大学では何を学ぶ?

 大学で教えていると、到底大学の講義を聞けるほどの学力がない学生が意外と多いことに気づく。理由は各自千差万別であろうが、「友達作りたい」というのも重要な動機の一つのようだ。学生の層も専門学科によって異なるが、同じ学科でもたまが揃わなくなて久しい感じがする。

 とりわけ顕著なのは、大学を就職予備校のように考えている学生が多いことだ。こんな時勢ですから理解できないこともない。しかし、大学で就職予備校的な出会いを求めるのなら、4年も要るだろうか?!むしろ専門学校の方が専門機能的で実質的なスキールを身につけることができるだろう。今の大学にどれくらいの社会的な認知度があるのかわからないが、通う価値があるのだろうか。気になる。

 僕が奉職した1991年の大学設置審の設置基準によれば、当時の学士号は29種類だった。規制緩和により設置自由となると3年後の1994年には250種類と急激に増え、1997年には348種類、2000年には444種類、2005年に554種類、その後更に増え580種類となった時点で増加数を追うのをやめてしまった。あまりにもつまらなさすぎるからだ。得体が知れない怒りのような悲しみのようななんだか寂しい感じがしてやまない。

 規制緩和以降新たに誕生した新学科は新しい学問が「誕生した」わけでは決してない。ただ、学際的な研究といって2つ以上の専門領域をただくっつけただけの4文字学科、あるいはおしゃれ効果を狙ってかカタカナ学科が全国に反乱するようになった。観光産業・国際文化とか〇〇マネージメント学科・〇〇ビジネス学科という具合だ。学科の名称が幾何級数的に増えたからといっても、新しい学問分野が「増えた」わけでは決してない。ただ魅力的な(?)受験生を惑わすようなネーミングになっただけなのだ。

 新しい学問分野がいとも簡単に生まれるわけは決してないのに、名前だけを変えて顧客を呼ぶのは商取引では反則だろう。

 夜の光に森の虫たちが群がるように、このようなまやかし的なネーミングに惹かれて来ている学生も少なくなかろう。推薦入試で面接をしていると「僕は勉強するために大学に来るわけではありません」と断言する学生も今まで数名いた。このような時代になった。

 大学では、高校生時分では想像できない分野に触れてほしい。大学とは大学でしか学べないものを学ぶ場所であってほしいのだ。専門学校等と競合すると民業圧迫の恐れもあるのでやめてほしい。それでは経営が成り立たない?のなら規模を縮小し、中身の濃い大学にしていってほしい。

 僕が心配する必要もないだろうけれど、教壇に立っていると日本の将来が案じられる場面に多々出くわす。まず、大学生の国語能力・語彙力に深刻なダメージがあることに気づく。まともに文章が書けない学生が多すぎる。文が荒い、主語がない、主語と述語の関係が無茶苦茶などなど。深刻な文字離れも気になる。本を読まない学生もかなり目立つし、読むとしてもハウツー本が多い。

 会話がほとんど悲鳴のような単語で会話が成り立つ場面も多いと思われる。「へえ〜マジ?」「うける〜〜っ」「超面白い!!!」という感じだ。 

 地方の公立大学に集まる学生がこんな状態なのだ。大学生の言語能力・語彙力についてはどこかで議論するんだろうか。


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