【みんなピッチャーやりたいじゃん?】
新学期が始まって、約1ヶ月が終了。
6〜8割の感じで始まれてはいると思う。100点を、いや120点を叩き出そうとした昨年度の反省を踏まえて、8割合格で過ごしてきた。
だから、いい感覚ではある。
100点を出しに行こうとすると何が良くないかって、余裕がなくなること。
この仕事は、余裕をかにもてるかがとっても大事だなって思う。
#実際は余裕なんかないことがほとんどなんだよ?
余裕がないと、じゃあ何がまずいってこっちが球を投げ続けちゃうところ。
「こうじゃない?」「この方が良くない?」「こうしたら?」「こうしよう!!」聞いて!聞いて!聞いて!聞いて!!になってしまう。
なんとか変えよう!よりよくしよう!!って思えば思うほど、聞いて!聞いて!にいなってしまう。
相手の気持ちもじっくり聞かずに、投げ続けてしまう。
まだミットもつけてないのに投げ続けられて、キャッチだけさせたれるキャッチボールなんて子どもからしたとんでもない。
やめます!って逃げようとしようものなら、「自分を見捨てるなー!!」って言って追いかけ回されて、「なんでキャッチしてくれないんだ!!」ってまだ球を投げてくる。
そりゃ分かってくれないこの人、ってなる。
当たり前のことだけれど、話を聞いてくれない人の話を聞こうとは思わない。
でも余裕がないと、ついつい投げちゃうんだよね。
というか言って変えようっていう時点で、子どもをみくびっているよなと気づけない時点で余裕がなくなっているサイン。
まずは「聴く」ってところがスタートだなっていうことを連休明けにも意識できるように再確認。
しっかり耳傾けて、気持ちよく投げさせてあげれるキャッチャーでありたい。
話していて気持ちいいと感じてもらえるリアクションで聴いて、ミットでいい音をならすキャッチャー。
そんなことを頭でわかっていてもエラーしそうになる。
要は余裕がなくなる時がある。それが「時間」。
「時間」に迫られると、どうしてこうも心の余裕がなくなるのだろう。
自分が想定している時間配分の見積もりが甘いだけなんだけれど。
人に迷惑をかけない範囲で、自分が想定しているものが少しずれるくらいであれば、まあそういう時もあるよね、ってうまいこと調整できるようでありたい。どうも、あれもこれもとなってしまうことがあるので。
時間の余裕は心の余裕だなってつくづく思う。
とにかく、聴いてもらいたいなら相手の話をまずよく聴くことからだなっていうのを再確認して連休明けスタートできたらなと思います。
子どもの時間術で悩みそうになったけれど、「なんでなんかいいってもわからんの?」という自分が「聴いて!」の立場だとうまくいかないけれど、「どうだった?」と聴く立場になるとうまくいく。
昨日は「体育の移動と時間どうだった?☺️」と聴くと、「チャイム前に出られなかった」「廊下での話ごえが残念だった」「時間がもったいなかった」「並んだのにすぐグチャってなってしまった」と。
子どもたちは、自分たちのことをしっかり見ているんだな、感じ取っているんだなと驚き。
こんだけ自分たちのことをちゃんと見れているんだもん、もし僕がここで聞かなかったら、そのままで黙認していたらそりゃ「こんなもんでもいいのか」って気持ちが強化されちゃうよね。こわっ!
#メタ認知
その上で、「このままでいく?それとも修正する?」って聴いたり
「どうしたい?と聴いたりすると
「時間をうまく使いたい」
「すばやく、静かに移動したい!」と。
「じゃあ戻る時リベンジしてみよー!!☺️」と応援。
そしたら、すごく変化した。
戻った後に「帰りの移動どうだった?☺️」と聴くと
「めっちゃ良かった!!」
「職員室の先生が誰も振り向かないくらい静かだった」と。
「先生も職員室に戻った時に、みんな通ってる?ってくらい気づかなかったよ!!すごいじゃん!!行きと帰りこれからどっちでいく?」
「帰りの方!!」と子どもたち。
「じゃあ、今日の帰りの時の移動のあの感覚を大切にしてね☺️」
だけ言って終わりました。
「聴く」って、聴くための「余裕」ってとっても大切。