なんでもない写真に見る、シュルレアリスム的性質
無意識で、何か特定の行動を行ったり言葉を話したりしてしまった経験が皆誰しもあると思う。
そんな無意識という概念を初めて提唱したのは19世紀、オーストリアの神経病学者であるフロイトだった。
彼は意識よりも無意識のほうが、優れて様々な記憶や感情を持つにもかかわらず、普段は意識のもとで抑圧されていると考えた。
時たま、眠っているときに夢を見たり不意に何かをしてしまうのは(幾分屈折した複雑な関係ではあるが)その人の純粋な思いの表れであるというわけだ。
この思想がシュルレアリスム・超現実主義として形になり文学、芸術、映画分野など多岐にわたって派生した。
超現実主義を軸とし、詩や写真、絵画の前衛を切り拓いた日本の芸術家に瀧口修造氏、阿部展也氏、大辻誠司氏、牛腸茂雄氏がいる。
シュルレアリスム写真はどのようなものであるか瀧口修造氏は自筆文献で端的な言葉を残している。
「超現実主義とは必ずしも実在を破壊加工するものではない。日常現実のふかい襞のかげに秘んでゐ美を見出すことであり、無意識のうちに飛び去る現象を眼前にスナツプすることである。」
多くの人が気にも留めない光景の前で足を止め、その中に美を見出すこと、本人の直感に多くを委ねることが無意識の発露につながると瀧口氏は考えていたようだ。
現代において、SNSに大量に流布する”映え"た写真は本人の直感よりもその対象に突き動かされて撮っている節があると思う。
撮れと言わんばかりの派手な演出や色彩は、俗悪とまではいわないがほんとうの写真でないことは確かである。
忙しい現代人にとって大切なのは、村上春樹氏の一節を借用すれば、「ゆっくり歩く、たくさん水を飲む」ことではないだろうか。
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