タトゥーについての個人的見解
小学校高学年頃から自己肯定感の低さを覚えた、それは自分の外見に対しての自信の無さから生じる感情であることは認めざるを得ない。
特に自分の鼻筋の低さや荒れやすい肌に対してのコンプレックスはちょうど20歳になった現在も心に深く根を張り、不特定多数の人間が往来する街を歩く時でさえ「見られている」と一度意識してしまうと顔を覆って逃げ出したくなる思いになる。
写真を撮ることには心血注ぐことができるのに自分が撮られる側に回ると逃げだしたくなるとは何事か。
撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけでは。
そんなルッキズム的悩みが石ころのように頭いっぱいに詰まり、あんまり重いので自分との比重がうまく取れずふらついていた去年の11月頃、同郷の朋友であるT君から半年ぶりに電話が入った。
「俺タトゥー入れたから来週見せに行くわ」
タトゥー⁈
ゆっくりと変化はしつつあるが、彫れば日本では未だ社会的マイノリティの立場に立たされることとなるタトゥーを入れた彼に対しある種尊敬のような感情があった、と同時にまだ入ってはいないもののタトゥー・カルチャーに元来興味があった私は来週家で撮らせてほしい、と頼んだ。
初めてタトゥーというものを間近で見ながら撮影して印象深かったのは、身体にしみ込んだインクとしての生々しい格好良さと自分の生き方に自分で責任を取る固い決意だった。
社会的不利になる自己満足と片付けてしまえばそれまでだが、本当の自分を押し殺してまで社会に認めてもらおうとは私は思わない。人の目を気にするほど人生長くないしやりたいことを今始めないと。
その撮影以来、私はタトゥーが最上級の自己愛の表出であると考えるようになった。
前腕がいいかな、カメラ構えたら目に入るし。
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