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人形供養 上野清水観音堂

雛人形一式と 生まれた時に 揃えた博多人形、ついでに ずっと家にあった 花魁人形など 収めさせてもらう。

全てで3万円。
ちゃんと寛永寺の住職さんがお経をあげてくださるとのことで本当に良かった。


人形供養を歌うたっている不用品買取会社は倉庫で祭壇を汲んでお経をあげるらしいけれど それで10万円。
一般的な 人形供養のお寺などは やってもらえないのかと聞いたらコロナだからやっていないと嘘をつかれた。


引っかからないで良かった 上野の寛永寺の 清水観音堂だったら子供の時からよく行っていたし西郷さんの目の前で
由緒正しい。 しかも一緒に色々引き取ってくださって3万円本当にありがたい。気持ちもすっきりした。
泣いている私に
いつでも会いに来れるからねと お寺の人も優しく声をかけてくれた。



 とにかく人形に関するものはずっとずっとずっと 心に引っかかっていて 
 毎年人形用の防虫剤を入れ替えるのも大変だった。

それが終わった。

雛人形は私は興味がなくて 多分本当は母が欲しかったんだと思う
毎年母がいそいそと飾っていた 。

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他にはオーディオの処分 ハードオフ。

T が手伝ってくれる。
思わぬ高値になったものもありそうでないものもあり、


Tはわたしと
キミとだけは結婚したくなかったと思いながら17年付き合った。

ここまで嫌ならどうして付き合っていたのかと今日聞いてみたら 面白いし好きだったし気が合うしという。
ただ発達障害による特性 人付き合いの下手さや言葉の選び方の下手くそさは 嫌だったんだと思う。

最後に助けてと言った時に
「どうして助けなきゃいけないの」と言われたことは私は絶対に一生忘れられない。
今でも夢に見る。
私はあの一言で癌になったと思っている。


結局のところあれに関してはあれくらいはないと分からないからでしょと全く当然のことをしたと 認識しているようだった。

私はそこの段階に至るまでもう少し説明が欲しかった。 いきなり崖から突き落とされた あの時のことだけは 一生忘れない。
私はもう一生人に頼ることができなくなった。
あれこれ言わなきゃ分からないからと自己正当化しているようだけれど私はそれは未だに納得はできない。


それでもこうやって助っ人に来てくれるのはありがたい。 口だけで頑張れという人ばかりだ。 その中で貴重な時間を割いて手伝いに来てくれるのはなかなかできることではない。


かといって愛情があるかと言うとそうでもなく 付き合っている時と同じように目を合わせようとしない。

随分年をとった。
童顔だったのになんだか年齢よりも随分上に見えた。
でも孤独な人だ。
一人でひたすら黙々とジョギングをして 己を高めているというのは素晴らしいが、 孤独な人だと思った。


相変わらずお金では苦労している。 ガソリン代でも何でもともかく細かく請求される。
まあ当たり前なんだけれど 本当に細かい。 食費もかかる。 まあ手伝ってもらっているんだから、
外食の持ち帰りも奢るのは当たり前なのか。
手作り料理をおいしいと喜んでもらえるのは嬉しかった。
でも私も本当にお金がない。
帰りも夜行バスを使うのかと思うと 体の辛さを考えて 気が重たい。

癌の再発はしたくない。


実家にいるし 家賃も食費もかからないだろうと思っていたけれど
収入は決して高いものではない、それでも必ず貯蓄しているというのが立派なところだ。
でもこの人と一緒になったらどうなったんだろうと仮定すると父親が猛反対し続けたのはなるほどやはり経済力のなさかと思う。 50代半ばで手取り18万円というのはどういうことなのか 多いのか少ないのか私はよくわからないけれど たぶん多い方ではないと思う。

でも自分でなんでもできるからちょっとしたものも家具を作れるし 電気系統も詳しいし いくらでももっと良い仕事で お金の苦労をせずに暮らせそうなのに不思議だ。


交通費も私の人生の時間もエネルギーも レンタカー代もガソリン代も もちろん相手の食事代も本当にお金とエネルギーを消費してしまう。

こうやって有限な お金と人生の時間を消費してしまって
残置品を片付けて 小銭をもらうというのは良いことなのか経済的合理性が取れることなのかよくわからない。


だから思い出のあるものや、明らかに家族が大切にしていたものなど 
ポイ捨てできないものを誰かの手に渡すようにして

後はまとめて業者や市区に粗大ごみで持って行ってもらうことにしよう。

同時にヤフオクで 1円出品1円即決でどんどん出している。


血圧を測る本格的な機械などは 医療機器にあたるのでジモティーで出せない。

でもジモティーで出せるものをどんどん出している。

今日も電気カーペットを安く持って行ってくれる人がいた外国人だった。引っ越してきたばかりと言うので 会社にあったパイプ椅子を二つあげたら喜んでくれた。


祖母が私に色鉛筆でも買ってくれようとしたのだろうか 
地道に集められたブルーチップ 22冊

愛されていたのだろうか いや私は誰にも愛されなかった 都合のいい人形として大事にされて 幼少期の 経済的な 世話はしてもらったかもしれない。

でも結局ヤングケアラーだった。


それでも世話をしてもらえたというのはありがたいことだからそれを私は感謝している。

みんな理解はしてくれなかったけれど 見返りを求めてケアはしてくれたのかもしれない。
それを愛と呼ぶのなら私は愛されていたのかもしれない。




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