【声】
声が、ほとんど出なくなりました。w
風邪っぽいかなってときに、50m走全力応援でやられた。たぶん。w
2人での近い距離の会話レベルならなんとか出ますが、普通に教室で使う指示レベルの声は全くと言って良いほど出ません。w
もう本当に辛いこと。😂
まじで、出ない。
試合後のプロレスラーの方が出ています。
そんな「声」という武器を全く使えないままで、教職員は務まるのかという実験みたい。
結果は「極めて難しい」ということ。
でもこのハンディキャプが教えてくれること、気づかせてくれることもありました。
まず、ありがたいことだってこと。
誰かと会話をし、気持ちを伝え合う。それがどんだけ豊かなことで有り難いことかと感じることができる。
いかに自分が「声」というツールを使って気持ちを表していたかにも気づかされた。
良い瞬間がある、その場その時その瞬間にフィードバックしたい。でも声が出ないのだ。なんとももどかしい。
今日はシャトルランだった。少しでもモチベーションをあげたい。心も体も上げていきたい。なのに声が出ない。いまいち盛り上がらない。だってほっそい声で声色に変化もない。感情も伝わらない。もどかしい。辛い。
授業前後の語りでも、気持ちは入っている。でもその感情変化がどうしてもトーンだから伝わらない。
温度が出ないのだ。苦しい。
子どもたちは、少し僕の声の調子が出るたびに一緒にい喜んでくれた。とてつもなくシーンとしてくれて協力してくれた。
本当に感謝でいっぱいだ。
だからこそ、ものすごく申し訳ない気持ちになる。
指示も聴きづらい、頑張ってもあんまりフィードバックが明確に入ってこない。
本当だったら全身で、思いきり承認したいすごい場面にも出会う。でもそのチャンスを目の前で逃してしまっているようで。
今このタイミングでこの言葉をかけるチャンスは今しかないのに、、、。と言った感じだ。
教員にとって「声」がいかに大切なものかを痛感した。
「声」は「命」である。
そして、高い声、低い声、早い口調、ゆっくりな口調。
その場その場で、話す速さも変えてみながらやっている。
今日「声」を出せなくなって、あー自分もいろいろ考えながら声を出していたんだなって気がついた。
また「いかに話しているか」ということにも気づかされた。
もしかしたら喋りすぎなのかもと思っている。
とにかく、喋りたいことばかりで、声を出したいときばかりであった
。
そう考えると、「無駄」に話していたり、単純に時間として長かったりするのもあるのかなと思います。
「声」が出せなくなったからこそ、喋りすぎであることに気がつき、これから話すときはより精選して、話していこうと思った。
とにかく朝から晩までこの仕事は喋っているんだなと思う。
「声」が出ないと良いこともあって、非言語のコミュニケーションツールをめっちゃ意識する。
ボディーランゲージもそうだし、顔の表情もそう。
これ、普通に声出る時もやった方がいいじゃん!ってことに気がついた。
声が出ないと、非言語を使う必然性が生まれて。
とにかく意識するのだ。
だって声は低めで、ほぼ聞こえない。
喜んでいるんだか、怒っているんだか全く分からない。
だから、目と口角と身振り手振りとをフルで使ってコミュニケーションを取らざるを得ない。
それが良い気づきになった。
明日は「声」が出ると良いなと思う。
なんだか今日という子どもたちの大切な1日を、上手に生かしきれなかった想いがいっぱいで、年休もらって病院へいきました。
僕自分のことだけだったら、おそらく病院に行ってない。
子どもたちの前で、またこんな声で、もうしわけない思いをさせるわけにはいかない!という想いだけで病院に行った。
明日は良くなると良いなああ☺️