【一歩一歩】
朝の学習の始まりは、8時10分から。
「規律」を身につけるためになんとしてもその時間は守らせるようにと上から指導をいただいた2学期。
3学期は少しずつ何も言わないようにしている。
黒板に「全員が8時10分に読書を始めることができる」とだけ書いている。後は集団として全体を見渡している。
今日は、チャイムの前に28人中16人がもう座っていた。そうなるとチャイムがなると同時に多くも続いた。
2人だけチャイムが終わっても喋っており、周りの静かな空気に「あ。」となり着席した。
理屈で説明しても伝わらない。
やっぱり行動の基準は「多くの人がそれをしているか否か」なのだと改めて感じた。
3学期が始まり、数字の話は結構している。
時間を守れなくても平気で喋っていたり、いつまでも話が止まなかったりするのは、クラスの多くがそれでいいと思っているからだ。クラスの半分以上が「まあ、ちょっとくらいいいだろう」と行動しているから、クラス全体にそういう雰囲気が流れる。本当に時間を守った方がいいと思ったり、静かにした方がいいと思ったりするなら、まずは半分以上のメンバーがちょっともダメだという行動をすることだよ。そしたら、クラスにそういった雰囲気や文化が生まれる。そういう文化のあるクラスで過ごす方が自分にとって得だと思うよ。
などと繰り返し語ってきた。その変化がすこしずつ見えてきている。
体育の整列も早くなってきている。本当に少しずつだが嬉しく思う。
算数の『学び合い』では、昨日のように集団の固定化を改善しようという動きが見られた。もちろん遊び出す子もいる。丸写しのところもある。まだ本当にわかることがどういうことなのかわからないのである。
割合の勉強にて、「半分は、1のうちの0.5なの。だからもとの0.5倍ってことだよ。」と説明している子がいた。それを聴いて「あー!!」とすっきりしていた。それは本当に腑に落ちた様子。先生の自分からするともうちょっと詳しい説明をごちゃごちゃしそうなものだが、その子にとって腑に落ちる説明はそれだったのだ。
しかしまだまだだと感じるのが、体育。
跳び箱をやっているが、4人はその時間遊んで終わった。
適当にマットに飛び乗ったり、適当に転がったりしている。
でもクラス全体の雰囲気はとてもいい。台上前転が課題だったのだが、マットを跳び箱に重ねたところから場所を工夫し励まし合いながら、技を定着させていった仲間がたくさんいた。どうすればできるかを真剣に話し、試してはアドバイスをし、成功しては一緒に喜ぶ。「いいなあー。」と素直につぶやいた。
そいったつながりがあるから、自分を成長させるエネルギーが湧いてくるものだと思う。主体的に段数を上げていく仲間たちもいた。
しかし、クラスには遊んでいる数名もいるのだ。
語ってもなかなか気づかない。
1人の仲間が繰り返し呼びに行ったり、一緒にやろうと誘ったりしたが、結局そのまま終わってしまった。
もう少しである。
中間層の多くは上位層に引っ張られ始めている。
後は、乗り遅れ気味のメンバーをいかにして見捨てないか。
見捨てたくなる。
でもそれは、何人かだけが頑張っているからである。
見捨てないために。負担が集中しては嫌になる。だから「みんな」で見捨てないクラスを目指すことが重要になってくる。「みんな」が少しずつ肩代わりして、「みんな」で支え合うチームになって欲しい。
ちなみに今日初めて台上前転ができるようになった児童がいた。
その子は、初めマットでの前転から始めた。でも跳び箱になると、勇気がでず、腰が上がらない。
そこでずっと横について励ましたり、アドバイスをしたりするメンバーがいた。
そして、腰が上がったタイミングでさっと手を出し、くるっと回れるように手で支えてあげて補助をしていた。
少しずつ補助ありで回れるようになると、だんだんその補助の力を弱め、最終的には自分で回れるようにしてあげていたのだ。
本当に感心するほどの教え方と補助。私は補助の仕方など教えていない。
そしてこの方法でどんどん高い段数でも成功していった。
この補助をしていた子は特別支援学級に入級している子だ。自分が助ける側に周り、誰かのためになり、一緒に喜べる経験とつながりを今日その子がもったことが本当に嬉しい。