#12 算数障害(ディスカリキュア)と、デジタル時計が読めない私
(1756字・この記事を読む所要時間:約4分 ※1分あたり400字で計算)
長いこと時間確認はスマートフォンで行っていたが、最近になってデジタルデトックスをしたいと思い、腕時計を買うことにした。
早速近所の時計屋へ。
色とりどりの時計が静かにチクタクと囁く不思議な空間。
「そういえば、もう随分長いこと時計屋に来ていないなぁ」と考えつつ、何となく店内をうろついてみる。
金属ベルトの高級そうなもの。
パステルカラーのおしゃれなもの。
華やかで上品そうなもの。
どれにしようかと悩んでいると、早速店員さんが「いらっしゃいませ」と寄ってきてくれた。
「腕時計を探しているのですが」と伝えると、その場で店員さんがガララとショーケースを開く。
「今はデジタルがホットですよ」と、こじゃれた製品をずらっと私の前に並べた。
なるほど、確かに近頃のデジタル腕時計はかっこいい。
洗練されているというか、先進的な、そんな感じがする。
自動的に時間を合わせてくれるし、ソーラーパネル付きなものもあって電池交換が不要だ。
ボタン一つで日付も見れるし、ストップウォッチや目覚まし機能が付いているものもある。
ザ・現代人用ガジェット、的な感じだ。
だがいくらハイテクでかっこよくてもそれは私の選択肢にはない。
なぜなら、私は「数字だけ」で時間を読みとるのが非常に苦手だからだ。
スマホで時間確認をしていた際もそうだったが、数字だけ見ても、私は時間のイメージがしづらい。
目で数字を識別することは出来る。だが、その数字が果たして実際の時間とどのようなつながりを持つのか、それが具体的な感覚とリンクしないのだ。
よって、「15分」と言われても、その「15」が長いのか短いのかいまいち分からない。
例えば、私は「15は10より大きい、10は5より大きい」という数字上のルールは知っている。
よって、「15分は10分より長く、10分は5分よりも長いんだ」ということも推測出来る。
けど、「15分」、「10分」、「5分」といった概念が実際の生活とどう関係するのか、ということまではイメージ出来ない。
つまり、数字だけで示されるとただの数字にしか見えない。
それ以上でも、それ以下でもないのだ。
だから「待ち合わせ時間まで後30分」と言われても、それはまだ余裕があるのか、それとも急ぐべきなのか良く分からない。
取り敢えず遅れるのが怖いのでいつも前もって到着するようにはしているが、それがえらく早過ぎてしまい結局一人で長時間待つはめに......ということもしょっちゅうある。
そこで登場するのがアナログ時計。
そう、針と文字盤がある時計のことだ。
針と文字盤の存在はありがたい。
抽象的な数字と時間の概念を「距離」として具体化してくれる。
例えば「15分」は「分針が数字の1から4まで移動する距離」;
「50分」は「分針が数字12から10まで移動する距離」。
このように時間の長さを針の間隔で視覚的に捕らえられるので理解しやすく、簡単に時間をイメージすることが出来る。
そういえば「ディスカリキュア(算数障害)」というものがあるそうな。
これは数字や記号の認識が著しく困難で、且つ他人からしてみれば簡単な計算だとしても本人にとっては難しく感じてしまう障害なのだそう。
(こちらの漫画がとても分かりやすいです!)
私は数字自体を識別するのは全く問題無いし、学生時代の数学のテストも点数は悪くなった。
だが、先程話した「数字と時間の関係」だけでなく、「時間と大きさの関係」、「時間と量の関係」、「時間と温度の関係」......といった、数字を実際の生活と紐づける作業が異様に苦手なのだ。
一時、会社で設計部に配属されたことがあったが、もう拷問でしかなかった。(数字の大きさと製品の長さを連携して想像出来ない為)
上司も同僚も優しく、この上ないホワイトな勤務環境であったのにも関わらず、「数字が分からん!」だけで耳鳴り・吐き気・頭痛を起こし、甚だしくは仕事中に急に涙が出てきたこともあった。(その後、部署の異動を申し出た)
話を戻そう。
そう、腕時計だ。
結局、どんなビジネスシーンにも合いそうな、シンプルな小型のアナログ腕時計を買うことにした。
さすが文字盤。
さすが秒針・分針・時針!
一目瞭然で時間が分かる素晴らしいデザインに感動した。
ほんと今まで良くスマホの時計で我慢出来たものだ。
いやはや。
こんな私でも、一応「ディスカリキュア(算数障害)」に入るのだろうか?
そんなことを考えつつ、私は時計屋を後にした。