夏休みの課題とシンデレラ
夏の暑さに溶ける。熱されたアスファルトに垂れて地面に染みて、地下水源まで下っていったなら少しはましかもしれない。
折角の長期休みだというのに、暑さは日増しで襲ってくる。
ニキビを隠すファンデーションもお手上げ状態。日焼け止めを忘れたなら次の日悲惨だし、汗の染みが目立つ服は一日中憂鬱。
気合を入れて駅前に集合しても、結局空調の効いた部屋で籠もることになる。一日中涼んで暑さを忘れる。それが温暖化を掲げる地球に生まれた学生の今風の夏休みだ。
場所は決まってちーちゃんの部屋。ちーちゃん家は金持ちで、一番部屋が広いから。急遽お邪魔することになっても、埃一つ見当たらないで綺麗に整頓されているから。高そうなケーキが誕生日でなくても出るから。涼し気な木陰とプールの傍にテニスコートがあるから。
私の部屋が拠点なら入るのに最低一時間は待ってもらって、出てくるのは母の機嫌が良くて雪の宿だろう。
「結局、ちーちゃんちが一番」
「みちの部屋、ベッドに占領されてるもんね」
田中がすかさず言った。私の部屋に一度だけ二人を招いたことがあったが、事あるごとにいじられる話題を提供しただけだった。
田中は姉と共有の部屋しか持たないのに随分と上から物を言う。レンズの大きい黒縁眼鏡と一緒に優等生キャラを被っているだけのくせに。
「ねえねえ、二人とも数学どこまでいってる?」
ちーちゃんが三人分のグラスを机に置いた。ウェルカムドリンクの百パーセント果汁のオレンジジュース。氷がカラリと揺れる。
「あと三ページくらい?」
「たなぴょん、すごい。あとちょっとで終わるじゃん」
「まあ夏休みもあとちょっとで終わるからね」
田中は数学が得意で、ちーちゃんはあだ名のセンスが独特だ。
二人と連日会えているのは勉強会という体だからで、高校二年は中だるみの時期だなんだと言われているけれど、私達は割と真面目に課題に取り組んでいる。
談笑の後、各々課題を取り出し、時よりオレンジジュースを口に含みながら、開始十分くらいは、それはそれは静かにシャーペンだけが走る。
ただ、ちーちゃんは集中力がまるでない。三人の中で一番ない。いつも決まって一番初めに喋り出す。
「ドラマチックな出会いってないかな。それこそ今やっている月九みたいな」
話題は大抵恋愛関連。私は目をノートに置き、課題半分で話を聞くことにする。
「格好よくて、優しくて、おはようとおやすみをちゃんと言ってくれる。目を見てね。あ、あといってきます。それと、ちーの考えている事が全部分かるの」
「……前半は置いといて、最後のは少し怖いかな」
そして、大抵田中が反応する。耐えきれずしてしまう。
するとちーちゃんは嬉しそうに「じゃあ、たなぴょんはどんな人がいいの?」と切り返す。それで話を続させる魂胆なのだ。
「あーえーっと、うん? 優しい人?」
田中は少し恋愛話が苦手で——そこは優等生っぽい、結局言葉を詰まらせて誤魔化すようにもごつくき、「あー、それより。みちは? みちはどうなの」と私にすがるのだ。これは最早定番。お家芸。
「確かに! ちーも聞きたい」
二人の熱視線にノートから目を上げ、少し赤面した田中と、どきどきワクワクを背景に楽しそうにしているちーちゃんに腹をくくる。
「私は、そうだね。運命の……」
「王子様ー! きゃー、ロマンチック」
ちーちゃんが食い気味に発狂した。田中は意外そうな目で見てくる。違う、違う。そうじゃない。
「違うよ。運命のシンデレラ」
「はあ?」
思った通りの二人の反応に、ここは一つ深くお話をしようではないかとそんな気分になる。もう誰のシャーペンも走っていない。ちーちゃんは器用に役目を放棄させられたシャーペンを回している。
「王子様って実は待ちじゃん。シンデレラが舞踏会に来なければ一生一人でしょ。運命の人には出会えない。目の前に急に現れるのは王子様じゃなくてシンデレラだよ」
「なるほど。シンデレラはその努力と人柄を妖精に評価されて、尚且つ自ら城に行く行動力があるってことね」
田中の真剣な分析に思わず笑いが零れた。ちーちゃんはそんなの可笑しいと抗議を上げる。
「だって、だって。そうだとしても王族じゃないと駄目でしょ。舞踏会ひらけないじゃない」
もっともなことを言う。私達は泣こうが喚こうが努力しようが平民だ。金持ちのちーちゃんでも成金貴族がいいとこだろう。
「そう。それが問題。やっぱ王子様じゃないと駄目かな」
「地位がなかったら目掛けじゃなくて、ただのナンパじゃん」
名前も知らない人に靴を持って追いかけ回されたら怖い。王子様だから許される。
「私の妃になれって平民は言えないよ」
「そしたらもう実力で口説き落とすしかないかな」
「生まれ持った地位がないからね」
「じゃあ、今からナンパの練習でもするの?」
話は突拍子もない方へ向かって行く。
「もう、あほ共。勉強しとけよ。シンデレラ落とす前に、単位落とすよ」
最後は、話を締める田中の一言で、全く進んでいないノートに目と気持ちを落とすことになる。
今週末には夏休みが終わる。課題が終わるか見当はつかない。暑苦しい日常まであと少し。
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