【競争じゃなくて協働】
読み聞かせから始まった1日。
2週続いて拍手をしなかったが、今日はみんなで拍手ができた。
相手のことを考えて、感謝を行動で表そうという仲間が2・3人。
そこから全体に広がっていった。
勇気を出して行動した2・3人。
そしてそれに乗っかることができた多くの仲間にその行動の素晴らしさを語った。
理科では、実験結果をまとめた。
次の実験に「ろ過」が必要。
まとめた後で、時間は残り5分程度だったため、黒板で一斉授業形式で説明した。
ちょっとの時間だったけれど、めちゃくちゃよく聞いていた。
そしてノートも書いて、学んでいた。
「教科目標を達成するために、この子たちにはこのスタイルの方が合っているのかなあ」と思った。
でも「それだと育てられないものがあるんだよなあ」とも思った。
ジレンマ。
ときと場合でうまく使い分けられるようにしていきたい。
目的にあった最善の手段を自分自身を選択していく。
国語は、7割はとてもよかったと思う。
固定化する男子集団。30分関係ない話をしている。
でもそこでフラット1人抜け出し、自分の席に戻った。
そしてその瞬間を見逃さなかったすでに分かっている仲間。
そして、さっと寄り添った。
多くの中には入れなかったが、少しのやる気の変化を見逃さず寄り添ったところが素晴らしい。
1・2学期クラスを荒らす大きな要因になっていた児童がその抜け出した児童。
クラスでも一生懸命ではあるがかなり大人しいのが見逃さず寄り添った仲間である。
こういうつながる機会があると、やっぱりこの『学び合い』をやらないのはもったいないよなあとまたジレンマ。
2人でよく固定関係になる女子。
でも最近、早く分かった男子に力を借りることの良さを感じ始めている。
人の力を借りる力である。
今日は、スタートするやいなや、予習していた分かっているその男子に声をかけて巻き込んだ。
そして一緒に学びはじめた。
休み時間には話す関係ではない。
授業でこそこういった多様なつながりは生まれるのだと再確認。
しかし、3割の児童が全く内容に入れなかった。
だから、先生自身も不安であること。本当は「何やってんだよ!!やろうよ、いい加減!!!」と叱りたい気持ちをぐっと堪えていることを素直に伝えた。
ただぼんやり見ているようだけど、みんなの将来を考えて、今、口出してしまったら、先生が叱ってやらせるようでは、本当のみんなのためにならない。だから、ぐっと我慢しているんだよ。それを分かってはいてほしいんだ。とこれもまた素直に語った。
その後の図工は比較的穏やかだった。
基本的に自分の席で作業はするが、制作のヒントを得たいとき、作業が困難で援助がほしいとき、ものを借りたいとなど、必要なときには立ち歩きをした。
最初、4人程度作業に向かえなかったが、そのうち2人が作業に向かうと、向かえなかった4人全員が作業に向かった。
6年生を送り会の色紙作成依頼のお手紙を担当児童が、授業中に各学年に配布にいってしまった。
とんだご迷惑をかけてしまった。
休み時間に行くものだと勝手に思ってしまったのが間違い。
もっともっと相手目線をもてるようにしたい。
ちなみに今日の語りでハマった感があるのが2つ。
昨日の体育の嫌な感じを経て、朝の語り。
「世の中は競争ではなく、協働だと思う。確かに時に競争は時に大切だけれど、そればかりだと苦しい。例えば先生も職員室の先生と競争したとして、他のクラスはテストが平均○点だから、負けてられない!!おいお前らもっと勉強しろよ!!!とみんなにも詰めたら先生もみんなも窮屈だろ??体力テストでも他のクラスの50mのタイムが〇〇秒だったら、おい!!4月からひたすら走りこむぞ!!もっと走れ走れよ!!となったら窮屈だろう??だから、多くの場合、世の中では協働なんだよ。いかにあらゆる仲間と協力して働けるかが大切だよ。先生も小学校の時、超負けず嫌いでさ、なんでも1番がよかった。背伸びして、他人を蹴落として。認められたくて認められたくて仕方なかった。でもそこで手に入れたのは孤独だよ。「仲間」は誰もいなかったよ。それで気づいたんだよ。そんなことしなくても、ありのままの自分を認めてくれる仲間がいることに。あ、背伸びしなくていんだ。勝たなくてもいいんだ。1番じゃなくてもいいんだって思ったんだ。そしてありのままをくけとめてくれるのが「一生涯の仲間」なんだなって思った。だから、大丈夫。ありのまままでいてください。絶対に受け入れてくれる仲間がいるから。大切なのは『許す』こと」だよ。
と、半分本当で半分ウソの話をしたw
もう一つは丸写しは本当に分かっているのかって時。
「丸写しで分かるのであれば、東大生のノートをそのまんま見て、写したら、君は東大に入れるよ。どう?入れるかい?無理だろ?だから丸写しでは本当に分かったとは言えないよね?」
めちゃくちゃ納得していた。