買い手は売り手のために存在するものではない
岡山へ物件二つを見に行く。
1つは賃貸。
広さがあり、状態も修繕したばかりなので良い。
デメリットはとにかく安く見た目だけを修繕しているので、集成材の集合で、戦前の部分と完全にチグハグで安っぽくなってしまっていること。
それから、内覧させてくれた仲介業者が「10分くらいでいいでしょ、しょせん賃貸なんだから」と最初に言い放ったこと。
そんな仲介が責任をもって仕事してくれる気がしない。
片道四時間かけて、コロナ下なので駅からタクシーで往復して(5000円超)来ているユーザーにそりゃあんまりだ。
東京と大阪から引っ越す先に岡山の奥地を選ぶのは勇気がいる。そんな軽く決められない。でもあっちから見たらたかが賃貸。何千万も動く物件じゃないから手数料は10万足らず。そういうことなんだろう。
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二件目は購入物件。
市の歴史建物保存地区で、観光地の中にいるようだった。
アクセスは悪いが、環境も良い。
建物は中途半端で魅力に欠けた。古物好きには新しい、きちんと生活したい人にはやや汚く見える部分があると言う難しさだ。
そして、それ以上に売り手のトークがしつこすぎる。これには閉口した。売り込みポイントを語るのは良いけど、うんざりしてしまうレベルだった。
これはあとから仲介も「あれが原因なんです…」と言っていた。2年以上売れないと言う。さもありなん。
売れる売れないは見た数分で決まるという。なるほど。言われてみればそうかも。
場所も魅力があり、建物も面白いし勿論素材は悪くないのに、どうして売れないのだろう。
以下は私なりの回答だが、こんないいものを安く売ってやる、ありがたく思えという見下されている感じがヒシヒシと感じられて辛かった。北風と太陽だ。
そして、買い手は売り手のために存在するわけではないということ。
これは私も同じ轍を踏みそうだったので、反面教師になった。
売り手の思い出や思い入れは、買い手に押し付けてはいけない、背負わせてはいけない。歴史背景を語るのは良い、だが、過剰になるのなら、いっそ口をつぐんでいた方が良い。
物件は買い手の未来のためにある。
そのために買い手は大金を払う。
そういう課題の分離をするということが必要なのだと勉強になった。
私は気をつけよう。
それから、どんなにきれいに片付いていたとしても、
少しでも残置品や生活感の無い状態を内覧してもらうほうが、格段に有利な印象になるんだということもよくわかった。
自ら希望して前の人の意志を継ぐのは良い。わたしもそうしてきた。だが、その選択権は売り手には無い。買い手にある。押しつけがましくされると、うんざりする。今日のわたしのように。
本当にいろんな意味で反面教師になった。ありがとうございました。