【その場の判断がイケてるかどうか】
その場、その場でどのように振舞うのか、その判断がイケてるかどうかを考えて1日を過ごした。
朝やることは黒板に書くのみ、にこにこしながらクラスを俯瞰で見ていた。
すると、数人がやることに気がついたので、うなずいた。
そのまま穏やかに広がっていき、朝の活動にうつった。
iPadの使い方は、やっぱり守れないものが数人いる。
そのままその児童を注意しても面白くないので、周りの児童を眺めていた。
やっぱり守れない子の周りには、それに同調する仲間がいるんだなというのが検証データ。
そこに1人でも2人でも守っている民が入り込めば雰囲気は変わるのかなって思った。
だからそのまま、授業の最後にリフレクション。
自分たちでは分かっているのに、守れないのは守れない仲間が一緒にいるからだと思うんだよね。守れない人がいるクラスでは、自由に使わせてもらうことなんてできないよね。だからそのままにするのはクラスとして、めちゃくちゃ損だと思うんだよね。クラス、そしてそれぞれ本人が変わらなきゃ、変わらんよ。良いのかい?そのままで。と話をした。
体育の時は集合してから、ずっと話をやめない仲間がいるので、ずっと待っていた。ずっっと。
10分も黙ったまま。
その2・3人意外はずっっと黙っている。
気づいているのに話をやめない。
周りの子たちをよくよく観察。何も言わない。どうして言わないんだろうと素朴な疑問。
で、早く静かにしてほしいなって思っている人!っと手を上げさせたら、全員手をあげる。
じゃあそのまま伝えたら良いのに。と素直に話をした。
集団を観察していると、対等な関係ではないことがわかる。
誰々には言えない的なことがある。
そして、クラスの多くが(3分の2以上)が、おんなじことを思っていても、判断を誤っている数人に声をかけない。
かけることができない。
「多くは同じ思いだよ!」という安心感を与える可視化をこれからしてみることにする。
体育は5時間目、前回下校に遅れてしまい、他の学年に迷惑をかけてしまったので、絶対に遅れることができない。
それにもかかわらず、倉庫でボールで遊ぶ仲間が5、6人。
なんか倉庫の中にいる仲間が数人。
そして数人で片付けをしている。
思わず、「何にも思わないのかよ??やれよ!!」という一番面白くないアプローチを選択してしまった。
全校に迷惑をかけるという切羽詰まった状態でのアプローチの選択に迷う。
にしても、このセンスのないアプローチが一番で一番子供が動くのが、もっと面白くない。
そんなこんなで、まあ、いまいちイケてない振舞いだったなあという1日。
明日は、イケていたい。
あ、でも授業参観の発表のリハをやったんだけれど、そのリハがグダグダで、次の時間1時間リフレクションの時間をとったの。
称賛と改善を募集。
結構ポンポン出てきて、よくよく自分たちの姿を見えている。
それをひたすら黒板に書いて、時間をプレゼント。
その後の時間は、必然性をもって取り組んでいた。
自分たちで、自分たちを振り返る時間って大切だなと思った。