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(思索の足跡③)本当に捜すもの
つい私たちは、誰かに責任を求める。
つい私たちは、誰の責任かを追及する。
ついつい私たちは、ある結果の原因を追究してしまう。
物事には論理的な因果関係があると思い込み、
結果に対する原因に責任を負わせようとする。
そう、犯人捜しをする。
原因を、犯人を捜し、それさえ潰せば、
問題をすべて解決できると信じ込んでいる。
しかし、社会を見渡すと、
犯人を捜し、罪を犯した人を罰しようとしてきた。
まるで、それが正義であるかのように。
しかし、それで問題を本当に解決したのだろうか。
問題を起こす人が、新たに生まれただけではないだろうか。
新たな犯人が現れると、新たな厳しい罰則を作ろうとする。
永遠に捕まえることのできない、いたちごっごの始まり。
この連鎖を食い止めるのが、
この本の中心研究にあたる当事者研究の方法となる。
犯人を探し出して解決とするのではなく、あくまでも苦労のメカニズムを探ることを重視するのが当事者研究の方法です。<39頁>
犯人探しではなく、メカニズムを探る態度で向き合おうとしてきました。そしてこの態度こそが、当事者研究においてもっとも重要かつ基本的な方法論的態度と言えるでしょう。<39頁>
起こるメカニズムを追求し、そこにメスをいれることで、
問題を起こさせないようになる。
責任は、“原因の誰が”から、“メカニズムのどこ(行為)で”に変わる
特に興味深いのは、方法でなく態度に注目していること。
「デザイン×マネジメント×アカウンティング」のデザインでもふれた、
アティテュード(態度)が重視されている。
(実は、noteに掲載したのは初版なので書いてはいないのだが)
メカニズムの追求方法(態度)が、
「免責」から「引責」とつなげていくこと。
詳しくは、次でふれる。