【特別支援教育の視点】
今年度の失敗の原因をぼんやりと考えていて思った事は、特別支援教育の視点がたらなかったことが1つかなと。
やっぱり、これからを考えても、クラスに一定数特別支援教育の視点での支援が必要な子供たちがいると思う。
どうしても暴力的になってしまったり、思っていることを衝動的に言葉に出してしまったり、こだわりが強くて、ある特定の活動にだけ参加できなかったり。そういったことが、当たり前にあるんだなぁと思う。
今年度のクラスは、まさにそれだったと思うし、何より僕自身の関わりや支援の仕方の引き出しの少なさや、知識の少なさがもろに出てしまったんだなと思う。
それに気付けただけでも、価値のある1年間だったと思うが、いまだに成功法は見出せてないのも事実。1年前に戻ったとして、今だったらこういう関わりをするのにとはなっていない。
だけれど、この関わり方をしちゃダメなんだなっていうのは、いくつか手に入れた気がする。
やっぱり僕自身の知識や経験や武器がめちゃくちゃ少ない。結局、強い指導だとか、熱量で押し切るとか、その程度の武器しか持ってないんだなぁと痛感した。
そして、そういった失敗の関わり方をそれぞれの子にしてしまうと、その子たちとの関係が悪くなるのは、もちろん、周りの子たちとの関係も良くないものになってしまう。なぜなら、周りの子たちは僕の不適切なアプローチを振る舞いを見ているから。
確かに、個人へアプローチするのではなく、集団にアプローチをするのだけれども、集団にアプローチするために、個人との関係が崩れてはいけないんだなと。
だから、手段として特別支援教育的な視点での関わり方の引き出しや知識を入れていかなければならないんだなぁと思っています。
4月の振り返りや学級通信を読み返していると、かなり丁寧に入っていたことがわかる。あらかじめ、配慮が必要だと言われている子と、そんな出会いをするかを、事前に考えて出会いの場面を作っている。
また、不適切な行動があった場合に、このようにしてみる!のような作戦を立てて関わっていたのも事実である。
だけれど結局、叱責とか強い指導とかに頼ってしまった部分があって、それは自分の弱さだし、焦りもあったことが表れている。
この経験を失敗で終わらさず、成功の材料にするためにも、今一度仮に1年前に戻ったとしたら、どんな関わりをしていくのかを考えて、新しい引き出しとして武器を装備できてこそ今年度が報われる気がする。