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思考を止める。今を感じてみると…
1000文字ほど書いて、すべて消して書き直したくなったこの記事(笑)
どんなことを書くのかは、私もよくわかっていません(*'ω'*)
ただ、思考を止める・今を感じる。
これがやっぱり大事だな~って思うこの頃、
勘違いしないでいただきたいのは、それを「しないといけない」「できないといけない」わけではないという事。
それを前提に、進めていきたいと思います。
まず、初めに大事っていう以前にもうね…
「ラク!!楽!!」です。
いかに今まで、自分を思考で追い詰めていたかが分かります。
こうやって書いている今も、思考しているといえばそうかもしれないけれど
考えている。っていうより「言葉を流している」っていう感覚なので
思考している時とは、比べ物にならないくらい心地よいです。
よく思考は自分ではないと言われますが、
私は、自分でもあるし自分でもない。っていう感じを持ってます。
エゴ=自我
それならば、一応「わたし」を形成しているものではあるのだから
絶対関係ない!!ってする必要もないのかなって。
ただ、本来の自分と一致しているかどうかは別だよね~くらいの感覚でいます。
これは、それぞれの捉え方なので感覚的なお話をしていますが…
エゴ!邪魔者!あっちいけ~~~ってする方が、負担がかかるなって自分に思ったのでそう捉えているまでです。
今までの自分を形成したり、形成する傾向が強いもの(反応してしまいがちなこと)などを元に繰り広げられるもの。
今やこれからの自分には関係はないけれど、ある意味今までの癖を知ったり、切り替えるうえでは参考になるかなっていうものだという感じ。
だから、止めても問題ないし(私たちって、どこかで考えないとダメみたいなところがある気がする)止めてみるとわかるのですが、
頭が鎮まる分、心の感覚が研ぎ澄まされる。
普段、携帯やテレビを見ながら食事をしている時と
食事に集中したときの「味覚」の違いみたいな?
流れ作業でしていたことを、一つ一つ丁寧にするみたいな?
(あとは、あなたにとってわかりやすい例えがあるかもです(笑))
思考がなければ、心地よさしかないという事に気づくはずです。
言い換えれば、思考によって心地悪さが生まれるということ。
何かがあるから、不快になると思っていますが
本当は、何か(そこに意味はなく)があったことで、
それを自分なりの解釈を通して、思考したことで不快になるという事。
同じ体験をしても、何も感じない。快・不快に分かれるのはその違いだけなんです。
でも、私たちは思考もする存在です。ずっと、思考を止めることもできません。
逆に言うと、思考するからこそ個人個人で「望み」があるし
それぞれの「違い」もあるのだから思考をしない事はない。
だから、思考をすること自体が「悪」でもない。
けれど、意識しないと信じられないほどの無数の思考を垂れ流し
その傾向が偏ってしまうと(特に、望まない方へ)気づくことが難しくなり、「解決しないといけない!」っていう事になるのですね…
じゃあどうするんだ!ってことで、初めに戻りますが…
思考を止める・今を感じる。です。
ずっとそうしているわけにはいきませんが、時間をとったりできるときに
(初めは、敢えて時間をとってみるといいかもです)
してみると「問題について考える時間」をとっていない自分。という体験ができます。
その感覚が、慣れてくるとあっさり解決していたりするかもしれません。
そのことを考えるのがだめというより、考えるから維持していただけ。
何かをしないといけないのではなく、しないといけないという事をやめるだけ。
幸せでいないといけないのではなく、そこに実はあった幸せを(心地よさ)を感じるだけ(思い出すだけ)
思考を止める・今を感じるをすると、うっすら~からかもしれませんが
その感覚が分かってくるのではないかなと思います。
読むだけ、分かった!!ってしてるときには、到底わからなかったことが
味わえます。(私はそうでした)
是非、気が向いたときでもまずは少しからでいいので
思考を止める・今を感じるを試してみてください。
今日も何か受け取っていただけることがあればうれしいです。
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