感じて、生きる。
最近、マネジメントにおいて言われるのが、
判断するのではなく、感じること。
つい、私たちは何かを判断する。
客観的な根拠をもとに、判断を下す。
昔の私もそうだった。
判断の多くは、即決だった。
判断に悩む人が、よく私に求めてきた。
でも、今は判断よりも、感じることを何よりも大切にしている。
理性のマネジメントよりも、感性のマネジメントが大切になっている。
このことについては、
一年前に「デザイン×マネジメント×アカウンティング」でも綴った。
あれ以来二回ほどアップデートしているが、そちらは掲載していないが。
さて、話を元に戻そう。
判断は、基本変わらない。
しかし、感じることは変わる。
ころころと変わる。
昨日感じたこと、今日感じていること、明日感じるだろうこと。
同じではない、常に変わる。
感じたことが、感じ方が、変わる。
いや、変化を感じていると言った方がいいかもしれない。
このことを頭の中で巡らしているときに、ふと想った。
変化を感じることが、生きていることだと。
何も感じず、無機質な気持ちであることは、
果たして生きていると言えるのか。
だから、迷ったり、悩んだりすることは、生きていること。
迷わず、悩まずに、走り続ける人もいる。
猪突猛進。
そういえば、私の干支は猪だった(なぜかの過去形)。
でも、そのような人は(かつての私は)、機械的だ。
心をどこか横に置いてきたかのように、置き忘れたかのように。
だから、心がある方がいい。
特に今の時代は、そう、思う。
ただ、心が感情に支配されてはいけない。
心と感情が違うから。
感情に侵されると、心が痛むから。