脚本のこと
2014年7月に「第40回城戸賞」という記事を書いている。
城戸賞というのは映画脚本の賞で、入選すれば映画化される事もある。
シナリオライターになりたい訳ではなかった、ただ監督したいがために脚本を書いていた。
それにした所で、上の記事にあるように最低8回、シナリオの賞に落選した事に変わりはない、ようするにツマラナイ物しか書けなかったのだ。
これ以外の賞にも数え切れないほど応募しているが、すべて落選。
だから、映画やテレビのシナリオライターを尊敬している、それはウソではない、くやしいが、自分には出来なかった事だ。
だからこそ、なのか、シナリオに厳しい目も持っている、それは監督や助監督なら当然だが、アラ探しをする、時間的な事、日替わりにムリはないか・・・
シナリオライターがどんなキモチでセリフやト書きを書いているか・・・
これは闘いだ、ライターのイメージを超えるものを映像に残すのだ。
一番最初の先生は鈴木清順監督だった、すべてにおいて、シナリオどうりに撮る事を拒んだ、セリフはいじらない、だけど、場所などはどんどん変えた。
次の先生は杉田成道監督だ、倉本聰の脚本はセリフも設定もいじれない、そんな中で、映像はセリフに勝つことを教わった、セリフとセリフの間に言葉に出来ない映像を挟む。
橋田 壽賀子の脚本にも泣かされた、細かい事まで書かない脚本には遊び所がいっぱいある、監督の鴨下信一は「食事をしている」と書かれているだけの部分に、とんでもないものを用意させる、これも闘いなのだから仕方がない。
演出部はイメージでシナリオライターに勝たないといけないのだ。
自分で言うのも恥ずかしいが、CSの誰も見ないようなパソコン番組でさえ、僕は監督として戦っていた・・・。
年寄りはそうやって映像を作って来たのだが、今はそうではないらしい。
ライターは現場におまかせ、現場には戦うことを知らない演出部。
とくにイイ物を作りたいという訳でもなく、若い子に胸キュンしてもらうだけの番組。
悪口は言わないで・・・。
そういう時代なのか・・・。