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-拝啓-
吹く風冷たく、鼻先を真っ赤に染める季節となりました。それなのに街を埋め尽くす景色といったら秋の色で溢れかえっていて、自分が生きている“今”を受け入れるということは簡単ではないのだと改めて思い知りました。
今日は朝からこの記事を読んで、私の中の私たち、特に“本当の自分を見て欲しいと願った神”燐が心震わせていることに気づいた。
私が『書く理由』。それは誰かからしたら大したことないと思われるような事かもしれないけれど、私にとっては物凄く大事な想いだったりする。
いつしか自然と「全員が幸せになれる世界だったらいいな。」と思うようになり、その為に歌手になることを決意。作詞作曲はもちろん、路上やライブハウスで歌ったり、オーディションにも応募した。後ろを振り返る暇もないくらいひたすら前進し続ける私には、良いこともあったけれど、悪いことも次々と押し寄せた。迷走を続ける私にも音楽の師匠との出逢いという奇跡を手にすることができ、もうあとは歌手になるだけだ!と気合を入れた矢先、今まで張りつめていた情熱の糸がぷつりと途切れてしまう。
そうなった原因は、自分の中の声に気づかないフリをし続けた結果、私の中の世界が散り散りに崩れてしまったことにあった。
合わない医者・薬・治療を幾つも試して、失敗を重ねてきた末に辿り着いたトラウマ治療。信頼できるマオ先生とワークを2年3カ月の間重ねてきたことで“ありのままの私”で居ることの大切さを学び、私の中の私たちと決めた合言葉を胸に今日まで乗り越えてきて、そんな私が今このnoteを『書く理由』。
伝えたい想いがあるから。
想いが溢れてどうしようもないから。
届けたい人が居るから。
その人が何処に居るもかわからないから。
この想いを忘れたくないから。
そして、この想いを次の世代へ繋げたいから。
書くことは、その為の手段の一つに過ぎなくて、でもこの場所が私にはとても温かく感じるから続けている。
この想いを次の世代へ繋げたいと思った理由を綴った記事はコチラ↓
今日までに歌ったり作詞作曲、絵、詩、写真、書道を通して自分を表現し続けてきて、昨年(←昨年じゃなくて今年です💦間違えました🌩️)にはエッセイを出版したことで文章で誰かに想いを伝えるという術を新たに身に付けて今に至る。
最初の方に書いた“本当の自分を見て欲しいと願った神”燐の話に戻ると、ナオさんの想いを読んでいて、燐が共感したような気がしたんですよね。人間同士の関わりってレッテルの貼り合いだと思っているんですけど(だから私はずっと人間が大嫌いだった。)、貼られたレッテルをそのまま放置しちゃうと、いつの間にか“周囲が描く私”像を受け入れてしまう。
「違う! これは私じゃない! 本当に“なりたい私”はこんなんじゃない!」
そう言わなきゃいけないのに、面倒臭かったり、どうせ誰も私の話なんて興味ないだろうって諦めてしまってたんです。そんな私の一部が燐で、神に憧れていたけど『どうせ自分にはなれない。』と諦めていたのが“神に憧れた悪魔”帷。帷だけが燐の本当の気持ちに気づいて受け入れてくれたことで、私の中の世界はより一層深く繋がることができましたが、この“なりたい私”になるってすごく大変なことだと思うんです。
燐と帷について書いた【空の写真100日投稿】の69日目の記事↓
ナオさんも文中に
noteを始めたときに「こうなりたかったか?」と振り返る。
もちろん思っていない。ただ、「なりたい自分」になるためにも一度通らないといけないと感じていた。
「ついに現れた壁 想う心を綴ってみた」
イタイ目にあってたどり着くnote2年生
より
と綴っているのですが、恐らく今悩まれている最中なのかもしれないのですが、私にはただ前を見て進んでいるカッコいい背中しか浮かんでこなくて。私も“なりたい私”になる為に毎日必死に自分自身と、それから現実と向き合って生きているから勝手に仲間だななんて感じたりしてしまっています。
これを書きながら、書くことは目的じゃなく一つの手段で、それを自分自身で如何様にも使っていけるってところが魅力なんだなという考えに辿り着きました。実際に私のエッセイも、全然売れてないけど、これを書いたことでまた繋がれた縁があったり、誰かの想いを代弁できていたりする。いわゆる“武器”になっているんです。私はこの“武器”で誰かを傷つけるつもりは毛頭ない。ただ、大切な誰かが窮地に追いやられている時には、その人を守る為に使いたいなって思う。
実は私、伝えることはあまり上手くないということに40歳くらいで気付いたばかりなので、伝えたいことが伝わっているかわからないのですが。。。どうかな。また「この人何言ってるんだろう?」って感じになってないかな。心配です。
個人的には共同マガジンに参加しててもそんなにスキも伸びないし、こうしたら伸びる!っていう記事を読んでもなんだかパッとしなかったり、今の私はいっぱいいっぱい過ぎてそこまで手を付けられなくて、、、
でも、だけど、「この方いつも見て下さってるなぁ。」なんていう嬉しいことはちゃんとある。だから頑張れているというのもある。こんな私の記事を読んで下さって、いつもありがとうございます。
話が逸れました。
私が『書く理由』はまさに、
この想いを次の世代へ繋げていく為!
そして書きためた文章を“武器”にして、いつか誰かを守れるように!
です。間の文章いらなかったかもしれないけど、でもこの想いに行きついた過程も大事ですからね。
どうか私の伝えたい想いが届きますように🫧