆったり、せかせかしないでやりましょうっていうおおらかさはあるよね。だけどそのかわり、バイタリティと行動力があるから、なんでもすぐにチャレンジするんだよね。たとえば「CDを作ろう」みたいな話があると、普通は制作前に売り上げがおおよそこれぐらいだから、1枚作る費用はこれぐらい、とか、そういうところから入るじゃない。ところがそうじゃないんだよね。CDなんて音録って盤に焼きつけて売ればいいんでしょ、とりあえずやってみようぐらいのノリで。そうしたことがあらゆる場面である。文化として流れてるもので、いまの沖縄の民謡のCDも、戦後で粗末な時期で機材なんかもないところから、とにかくみんなに音楽を聴かせたいって、まあ上手い人がいっぱいいるんだけど、演奏を街中でテレコで録ったものを、とりあえずドーナツ盤に焼いちゃって、そして売る。みんなもそれがありがたいから買う。大胆なんだけど、優しいというか。小さなことで責め立てる人がいない。俺が影響を受けたことは、昔なら、これはちょっとまだ…と躊躇していたことを、まあ悩むならとりあえずやってみるかとか、なんとかなるか、と考えだしたことかな。それを「てーげー」っていうんだけど。東京で言う「いいかげん」の意味の、向こうでは、いい意味でもでも悪い意味でも使われるんだけどね。ものごとをあんまり重く考えない、「てーげー」にやる感じは、影響されたところもあるかもしれないね。

島野:それはもう自分の生活のなかにも入ってる感じがあるの?

池田:そうね。「なんとでもなるよ」と思う人たちと長く接していると、自分が細かいこと考えていたことも大丈夫じゃないの、と思えるようになってるかもしれない。「生きてる限り死なないよ」って言われてるような、ね。まさに向こうはそんな感じだからさ。

島野:生きてる限り死なないよっておもしろいね(笑)

続く


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