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掌編小説「父のこと」

「大谷がまた打ったな」

 ほぼ二週間ぶりに一人暮らしの父の様子を見にやって来た私の顔を見るなり、父は満面の笑みを浮かべて言った。父にとって、テレビでメジャーリーグの野球観戦をすることが、大きな楽しみのひとつなのだ。私たちはテーブルを挟んで父が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、しばし野球談議に興じた。

「ドジャースの優勝で決まりかな」と私。
「ああ、ただでさえ強いチームに大谷が来て、さらに強くなったからね。優勝争いより大谷が何本打つか、そっちの方が面白いよ」と父。

 父はさらに続ける。

「メジャーの野球を観なれると、日本のプロ野球は物足りないな。スピードもパワーもまるで違う」

 私は父のおしゃべりを聞きながら、観察するように父を見た。表情も朗らかで血色もいいようだ。野球観戦と読書、それといつも畑で採れた野菜を差し入れしてくれる近所の農家の人たちとの語らいが、父の日課になっている。

 母が亡くなって一年と半年が過ぎた。母の葬式で父は少年のように泣いた。弔問に訪れた親戚や知人に縋りつくようにして。父と母は息子の私から見ても仲睦まじい夫婦だった。友人と呼べる人もさほど多くはない父にとって、母は最も親しい友人のような存在であり、生きる支えであり、張り合いでもあった。母を喪ったときの父の心情はいかばかりだったろう。私は声を上げて泣く父の姿を見ながら思ったものだ。この悲しみが、やがて父を母のもとへ連れ去ってしまうのではないかと。妻を失った夫が、後を追うように亡くなる話はよく聞くものだ。

 しかし父は踏みとどまった。悲しみの奔流に抗うようにして。父の年代の男性には珍しく、父は家事が得意だった。料理はもちろん、洗濯や掃除、食材の買い物など、定年退職してからはそれが父の主な仕事のようだった。晩年まで働いていた母には大助かりだったろう。

 それは母が亡くなった後も変わらなかった。父は自分だけの食事を作り、掃除をし、洗濯も怠らなかった。悲しみが癒えたわけではない。母への思いが溢れて、父が涙を流しながら包丁を握り、洗濯物をたたむ姿を私は見てきた。父はそれでも日々の習慣を守った。母が生きていたころと同じように生活の形を保つこと。そうすることで、父は心が折れようとするのを必死に耐えていたのだろう。

 離れて暮らす私には、時おり訪ねては父の様子を見守るのが関の山だが、父は私にそれ以上のことを求めようとはしなかった。

「この前、古い写真を整理していてね、こんなのが出てきたんだ」

 そう言って父は読みかけの単行本の間に挟んだ一枚の古いモノクロの写真を取り出して、私の前に差し出した。一見、芸能人のブロマイドのように見えるが、それは若かりしころの母のポートレートだった。写真の中で母はバラの花を片手に添え、やや横向きで笑みを浮かべてカメラを見つめている。

「まるでヘップバーン気取りだ」

 父が笑いながら言いう。

「ずいぶん若いね。いつごろの写真だろう」
「俺と知り合う前だな。そう言えば昔、この写真を見せて自慢してたよ。映画女優みたいでしょうって」

 それはまさに母の青春時代の姿がそこにあった。私の知らぬ娘のころの母の姿が。そして、この母を見初めた父の青春も同時にあったのだ。ともに未来を見つめ、希望を抱き合った若い時代が。父を支えているのは、あのころのけして色褪せることのない想い出なのかもしれない。

「最近、母さんなかなか夢に出てこないんだ。少し前はよく出てきたのにな」

 父はそう言って冷めかけたコーヒーをひと口すすった。

「よほどあちらの居心地がいいんじゃないかな」

 私が冗談交じりに答えると、父はむしろ真面目な顔で言った。

「もしそうなら何よりだな。でも、たまには会いたいよ。夢だとしてもさ」

 私はあらためて思った。父の心の痛手は癒えてなどいないのだ。どれだけ時間が経とうとも、悲しみが消えることはない。ただ父の中でその形が変わったのだと思う。心をかき乱す混沌とした荒波から、静寂な湖面のさざ波へと。きっと人には生きるためのそんな力が備わっているのだろう。私は父を見ながらそう思った。

「夕飯食べていけるんだろう。もらった野菜でカレーでもするかな」

 父はそう言うとキッチンに立ち、コメを研ぎ始めた。


                        ――完―― 


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は半分がノンフィクションです。
今日、亡き母の三回忌を済ませました。
父は今も元気です。                 

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