村上春樹「ふしぎな図書館」の羊男さんが好き
羊男さんがすきです。どれくらい好きなのか、そしてどういった好きなのかというと、いままで読んだ小説にでてくる登場人物のなかで一番すきで、誰にもそのことを教えていないくらいにすきです。ユニクロで販売されたピンバッジももっています。ほかにわたしがあつめたピンバッジやキーホルダーはどれも、大すきなアートにまつわるものなので、キャラクターの羊男さんはとくべつです。
羊男さんがすきなことでわたしの好みがわたしの中で、はっきりしています。やさしく手をつないで、さきを歩いてくれる人がすき。それはギュっとつかんでも、フワフワしている手がいい。休憩時間をたいせつにする人がすき。プレーンのドーナッツがすき。ドーナッツはスプレーチョコがかかっているのとチョコレートのオールドファッションがすきですが、羊男さんのさし絵のドーナツににたプレーンのドーナツも買います。(いつも太るなと思っています)
羊男さんがドーナッツ屋さんをするなら、わたしがお店に必要なことをぜんぶやります。ドーナツを売ったり、お客さんと話しをしたり、お金の計算をしたり、せんでんをしたり、お皿を洗ったり、そういうことをぜんぶやります。ドーナツをもちかえる専用の袋をかんがえたり、SNSをしたり、羊男さんのドーナッツのイメージにぴったりなおみせの内装をデザインすることだってやります。羊男さんはおくでドーナツを揚げていてください。ドーナツ屋さんは月に2、3日だけやすんで、まいにちたくさんの人におみせにきてもらいましょう。
羊男はふつうの人とはちょっとちがうから、ふつうの人が行くようなところには、二人では行けないかもしれないけれど、空気がよくてかい物にもこまらないところに、人気のドーナツ屋さんと、ずっと住めるいえがあればこまりません。
朝にドーナッツのしこみをして、お昼におみせをあけて、夜におみせをしめて、人目につかないじかんになったら、手をつないで二人で家にかえりましょう。それから夕飯をいっしょにたべて、寝るまえにお茶とお菓子をたべましょう。(太りそうです)歯磨き粉にもいいアドバイスができるとおもいます。わたしは矯正をはじめてから、いい歯磨き粉に出会って、それを数種類も使いわけていますから。
わたしはいつからか、手をつないで「行こう」といってくれる人があこがれでした。むかしみていた「ウォーターボーイズ」というドラマで、やさしい年下の男子学生がつよきな年上の女子学生にふり向いてもらおうとしていました。年上の女子学生は「手をひいて公園までつれていってくれるすこし強引な人がタイプ」だったらしく、年下の男子学生は失恋していました。それが心にやきついていて、それから一度もそのドラマをみていないのに「手をひいてつれていってくれる」のところを、一度もわすれたことがありません。よほどそのときになるほどと思って、おぼえているのだとおもいます。それからはどういう人が好きか、きかれると、どういう人に手をひいてもらいたいのか、考えてそれを答えにしています。「ふしぎな図書館」で羊男さんをしってからは、どういう人がすきかこたえるときに、思いうかべているのは握っているのにふわふわしている、あげたてのドーナツのようにあたたかい羊男さんの手です。
わたしは図書館の奥で、わたしの手をやさしくひいてくれた、羊男さんがすきです。行きさきは牢屋でしたが、つらいところにも優しくつれて行ってくれる、羊男さんのことをすきになりました。わたしは人の好ききらいは、食べ物の好ききらいとおなじくらいありません。食べ物のすききらいが多いと人のすききらいもふえるからと、両親がわたしのすききらいをなくしてくれました。おかげでレストランを選ぶのにこまりませんし、だれかといっしょなら相手の食べたいものにあわせてなんでもたべられます。ほんのすこしにがてな食べ物もありますが、どれも普通のレストランのメニューにない、めずらしい食品です。ですからにがてな食べ物をきかれても「とくにないです」といいきれて、にがてな食べ物をかくしていてもなにも心配になりません。
ですが、人づき合いをするなら、わるいシチュエーションをすこしでも良くすることができる、人とつき合うのがいいとおもっています。だって、どんな状況も良くしないと良くならないし、ときどき悪いことがおこったら、良くするしか良くする方法はないじゃないですか。良い状況はだれかが良くしてくれたおかげで、良い状況がうまれているわけで、悪い状況はそれを良くする人がいなくて、悪いままなわけです。羊男さんは暗い牢屋でも、ライトをそっせんしてつけてくれて、それで牢屋のしょうたいがありありと照らしだされても、明るい言葉をえらんでくれました。わたしはそういう人が、とても好きです。
それにドーナツを揚げて届けてくれるなんて!わたしの母はじぶんの子どもが口に入れるものをきびしくチェックする人だったので、わたしはドーナツにかぎらずお菓子とはあまり縁がありません。こどものころのおやつは、いつも母がすくない砂糖でつくってくれたケーキやタルトでした。油がつかわれたお菓子はかってもらえませんでしたし、母はつくってくれませんでした。ですが父は、母にかくれてわたしを甘いお菓子がたべられる、カフェやレストランにつれていってくれたので、わたしは母のしらないあいだに、甘いお菓子をたべてすきになっていました。羊男さんは手づくりが得意な母と、甘いものをたべさせてくれる父の二人のよさがあわさった、ナイスガイです。すくなくともわたしにとっては。
ドーナツを揚げる羊男さんが不思議な人でもわたしには、変わった人におもえません。たとえこわい人につかまりそうになって恐怖をさえぎる、壁にされても、近づかれた体が羊みたいに、モコモコしていたらゆるしてしまいます。いつもは、いっしょにいる人が動揺したら小さな体でも、ささえてくれる。そういうところをしっていたら、時と場合によっては、うしろに隠れられてもガッカリしません。むしろ、羊男さんは人なみに痛いのがこわいくらいの、ふつうなところもあるくらいがいいんです。羊男さんもちゃんとふつうの人なんだなっておもえて、あんしんします。
わたしは羊男さんの、人がおどろいたらその人がおどろきおわるのを待つ、性格をなみのひとではないとかんじて、かんがえることがあります。わたしが人のリアクションに、すぐにあわせてリアクションしてしまうからです。そういう風にするのがいいと、スポンジみたくきゅうしゅうしていて、みについているからです。わたしはそういう人間でも、受験勉強のために塾にかよいはじめて勉強をおそわった何人かの先生のなかで一人、一つ年上だった先生は、人がリアクションしおわるのを待つ人でした。その先生はとても勉強ができる人だったので、それから人のリアクションがおわるのを待つ人の頭は、計算機におもえてしまいます。お菓子をつくるひとの頭は、精密にできていると母からならったので、羊男さんはそうみえないだけで、じつは頭が計算機みたいにしっかりしていると、いつもそう思いながら読書をしています。
それから「かわいそうだとは思うけれどさ。」と言ったのは衝撃でした。わたしはじぶんのかんがえで、わかりきったことは口にしないようにしています。できませんし、社会のマナーだとおもってまもっています。ですからそういうことを口にする人に立ちあうと、心のなかではギョッとしますが、その、ギョッとしたことが悪い空気をつくらないので、いつもおどろいてからとてもすごいと、おもってしまいます。そういうたまに、心をギョッとさせてくれる人とは、長くいっしょにいても心が、あきません。
羊男さんがほかの村上春樹さんのいくつかの作品にも、登場していることはしっています。しかしそうとはしっていてもそれを選んで、読むことはできません。村上春樹さんの本に登場する羊男さんは、どれもがどれも、わたしがしっている羊男さんではないかもしれません。ひさしぶりに会えるとおもって読んで会うのは、私のしっている羊男さんじゃない、それぞれの世界にいる羊男か、パラレルワールドの羊男か、年齢がちがえば性格も変化していて、図書館にいない羊男さんは別人の、ちがうじんせいをあゆんだ羊男だとおもいます。
わたしは「ふしぎな図書館」の羊男さんがすきです。いこうと言ってつかまれた手の感触。湯たんぽがはいっているミトンのようか温かさの、骨も、筋肉も、血潮も、関節も、爪も、かんじない、ふわふわとにぎってもつぶれない中くらいの手(わたしの手は平均男性にちかい大くらいの手です)。わたしは羊男さんといっしょに、図書館の休憩所のベンチにすわってドーナッツを横にならんで食べたいと思っています。ドーナツを口に入れて、おいしいリアクションをする脳内練習もしてあります。そんな日はこないと思っていますが。
「村上春樹「ふしぎな図書館」の羊男さんが好き」完
©2023陣野薫
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