【自分に置き換えて考えてみる】
遊び出す2割がとても気になる1週間であった。
集団に目を向け、上位2割の層を動かすことを考え、語りかけてきた。
子どもたちに「任せる」と、真面目な集団と、不真面目な集団に分かれる。そして多くが不真面目な集団。
というか、不真面目に見える集団。
で、そもそも「なんで遊び出すん??」という気持ちが湧いた。目標を提示し、集団を育てようとする「教師」からの目線。
でもさ、自分だったら遊ぶよなって思う。ww
相当な信頼関係というか、尊敬というかがあるなら別。
あの先生に見限られたくない!!って思うから頑張る。
でも、出会って1年にも満たない急に現れた上司程度の関係の先生。ましてや、人には相性があるわけでしょ?
自分が子どもだったそう簡単に、この人についていこうとは思わないかなあ。
そんなこんなで自分の小学生のころを思い出してみた。
小学校って不思議なもので、足が速いだけで支持率を集める。
サッカーを始めた小学3年くらいから、遊びの中心にいる系男子になった。
幼稚園とか、低学年の時は、内気。
幼稚園でのサッカースクールでは、負けるのが嫌だから試合には行かないという軟弱ぶりである。
でもその内気ゆえに、静かに絵を描いていたから、なんか絵もうまくて、姉ちゃんがいたからか、真似して書いていた字もそこそも綺麗。
高学年になるとただのサッカー少年みたいなくせして、意外と器用なんかい!!みたいな感じ。
担任の先生からも「リーダーになったらみんなついてくるよ!」的な感じで、リーダー性とをかわれる。
でも、リーダーなんかしたら、大変そうだし、面倒くさいから、やたたと副班長とか、副キャプテンとかにポジションをとるこずるい奴で。
休み時間にサッカーをすることしか考えていない。
雨の日でもサッカーができるように新聞紙を丸めた教室用のボールをつくっていた。
どんだ迷惑である。
先生たちから求めらるリーダー性を使ったのは、大体いたずらである。
学校の屋上階段に机を積み上げ、秘密基地を作り、遊戯王カードを持ち込んで遊んだ。
#今ならわかるが日直の先生に即バレるやろ
屋上にボールを蹴り上げて乗せれた人が勝ちゲームもした。
給食のスプーンを力尽くで曲げる剛力マジックも披露した。
学校のサッカーボールをパクって、スプレー缶で塗ってマイボールにもした。
図工のスケッチで椅子に使った、人の家の大谷石を川に滑り落として遊んだ。
虫がねで、あらゆる黒い部分を。はい。
そんなことは1人でできるわけもなく、いつも友達と。
そんな少年が、任されて遊ばないはずがないし、先生の思いとかマジで知ったこっちゃない。
「全員達成」と言われてもピンときてないんじゃないかな。
「先生」の期待とは全く逆の行動をしまくって自分が、今は「先生」になって、遊び出す子に内心いらいらして。
なんとも勝手な奴だとつくづく思う。
「遊び出す子」「教師の言葉が届かない子」がいて、当然じゃね。
でも、友達の言葉がきっかけで、ちゃんとやんなきゃなって思ったこともある。
だから、遊び出す子もいるけれど、それにちゃんと声をかけてくれる仲間と出会える場は作り、長い目でみていかないとね。