宝さがし。
『少しぐらいの嘘は大目に』
久々に、向田邦子さんの新著を読んだ。
あさイチでこの本のことを知って、すぐに本屋さんで手にした。
それから2か月経って、やっと読むことができた。
読むのがしんどかった、
シモーヌ・ヴェイユの本をある程度読み終えた「ご褒美」として、
心待ちにして頁を開いた。
読むまで時間がかかったが、読み終えるのは一瞬だった。
向田邦子さんの本の大半は読んでいる。
そして、恋している。
< 向田邦子さんに恋している >
今回読んだ本は、
向田邦子さんの本から著者が抜粋した文章が散りばめられている。
何度も目にした文章もあれば、読んでいない本の文章もあった。
本当に心地よい時間を過ごせた。
このタイトルに関する文章がある。
もし、面白いもの、とおっしゃるなら、少しぐらいの嘘は、大目に見て下さい。いや、嘘の間に、チラチラと、本当のことだってあるのです。
「ホームドラマの嘘」(『女の人差し指』)
何度か読んだ本の中にあった文章らしいが、記憶がなかった。
改めて本をみたが、赤線を引いていなかった。
この文章を読んで、私のことをふと思い返した。
以前、書いた文章を。
< 粗さがしより宝さがし >
私の場合、少しぐらいの嘘ではなかった。
大半が嘘だった。
そして、嘘の中にある真実という宝を捜しましょうと言っていた。
でも、何だろう。
ニアンスは違えど、嘘の話があったことで嬉しく幸せだった。
切り口の切り方が違うだけ、しかしそこに大きな差がある。
向田邦子さんの言葉に一年ぶり?に触れて、
もう一度すべての本を読みたくなった。
その想いを抑えられるか、自信はない。
読み直したい本がたくさん待っているので、我慢しよう。
本を読むのは、宝さがしをしているようなもの。
見つからなかったら、別の機会にて。