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紅白『AI 美空ひばり』を聞いて感動したが、心がモヤモヤする。


~パフォーマーは、おちおち死んでいられない時代がやってきた~



皆さんは、去年(2020年になる年)の紅白歌合戦をご覧になりましたか?

私は、何の気なしに見ていた紅白で、AI美空ひばりさんの『あれから』という楽曲を聞いて涙が止まりませんでした。

美空ひばりさんが亡くなられたのは、私が小学生の時。
人生が何たるかなどわからない年齢でしたが、『川の流れのように』『愛燦燦』などを聞いては、これから起こる人生の奥深さを想像し、音楽の素晴らしさに感動していました。

ひばりさんが亡くなったというニュース。「もう、ひばりさんの歌を聞けないんだ…」という悲しみと衝撃をもって受け取ったことを、今でも覚えています。


2019年大晦日、AIの技術を使って再現された美空ひばりさんの歌声を聞いて、とにかく心が震えたのです。



AIの新曲、『あれから』はどんな曲なのか


AIの力で再現した歌声で作られた『あれから』という楽曲は、もう亡くなっているはずの美空ひばりさんが私達に、

「あれから、どうしていましたか?」
「あれから、元気でいましたか?」

と、歌いかける作りになっています。

ひばりさんの声でそう問いかけられ、曲を聞いた人は、ひばりさんが亡くなってからの30年の自分の人生を走馬灯のように想起します。

途中で入る“語り”では、

「あなたのことをずっと見ていましたよ。」
「頑張りましたね。」
「私の分まで、まだまだ、頑張って。」

と、命を終えたはずのひばりさんが、聞いている人の頑張りを肯定し、これからまだまだ生きていく人の背中をそっと押してくれるような作りになっています。

作詞は秋元康さん。
様々なジャンルで、人の心を動かす仕組みを作って来た方です。

作曲は、佐藤嘉風さん。
200曲以上の応募の中から選ばれた曲だったそうです。 包みこむような優しいリズムの中に、ひばりさんが今まで歌ってきた楽曲を髣髴とさせる音型が巧みに織り交ぜられ、なつかしさを感じさせる素晴らしいメロディーでした。


もう会えない人を思い出しながら、これからも生き続けていくことを再確認する。『あれから』は、そんな曲でした。

感動しないわけがありません。



この曲は何のために作られたのか


この曲は、一体なんの為に作られたのでしょう。
調べてみると、この楽曲は『美空ひばりさんの歌声をAIで復活させる』というNHKのプロジェクトで作られたものだったようです。


関わった方たちの様々な意図を感じます。

『ひばりさんの歌を、ファンに届けたい。』
『AIが人を感動させることができるのか、“芸術”の世界へチャレンジしたい。』
『まだ見たことのない、新しい世界を見たい。』
『科学技術の進歩を証明したい。』
『大好きだったひばりさんに、再会したい。』

私はまだこのドキュメントを見れていません。おそらく制作をしたチームの皆さんは、それぞれの専門技術を出し切ってこのプロジェクトに取り組まれたに違いありません。

芸術は、誰かの心を動かしたり、人生に影響を与えるために存在しています。

SNSでは、この楽曲を聞いて心が動いた方のコメントをたくさん見ることができます。
そういう意味でも、このプロジェクトは成功したと言っていいんじゃないでしょうか。

私も本当に感動しました。
しかし、ずっと気持ちがもやもやしています。



間違いなく感動した。でも、なんでこんなに心がもやもやするんだろう…!


このもやもやの正体は、『アーティストの権利』という視点です。

別の記事でも書きましたが、パフォーミングアーティスト(歌手・ダンサー・俳優・楽器演奏者など)の作品は、作品と自分自身の行動を切り離すことが出来ないという特徴がある、と私は考えています。



今回の作品は、
「ここの表現はこういう風に歌いたい」
「こういう風に動きたい」
という行動を起こすひばりさんの意志(表現のアイデンティティ)を無視し、体の一部の素材を切り離して加工しています。

版権を持つ家族や音楽会社の同意を取って作られているようですが、版権を超えたご本人の表現の権利のことを思うと、心がもやもやするのです。
 

もしひばりさんがこの作品を見れたら、本当はどう思うのでしょう?
喋らされた台詞について、どう思うのでしょう?

作り手の皆さんは、『ひばりさんは、きっとこうだろう』『きっとこう思うだろう』ということを語られていますが、それはあくまで推測。
本当のところ本人は、どう思うのでしょう?


パフォーミングアーティストは、自分の身体を提供して作品を作ります。
素材になっても、その表現はその人の身体の一部。
表現者の意志を介さず勝手に加工し作品を作ることは、表現者自身をとても深く傷つける可能性があることを、理解しなければならないと思います。


ディープフェイク問題


今、『ディープフェイク』の問題が注目されています。
『ディープフェイク』とは、AIに基づく人物画像合成の技術で、アーティストや有名人の身体を勝手に加工し、アダルト動画にはめ込んだり、発言や行動をでっちあげたり、問題が広がってきているようです。

『ディープフェイク』は、偽物だと見分けることができないぐらいの完成度であることが特徴なようです。



“フェイク(偽)表現”とは、明らかにフェイクであることがわかる状態でないと意味がないように思います。
ディープフェイク問題も、『あれから』という楽曲も、再現性が高いからこそ、より「ご本人はどう思うのだろう?」と、心がもやもやするのだと思います。


パフォーミングアーティストは、うかうか死んでられない。


パフォーミングアーティストの皆さん。これからはうかうか死んだりできない時代がやってきましたね。
貴方がもし、自分の表現に対して何の表明も残さず死んでしまったら、貴方亡き後とんでもないことが起こるかもしれません。

パフォーマンスの主体であるあなたの意志を介さず、命(時間)を削って作り上げたあなたの表現を勝手に切り取り、加工し、貴方が望まない表現をさせられる時代がやって来たのかもしれません。

その一方、貴方の表現の素材を使って、受け取った人のこころを動かす素晴らしい作品を、誰かが生み出してくれる可能性もあります。

これからの時代は、自分が亡くなった後(亡くならなくても)、形として残った自分のパフォーマンスをどのように扱って良いのか、真剣に考え、表明する必要があるようです。


貴方は、自分の表現の権利についてどういう考えをお持ちですか?


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