【あの日、友達からの言葉で僕は救われた】
高校からの、いや小学校の時からサッカースールのつながりで知っていたけれど、まあとりあえず高校の時から仲良くなった友達と昨日会って、話したり買い物をしたり、それとなく過ごした。
僕にとっては、本当に大切なつながり。
今年度、本当に苦しくて、死にそうになり、やめそうになり、そんな日々の時もいっぱい話を聞いてもらった。
仕事は別だけれど、彼も挑戦しているし、苦しい日々もあったりして、話を聞いてもらうだけでこれほどまでに救われるのかと思った。
こんなありがたい経験をしてしまっているものだから、子どもたちにも本気で、心の底から、話を聞いてくれたり支えてくれる仲間をもつことこそ一生涯の幸せに大切なのだと語れる。
それで、こんな話になった。
今では「こんなこともあったねえ〜」なんて思い出話程度にもなるけれど、あの時は全く笑えなくて、目の前が一瞬で真っ暗になった。
3年前の2月27日。
突然の全校学校休業。
新型コロナウィルスによって。
安倍総理の緊急会見を、職員室のテレビでみた。
僕は6年生担任で、クラスとして5年からもち上がったクラス。
何よりも大好きで、大切で、今でも大好きで、これからも大好きなクラス。あの時のみんなが僕に先生って仕事の素敵さを教えてくれた。
そんな大好きなクラス。初めての卒業生。
ちょうど、2月いっぱいで授業の内容も終わし、「よーしっ!!!最後悔いなく終わるためにやりたいこと全部やろうぜ!!」って時だった。
それが、あの日突然明日で終わると。
信じられなかった。
職員室で人目も気にせず涙が出てきた。
慌てて教室にこもった。
時間は18時を過ぎたくらいだった。
でも何かしなくちゃ。
でも何も思いつかなくて。
でも何かしなくちゃ。
とりあえず多くの先生方のおかげで最終日の翌日に6年生を送る会だけ、実施できるようになった。ありがたかった。
その後も何かしなきゃと思ったが思いつかず、
当たり前に、明日も、その次もみんなに会えると思いながら書いていた黒板のメッセージを消し、
明日で終わる、最後の黒板メッセージに書き直した。
何にもしていないのに、時刻は22時くらいになっていて、とりあえず家に帰った。
最後の日。
朝、教室で涙するクラスメイト。
僕も思わず涙が出てくる。
「おはよう!!」といつものように入ってくる子も、すぐにこれが当たり前じゃなくなることを感じとっていた。
それをみてまた泣けてきた。
クラス全体は、2年間で一番悲し身に溢れた雰囲気。
みんな、このクラスをこの仲間を本当に好きでいてくれたのだと思う。
涙、涙の最後の語り。
みんなで思いきり泣いて、思いきり送る会を楽しんで、思いきり遊んで、写真を撮り・・・
そんなことをしていると、なんだかこの感じが来週の月曜日も当たり前に続きそうな感覚におちいって、
笑顔で、また来週!!って感じで、「さよなら」した。
そして、終わりになった。
その時は卒業式もできるか分からない状態。
次の日の土曜日、1日も欠かすことなかったジョギングの最中、初めて走れなくなって、力が入らなくなって、歩いてしまった。
夜になり、まだ現実を受け入れられない。
一人暮らしのベッドでただ横になっていた。
電話がなった。
その時、連絡をくれたのが、昨日あった高校からの友達。
最初、抜け殻状態だったし、出るか一瞬迷ったが出てみる。
僕がそのクラスのことを大好きなのはもう知ってくれていたから、気にかけて連絡をくれた。
でも、湿っぽくなく、だからといって変に明るくするわけでもなく、本当にいつもみたいにくだらない話ややりとりをして、笑って、少しずつ我に帰ってきた。
そして、「今からうちくる?飯食う?」と言ってくれた。
向こうの奥さんも快くむかえてくれた。
お家にお邪魔して、めっちゃくちゃ話をした。
とにかくいろんな話をして、「俺にできることがあったら言って?」と言ってくれた。
その言葉で火がついて。
僕のことをここまで気にかけてくれて、力になってくれようとしている仲間がいるのに、何僕がいつまでも下がっているんだと。
ここで
「なんだ!!かえって休校があってよかった!!!!うちらの代ラッキー!!!!」と思わせることに全振することを決めた。
それから、みんなで制作するはずだった第二弾ミュジークビデオ動画を編集しては、その友達の家のPCを借りては、D VDのジャケットをデザインし、プリンターを借りて1枚1枚印刷した。
その梱包も手伝ってくれたりして。
僕は僕で、全員に3・4枚の手紙を書き。
黒板に似顔絵をこつこつ書き出した。
大きな模造紙に、これでもかとこのクラスのすごいところ、大好きなところを書き殴った。
こんなに時間のかかること、普通に卒業を迎えていては絶対にできない。
休業があったから、できたこと。
「かえって休校があってよかった」と思わせることに全振できたのは間違いなくその友達の電話が大きい。
あれがなかったら、どうなっていたのだろ。
そんな思い出話をした。
やっぱり一生涯の幸せは、仲間とのつながりだ。