【歪んだつながり】
どれくらい響いたから分からないが、今日は個別に話をした。
体育のバスケで線を出たとか出てないとかでトラブルになった2名の児童。
それがきっかけで、喧嘩というより一方的に嫌がらせをするという事案に。
全体では昨日書いたように、
目的は争うことではなくて、折り合いをつけることだという話を朝再度した。
またそのためには許すこと、そして話すことが欠かさないこと。
意地悪をしたって、悪口を言ったって解決や折り合いに向かうどころか真逆に進む。それどころか、その振る舞いを周りが見ているから、周りからの評判が下がって損であることも再度話した。
その後に、1人ずつ話をした。
何よりここが闇なのが、一方の児童にはつるむ児童が数名いること。
何をするにもベタベタとくっつき、不自然である。
尿意はそれぞれなのに一緒にトイレに行くなんて不自然だろ?という話も全体にしたし、固定化したつながりでは新しいつながりも生まれにくいから損であること、また一緒にいすぎることでいいところだけではなく嫌な面も見えてしまうことも話もした。
それでも異常につるむ児童が数名いる。
その数名も一緒になって、トラブったもう一方に数名で嫌がらせをしていた。
そのくっついている側に児童から話をした。
結論、怖いという。その中心児童から離れると、自分も責められそうで怖い。すぐ怒ったりするところが嫌だ。責めるのを見ると、やりすぎだと思うし、見ていて嫌な気持ちになることもあると話してくれた。
その中心人物の子が好きなのは確かだ。
みんなの憧れだし、尊敬もされている。
いつも笑って優しいその子のことがみんな大好きなのである。
でも少しずつそのバランスが崩れていおり、対等ではない関係に。
中心事物の子が、自分は偉いと勘違いしてしまったのか。
それもあるが、周りがその子やそのコミュニティの振る舞いを一番近くで見ていたことが大きい。
誰かの悪口を言うことをそばで聞いている。
自分も乗らないと、そんな悪口を言う人なんだもん、離れたら自分も言われそうで怖い。
離れられない。
誰かを責めている場面や意地悪している場面も一番近くで見ている。
そんなことをする人だもん、仲間でなくなったら自分もされそうで怖い。
そりゃ離れられない。
異常な執着はこれが原因だった。
仲間であることが目的ではない。
自分を守ることが目的。
そのために仲間側であろうとするといった側面が少なからずあった。
その上で、くっついている子たちには、歪んだつながりをしていることで、自分も多くから嫌がらせ側だと思われてしまうことが損。
一緒にいると、クラスの多くは「意地悪する人たちの1人」として見ること。また、程よい距離感でつながることを進めた。
あらゆるつながりをもっていることで、新しく安心できる場が複数あることで、一つのコミュニティへの執着度はえる。
また、せっかくその中心児童のことが好きで、素敵なとこも知っていて、尊敬するところもあるのであれば、嫌な部分も一緒に乗るほど、そんな嫌な部分を見なくてもいい距離を保つことも進めた。
中心児童に対しては、周りにどう思われているか聞いた上で、周りが実際に思っていることを伝えた。
もちろんマイナスな評価だけではなく、一番大好きなのはよく笑って優しいところだということも。
むしろそっちがメインである。
そんな歪んだつながりや、偉いという勘違いや大きく損していることを伝えた。
何よりそんなみんなに尊敬される君には損をしてほしくないという本音も伝えた。
そして、振る舞いを今一度見直してみることを進めた。
本人は「うん」と言ってくれたが、すぐ改善はしないだろう。
これからは、個人個人に話した内容を、クラス向けに変換して、繰り返し語っていく。
「あ、あのとき先生いってたことか?」
「これ自分のことか?」
と少しでも気づき、振り返るきっかけを繰り返し繰り返し与えてく。
縦割り班活動は、6年生を送る会で贈る6年生への色紙作りが終わったら、そのままの流れで異学年で遊ぶ班が続出。
判断がイケている。
「ドッジボール?投げるの苦手?じゃあ三本線とかケイドロ??」下学年の気持ちによく寄り添いながら、遊びを決め、素敵な振る舞い。