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「サバンナ、ライオン、午睡の夢」のこと
このタイトルは偽りだ。そんな作品はない。
学生時代は残酷な季節だ。中学1年生が「中1らしく」、2年生が「中2らしく」…と、それぞれがそれぞれの学齢にふさわしい立居振舞ができるようになった頃、彼らはもうそれぞれまた新しい学年にならなければらない。
学校の最終学年、小6、中3、高3などは、全く新しい環境に身を置かなければならない。
例えば、身体よりちょっと大きめの服を着せられて、成長して、漸くそれが、似合ってきた頃には、また新しい大きめの服を着せられるみたいなものだ。
彼女は常に学年トップの成績だった。勉強が出来るっていうのは、要するに一生懸命やってるっていうことだった。彼女の家の近くに住んでる同級生に言わせると、いつ寝てるのか解らないくらい、彼女の部屋の電気は点きっぱなしだと。
その上、ソフトテニス部に入っていて部活動も一生懸命やってるし、小麦色に日焼けした健康的な優等生だった。その上、気さくでいつもニコニコ楽しそうにしているから、人気者だった。
完璧すぎるというか、畏れ多くて近寄りがたい雰囲気だった。ぼくは、たまに喋ったりする機会があっても、照れてしまって、全然話しもできなかった。振り返ってみると、山田に対するイッチーの初期の態度のようだった。
そんな彼女が、中3の卒業文集に詩を書いていた。自分の文集とは別に、「作品」として選ばれたような形で掲載されていたのだ。彼女がと言っても名前は書いてなくて、名前の欄にはイニシャルだけしか記されていなかった。しかし、詩を書くなんていう気のきいたことをするなんて彼女以外に考えられなかった。あとは、そのイニシャルの一致で、ぼくは彼女の作品と思い決めた。
その詩句は覚えていないが、内容は確かに覚えている。一生懸命やってきたけど、少し疲れてしまった。でも私は、まだまだがんばるから、今だけちょっと休憩させてほしい。そんな内容だった。印象に残っているのは「また階段を上ったよ」という書き出しと「サバンナで眠るライオンの夢を見させておくれ」的な表現だ。
タイトルはその思い出せないその詩句をでっち上げてみたものだ。
学区で一番入学の難しい高校に進学が決まっている彼女にしては、中学の卒業というものを、あまり喜んでいないような、アンニュイなトーンの詩だった。
中学校生活を完璧に自分のものとして、積極的に楽しそうに努力する彼女の印象とはあまりそぐわない内容に驚いた。あの娘はあんなにニコニコしながら、学年トップの成績を取り続けながら、こんなことを考えていたのか。
「若さ」を「成長過程」と解釈すると、そのさなかは、いつでも少し大きめの服を着せられているような違和感の中にある。それはとても仕方のないことなのだ。だから我慢しろというわけではなく、自分の身体を大きくしていくしか、その解決方法は、ない。
似合わなくなった服は捨てて、今はまだ似合わないけれど、似合うようになれたら良いと思う服を身に着ける。その服は、今はまだ似合わないというのが前提だから、今のところちょっと格好悪いけれど、それは仕方がない、人は全て、成長を準備しているのだから。
ぼくが「言葉」を通じて「他者」と出会ったのは、彼女のあの詩句が最初だったように思う。