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My history -zian maeda-

【前田じあん年表】

1983年 調布のとある病院(場所知らないだけ)で生まれる。
    『ひかげのたいよう』#6 “愛に飢えた私”

1984年 母親が今の父親と結婚。相手には3人の子供。6人家族に。
1988年 この頃、渋谷区から多摩地区へ移り住む。
    近所の幼稚園に転園。
1990年 小学校入学
1992年 劇団四季「人間になりたがった猫」、
    Dreams Come Ture「The swinging star」との出逢い。
    合唱団へ入部。中学受験へ向けて塾へ通い始める。
    『ひかげのたいよう』#7 "生まれて初めてやりたいことを見つけた私“
              #8 “言いなりになるしかなかった私”

1996年 中学受験に成功し、希望校へ入学。
    『ひかげのたいよう』#8 “夢と出逢った私”
1999年 高校入学(中学から大学までエスカレーター式の一貫教育校)
2000年 作詞作曲を始め、学園祭でライブをする。
    『ひかげのたいよう』#10 “存在を消された私”
              #12 “普通になれなかった私”

2002年 大学入学。書道部に入部。
    『ひかげのたいよう』#13 “大切なものに気づけた私”

2004年 心を病み、何度も死ぬことを考える。
    『ひかげのたいよう』#14 “寄り添ってもらえなかった私”
              #15 “生きる意味を失くした私”

2005年 大学を1年間休学。
    『ひかげのたいよう』#16 “心を病んだ私”

2006年 復学し何とか必死に大学へ通う。
    抑うつ症状、パニック障害と診断され、入院しながらの通学。
2007年 無事、大学を卒業。
    引き籠り・拒食症・入退院(再)・バイト・生活保護・臨死体験…etc
    『ひかげのたいよう』#17 “生きづらさを感じた私”
2014年 旦那と共通の友人との再会。そして結婚。
    『ひかげのたいよう』#18 “行き場のない私”
2018年 娘誕生。”あの人”との関係。
    『ひかげのたいよう』#3 “誰にも助けを求められない私”
              #4 “愛情を注がれなかった私”
              #5 “怒りに満ち溢れた私”

複雑性PTSD(C-PTSD)
WHOが発行する疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD)の第11版(ICD-11)において、初めてPTSDと区別された診断基準として記載が行われた。

2019年 祖母の死。娘と旦那との関係が悪化し始める。パニック・過呼吸。
    この年に初めて、今までのことは“虐待”だったと認められる。
    〈診断名:複雑性PTSD
    1回目のトラウマ治療を受ける。(SE治療、EMDR)
    『ひかげのたいよう』#19 “嫌悪感を抱いた私”
              #20 “加害者になろうとしている私”
              #21 “私が好きな私”

2021年 娘が近所の幼稚園(満3歳児クラス)に入園。
    臨床心理士と合わずトラウマ治療を辞める。
    グルテンフリーに挑戦。
    『ひかげのたいよう』#22 “誰からも見てもらえない私”

2022年 臨床心理士のマオ先生と出会う。

複雑性PTSDが診断名として1月1日より正式に発効される。

2023年 エッセイの執筆を開始する。
    『ひかげのたいよう』#2 “今の私”

2024年 4月26日よりnote利用開始。
    7月18日、エッセイ『ひかげのたいよう』を出版。

エッセイのカバーデザイン画
完成品🫧

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