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勇敢なる戦士たちよ、失敗を恐れるな!

 私の中には剣がある。自分を見失い 心を壊しても 誰のことも傷つけなかった、希望の剣が────。



立ち上がれ! “K.I.R. soldier”!

作・前田 じあん


 誕生日を迎えたばかりの、らしくない梅雨の終わりかけ。私はと言うと安全な場所に居た。何故なら 今日は週に一度のトラウマ治療の日だからだ。先週のワークで姿を現した 何処か見覚えのある容姿をした一匹の
『この子たちの世話は任せて。』
 そう言って、まだ幼い “汚れを知らない私”たいようと “得られぬ愛に縋る私”ひかげの二人を背に乗せた。安全な場所の遥か上空へ舞い上がったかと思うと、そのまま何処かへ飛んで行ってしまった。

 一体何の話かって? 創り話のように見せかけた 私の中の世界の話だ。私の中の世界というのは安全な場所を指している。トラウマ治療に挑む上で必要不可欠と言われ臨床心理士と探した。私の中に在る、私が唯一私らしく居られる場所である。私の想像 / 創造の世界と説明した方が理解が速いかもしれない。そしてたいようひかげとは、私の自我状態一つ一つに名前を付けたもの。トラウマ治療を続けて2年4ヶ月、見つけ出した自我状態も今や50くらいに増えた。
 私はいわゆる毒親と言うやつに育てられ、這いつくばりながら 生きづらさのど真ん中を何とか今日まで生き抜いてきた。そんな私を「決めつけ」の枠で囲いたがるのが 世間だ。精神疾患だ何だ と、何かにつけて“自分とは違う人間”というレッテルを貼りたがる。悔しいことに、私はそのレッテルを取っ払うことができなかった。この世で唯一血の繋がりのある母親から毎日毒を吐かれ、あんなにも芯の太かった眩い心は既にボロボロになっていたからだ。枠やレッテルに囚われて生きるうちに見失う“私らしさ”。次第に生きる意味すら見失ってゆく。しかし自暴自棄に陥りながらも懸命に1日1日を乗り切っていると、案外 奇跡は起きる。その奇跡と言うのが臨床心理士のマオ先生との出会いだ。マオ先生とのトラウマ治療で私は“私らしさ”を取り戻すことができた。自我状態療法とアクティブイマジネーションを取り入れて行われたワークは、実にB5サイズのスケッチブック8冊分に及ぶ。治療の為と書き残してきた文章が 私をこんなにも強くさせてくれるとは思いもしなかった。言うなれば それは財産であり最強装備だ。

 脱線した話を元へ戻すと、つまりは 虐待を受けた私が“私らしさ”を取り戻す過程で見つけ出したのが たいようたちだと言うことだ。そしてちょうど今、 新しい自我状態を見つけ出すワークに取り掛かっている真っ最中だ。
 実は過去にも 今回のワークと似たようなことがあった。未だ私の中に巣食う 母親の姿をしたイラショナルビリーフの塊。私の中の殆どの自我状態たちが 安全な場所の外へ追い出そうと試行錯誤する中、“生まれる前の私”だけは そんな存在すらも救いたいと願った。そして母親の化身を連れて何処かへ飛び立っていったのだ。

────まるであの時と同じだ。確かあの時は、母親が一旦姿を消したことで たいようひかげが出てこれたんだったよな。
 その経験から、もしかしたら今回も 出るに出られない私が何処かに隠れているのかもしれない。そんな仮説を立てて意識を研ぎ澄ました。
 新たな自我状態を探す前に、私はたいようひかげの特徴を思い出した。“汚れを知らない私”という位置づけをしたたいようは、母親によって“私らしさ”を捻じ曲げられる前の 生まれ持った本質に近しい部分。その本質が毒に塗れて歪んでいく過程で、母親からの得られぬ愛を信じていたのがひかげだ。そんな2人の正反対とも言える私と言えば、母親を恨み憎んできた私以外に居ないだろうという考えに行き着く。
『あいつが私を愛してる?! そんなことある訳ないだろ! いい加減目を覚ませよ! あんな奴死ねばいい!』
 いつまでも母親の愛にしがみついているひかげに憤っている私が姿を現した。暗がりの中でブツブツと何かをひたすら呟いている。呟きの正体は 自分をこんな姿にした母親への怒り。そんな私自身を“心を壊した私”と位置づけ、その子の感情に少しづつ歩み寄っていった。
 “心を壊した私”の利き手には鋭利な刃物が鈍い光を放っている。それが 目の前に置かれた真っ黒い塊へ向けて真っ逆さまに振り下ろされた。腹の中に溜め込んだ母親への恨みつらみを吐き出すかのように
『死ね! 死ね‼』
と、何度も何度も真っ黒い塊を突き刺した。彼女が塊を刺すたびに何故だか私の心も痛んだ。八つ裂きにされていく塊が彼女自身でもあるかのようで 見ていられない。目を逸らしてしまえばそれまでなのだが、みんなと誓った約束を破る訳にはいかない。

もう誰も置いて行かない。

「私と 私の中の私たちとの合言葉」より

 合言葉を心で復唱しながら呼吸を整え、“心を壊した私”に こんなお願いをしてみた。
「私も 一緒にやってもいい?」
 私の中の私たちが心配そうに見守っている。“心を壊した私”は感情を一寸も動かすことなく私に凶器を手渡した。彼女の心を映し出すかのように、涙が溢れては私の頬から落ちていった。感情を込め 真っ黒い塊を一突き。痛むのは私の心か? それとも彼女の心なのか? もうよくわからない。刺し終えた刃物を側に居た自我状態に手渡し、全員に回してね と伝えた。みんな無言で刃物を受け取り、私と同じようにした。滅多刺しにされてゆく塊。“心を壊した私”は 全員分の傷を負った塊と無表情のまま対面した。刻まれた刺し傷と向き合った時、今までびくともしなかった彼女の心が僅かに震え出した。目を逸らし続けた事実に気づいてしまったのだ。同じ傷が 同じ数だけ 自分にもついている。目の前にある真っ黒い塊は 母親の姿を投影しているのと同時に、自分自身の心でもあった。現実から目を背けていた あの頃。やり切れない日々に耐えることに必死で、それ以外の選択肢はなかった。結果として生き延びられただけのこと。当時の選択によって苦しみが軽くなったかと言うとそうでもない。当時のままの重量で苦しみがのしかかってくるようだった。
 ワークを重ねていくと、度々このような場面に出くわす。
「あの時は辛かったな。」
 自分でもそう思ってはいるのだ。しかし実際に過去の記憶や感情に触れていくと
『辛いよ。助けてよ。』
 過去の自分が訴えかけてくる。それは時に怒りや拒絶だったりもする。正面から向き合った時に気づかされるのは、当時の苦しみは私の想像を遥かに通り越していたと言うことだ。そうして初めて 目を背けていた感情は自分のものだったのだと受け入れられる。想像以上の苦しみに耐え抜いてくれた自我状態たちへ声を掛け、信頼を取り戻してゆく。トラウマ治療のワークは この作業の繰り返しだ。
 気づきを得たことで、ようやく“心を壊した私”の悲しみスイッチがONになった。お面のような表情を柔軟に歪ませて、大声を上げて泣き出した。
「痛いよね。痛かったよね。見つけるのが遅くなってゴメンね。」
 しゃがみ込み 天を仰いで泣きじゃくる彼女を抱き締める。背中をゴシゴシと撫でながら私も一緒に泣いた。

 「変わってる」「自分の世界を持ってるよね」「不思議ちゃん」世間は そんな風に簡単に境界線を引く。“心を壊した私”は 捻じ曲げられた心で生きなければならない理不尽さを正すことができず、どうにもならない感情を 自分が生まれ落ちたこの世へ当てつけるように叫んだ。
『誰も私をわかってくれない! こんな世界生きてたくない! 誰か私を殺して!!!』
 涙ながらに叫んでいた。今も尚、私を殺せと泣き叫んでいる。私は彼女と共に生きたい。ただ そんな言葉が彼女の心を揺さぶるとは思えなかった。彼女だってこんな結末を望んでいた訳ではない。夢見た明日があった。なりたい自分を描いたこともあった。煌めく理想と自分の現実があまりにもチグハグで、自分は醜いと思い込んでいる。自分の醜さを思い知らされる毎日から抜け出したい一心で
『私を殺してぇぇぇえ!』
 そう叫ぶしかなかったのだ。悩んだ挙句、この子の代わりに私が犠牲になろうと思いついた。
「あなたを傷つけるくらいなら、私が身代わりになる。」
 そう言って、希望が託した言葉の剣を“心を壊した私”の手に握らせた。
 言葉の剣とは、希望から手渡された餞別の品だった。“背中を押す私”と出逢い扉の向こうへ歩き出した日、私は自我状態の一人一人から餞別の品を受け取った。扉の向こうの世界で待ち受ける出来事に負けないように との想いが込められていた。その時に希望が持たせてくれたのが剣だった。最初は何に使うのかよくわからなかった。それが言葉の剣かもしれないと思ったのは、“生まれる前の私”燈に出逢う直前のワークでのことだった。母親からの心理的虐待によって、言葉は人の心を切り裂く凶器にもなることを痛いほど学んだ。だからこそ私は 言葉を誰かを守る為の武器にしたいと考えた。誰のことも傷つけない為に。

“背中を押す私”

 そんな重要な意味を持つ剣で誰かを傷つけるなんてできない。ましてや大切な私の一部を? 論外だ。自分が犠牲になる方がマシだった。そんな想いで “心を壊した私”に握らせた剣の切っ先を私へと向けた。剣を握る彼女の手が震える。
────怖いよね。
 きっと彼女には誰かを傷つけるなんてできない。意気地なしとかそう言うことではない。やってはいけないことだと前頭葉が指令を送るのだ。正常に働く理性と過活動する偏桃体に翻弄され、言葉にして別の場所へ感情を向けることで誤魔化してきた。今までそうやって必死に耐えてきた。必死に。

【必死とは】
 その出来事の中で必ず死ぬと覚悟すること。生死を顧みずに全力を注ぐこと。

 彼女の手の上から自分の両手を重ね、私は躊躇いなく自分の胸元へ剣を突き刺した。想像の世界だからか不思議と痛みはない。けれど不思議はそれだけではなかった。突き刺した剣は 吸い込まれるように私の胸の中へ入っていき、眩い光を放ちながら跡形もなく消えてしまった。辺りがシンと静まりかえる。呆気にとられていると、更に不思議な出来事が追い打ちをかける。
 束の間の静寂を破ったのは閃光だった。一つまた一つ みんなの胸元に光が灯る。その光が ライトセーバーを振りかざす時のハウリング音を靡かせながら光芒を放った。姿を消した筈の言葉の剣がみんなの心の中で確かに輝いていた。勿論 “心を壊した私”の胸元にも その剣はあった。あちこち見渡す落ち着きのない視線たち。そこへ館内放送ならぬ私内放送のアナウンスが流れた。いつの間にか場の中心には電柱が。そこには四方へ向けられたスピーカーが括り付けられている。放送はどうやらそこから聞こえてきているようだった。
〔 ピン ポン パン ポ─────ン. 〕
 放送前のお決まりのコールサインに続いて アナウンスは次のように喋り出した。

 ダレノコトモ キズツケズニ
 ヨク ココマデ タドリツキマシタネ.
 ソンナアナタニ
 コノ キボウノケンヲ サズケマス.

私内放送のアナウンス

 再び静寂が場面全体を覆った。アナウンスの言葉の意味は瞬時に理解できた。
  “漂っている私”グレイスが未だに抱えている恐怖があった。自分がいつか殺人鬼になってしまったらどしよう、という漠然としたものだった。憎しみや恨みといった感情に支配されてゆくにつれ、漠然とした恐怖が現実へと歩み寄る。出口の見えない恐怖から逃れる為にグレイスは考えることを止めてしまった。
 けれど今日まで見つけてきた自我状態たちは 自分が加害者になる道を誰一人として選択しなかった。それに、あの時避けた問題と今こうして向き合えている。希望の剣は きっとそのご褒美なんだ。私はそう解釈した。同時に安堵感が涙の粒となって零れ落ちた。全員の胸に光り輝く希望の剣は、私たちが今日まで必死で生き抜いてきたという証だ。どんな名声や賞よりも価値のある勲章だった。
 グレイスきらりの2人が虹のリボンを取り出し “心を壊した私”の右手首に結んだ。これは私たちが人生を共にする仲間であるということを意味する。そして私からは剣(つるぎ)という名を授けた。大切な私の一部であることを忘れないでいて欲しいから。

大丈夫、僕らなら越えてゆける。

「私と 私の中の私たちとの合言葉」より

 しゃがみっぱなしのの手をとり、ゆっくりと立ち上がらせた。みんなが手を繋いで輪になっている。誰か新しいメンバーを迎える時には、大抵こうして繋がれていることを確かめるように手を取り合ってきた。剣も立派な私の一部という訳だ。
 虹のリボンを結んだ私たちの居る世界を、たいようひかげが離れた場所から眺めていた。それぞれの瞳には虹が架かった安全な場所が映っている。3人の背中越しにその光景を眺めているイメージが私の脳裏にパッと浮かんだ。
「これからはさ、この希望の剣で 私たちを必要としている人たちを守っていきたいね。」
 新たな約束を呟いた処で、タイミングを見計らったかのようにワーク終了を知らせるメロディーが流れた。

 もう独りにはさせないと伝えるようにをギュッと抱き締めた。私たちが一つになれたことを確認して、自我状態たちが 私の中へスッと入ってゆく。その場に残ったのは私1人。けれど大事なことを忘れてはいけない。私は独りではないということを。私にはどんな困難にも共に立ち向かえる“最強の仲間”が居る。私の中にちゃんと存在している。みんなの温度を確かめてワーク終了の挨拶を交わし、そっと目を開けた。


 5000文字強の文章に収められた不思議な出来事を、妄想だと言う人もいるかもしれない。誰かから見たら妄想でしかないような出来事が私を支えているのは事実。それに理解してもらえないのは 何も今に始まったことじゃない。私の人生は想い挫かれることの連続だった。だから今更 理解されないくらいでは落ち込んだりしない。それがこの世界のありのままだから。帷の言葉を やまびこが復唱する。

『この世が俺らにとって生きづらい場所だってことはとっくにわかってんだろ?』

短編エッセイ『BITTERじゃいられない』より

 そうなのだ。この世は私にとっては生きづらい場所。けれどそれがありのままであることをトラウマ治療の中で学んだ。生きづらい世界をありのままで生きる術も、それでいい と言うことも。

 私は生きづらい世界でありのままを貫く“K.I.R. soldier”だ。どんな薬も どんな前向きな言葉も 私の中に潜む見えない敵の前では無力だった。目に見えぬ敵は厄介だ。人は目に見えない物を信じにくかったり、恐怖が膨らんでしまったりもするからだ。意を決して立ち向かってみると大したことはなかった、なんて事だって起こりうる。
 実際 私の中に居た見えない敵は“一杯のブラックコーヒー”だった。なんてことはない。私にとっては胃を刺激する香りを漂わせるだけの飲み物だ。牛乳と砂糖を加えれば美味しく頂くこともできる。敵の正体がただのコーヒーだとわかって必要以上に構えて損をした気持ちにもなるかもしれないが、勘違いしないで欲しい。敵が最初からその姿だったとは限らないと言うことだ。意外な敵の姿も、同じ空間に居ても何とも思わないのも、全てトラウマ治療の成果だ。
 私らしさを取り戻すことのできたトラウマ治療。しかし誰もが治療を受けられるとは限らない。治療を進めるのが怖くて躊躇っている人も居るだろう。治療を進めても医師との信頼が築けず諦めてしまう場合もある。それが現実だ。私はそんな現実を変えていきたい。トラウマ治療に対する恐怖も、乗り越えた時の爽快感も知っている私には それを実行する使命があると思っている。この世界に押し潰されそうになりながらも明日への僅かな希望を輝かせている同志へ
「もう大丈夫だよ。」
って声を掛ける為に。
「よくここまで生きてきたね。辛かったよね。でも もう独りじゃないよ。」
 そう寄り添う為に。それを私が直接やらなければならない なんてこともない。大切なのは苦しんでいる当事者が自分の幸せをみつけること。誰がやるかは二の次だ。そんな世界になるように、波風立てて 声を上げて 想いを発信し続ける。それこそが私が考える“K.I.R. soldier”だ と思っている。






勇敢なる戦士たちよ


 今こそ 共に立ち上がろう。
 生きづらさ溢れるこの世界で
 貴方だけのありのままを輝かせる道を
 自ら選び、進むのだ。
 失敗したっていい。
 何故なら
 貴方が生きている限り
 何度だってやり直せるのだから。
 だから 生きていて欲しい。
 辛かったら頼って欲しい。
 苦しかったら泣いてもいい。
 そうやって分け合って生きたっていいじゃないか。
 私はそう思っている。

 どんなに無様でも
 惨めに思えても
 その目線は少しも落とさずに
 僅かな希望を胸に
 自分自身の幸福の為に

 これは私が執筆したエッセイのあとがきに記した言葉だ。
 その言葉を同志に贈りたいと思った。
 周囲からどう思われようと

 「『 貴方の味方がここに居る 』」

 それをどうか忘れないでいて欲しい。

 自分も“K.I.R. soldier”だ!
 もしもそう思ってくれたなら
 きっと貴方の胸元にも希望の剣が輝くだろう
 貴方を最強にしてくれる 装備 となるだろう

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