コミュニケートできない場合を見て見ぬふりできないことのコミュニケーション

3ヶ月おきぐらいに
自分を見つめ直す機会を持つために
セッションしてもらうカラーカウンセリング

質問されていくうちに
自分がどうしたいんだとか
どうするべきなのか
答えがでてくるから面白い

3ヶ月ぐらいで
何かが変わってるわけではないけれど
明らかに
自分の答えは
その度に発見

うっすら還暦の光が
差し掛かるお誕生日を目前に
毎日自分の好きなことを
やっているだけの人生だけれど

なぜか性分として
感じていた

家族5人が家にいる
頻繁におこる
どうでもいい問題
洗濯物の出し方
洗い物の置き方
デザート泥棒
電気の消し忘れ
ものがなくなった
どれだけ泥棒いるねん!!!って話
その前にちゃんとドア閉めようよ!って話
自動ドアじゃない!!って
ナン万回も言ってる
そんなバタバタ家族のクレームを
なぜオカンに言うのか


直接本人に言いなさい!
って毎回言ってはいるけど
結局言わないだろう
っと思うから伝えるのオカン
『オカンから言っといて』
『ママが言って』
って
体全体から発する
全員が

そんな立ち回り嫌なんだけど
人が困ってることを
代わり言うのって

できるだけ
どっちにも
上手く伝わるように
そのままのセリフを文言を
伝えるわけにはいかない
そのまま伝えても余計問題が発生する

遠回しに
何か感じてもらうことから
いや
ここは遠回しではないなとか
どうしたって
頭捻りまくって
どうすればどちらにも納得できるように
伝えられるか
上手く伝わらず
伝えるオカンがキレられる
だけどあとから
伝わったんだな〜と
思うこともある
もちろん伝わらないこともしばしば

だから
オカンを通さず自分で伝えてよって話

だけどカウンセリングに行って
結局
伝わらないこと
伝わってない人同士が気になるには
私自身で
なんとか
どちらの気持ちも分かり合えないものかと
思ってしまうから

気がついたら
間に立ってしまっている
それが
求められようが
そうでなかろうが
なんなら
家族はともかく
求められてないことの方が多いかもしれない

どんどん仕事仲間も増えている
伝わり方が違えば
上手く回るなら
何かしら方法を考えていくしかない
というか
できるだけ
気持ちよく伝わる方法

めちゃめちゃ考えて考えても
もちろん失敗の失敗をくり返す
結局俗に言う
『いらんことしぃ』っとなってたりする

そういえば大昔
中学生の頃
なかなかヤンキーという言葉が
当たり前の時代
ヤンキーの標的にされてる子が
いじめられて
トイレに連れて行かれるところを
たまたま目にしたもんだから
行ってしまったトイレ
あのさ〜〜って
なんでこれをやる必要があるん?って
そりゃその場は
あんた関係ないでしょ
の空気満載で
モップ持って殴ろうとしている
ヤンキーちゃん達もしらけてる

結局
駆けつけた先生たちに
ヤンキーちゃんたちと一緒に連れて行かれて
会議室みたいなところで
話し合いをしろと言われ
話合いでいいなら最初から
トイレじゃなくて
ここ貸してくれたらよかったんやんって
態度の出したら
えらい怒らた思い出がある
本当に関係ない人アタシ





小学3年生の生徒が
インタビューの宿題に
「物事が上手くいかないときは
どうしたらいいと思うますか」
という質問をいろんな人に意見を聞いて
書いていくらしい
『対話』
っと応えたので
子供は???ってなっていた
解決策ではないのかもしれないけど
話をすることって本当に大切だと思う
その子の宿題の根源には
戦争の背景があったらしい
後からママが話してくれた
そう

もっともっと話せないのかな
と思うことがよくある

もちろん
相手が話せない動物だったり
暴力だったり
するかもしれないけど
それでも
話せないかなっと
思ってしまう

言葉で傷つくことは
もちろんあるから
話さない方がいいこともあるだろう

だからコミュニケーションなんだ

言葉の代わりに人間がいる

存在価値が
それならやはり
残りの人生意味があるな
っと
生きてる限り
気になるんだろうな
何度失敗しても

コミュニケーション

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