もっと無能な助監督の話。
金子修介監督のnote「ロマンポルノ無能助監督日記」を、時間がたつのを忘れて読むふけっていた。
思い出して、少し昔の事が書きたくなった。
僕はピンク映画の助監督さえマトモに出来なかったのだけど、映画の現場が懐かしい。
金子監督の助監督時代と、僕の東洋現像所でのバイト時代がかなりシンクロしているので、「無能助監督日記」に出てくる、その当時のロマンポルノを僕はほとんど見ている。
もっとも日活作品はプリント本数も少なく、映写するのは0号、初号ぐらいで、見ようと思って見ていた訳ではないので、タイトルや内容は、もうウヤムヤになっている。
それでも、裸が見られるという事だけでなく、あの当時のロマンポルノは面白かった。
「無能助監督日記」に金子監督の天敵として出てくる白石宏一さんとは鈴木清順監督「陽炎座」で少しだけ縁がある。
僕は「陽炎座」の撮影スタッフではなく、お弁当作り班であったが、鈴木清順監督の運転手のような事もしていて、朝、現場に向かう時、助監督の白石さんが助手席にすわり、清順監督は後部座席にいた。
茶色い三菱のギャランかランサーで映画「愛欲の罠」で使われていた車だ。
車の中で、白石さんが撮影スケジュールの確認をし、清順監督がなにか言う、そんなすべてに聞き耳を立てていたはずだが、何一つ記憶にない。
白石さんに「石田くん、ラジオの音が大きいよ」と何度か言われた......。
あるロケ現場で、白石さんが松田優作に詰め寄られていた光景だけは目に焼き付いている。
助監督怖いと思ったが、のちに助監督になった時、あのような怖い目にあった事はなかった、怖かったのは松田優作だ。
山口百恵の映画「炎の舞」の監督、河崎義祐さんのエピソードとして、「東宝の監督はオシャレなスーツでネクタイをしている」とあったが、日活の監督はどんなスタイルだったのだろうか。
着ているものについて、あまり言われた経験はないのだけれど、日活の巨匠、舛田利雄監督についた時、言われた事だけは覚えている「助監督はな、ジャケット着ないかんぞ」そんな言い方だったと思う。
撮影部や照明部と違って、俳優さんに一番近い位置にいるのだから、ちゃんとしろ、と言う事だろう。
残念なことに、少人数編成で、機材の搬入やら、美術の建て込みまでするような小さな作品の監督にしかなれなかったので、オシャレなスーツでネクタイどころか、ジャケットを着て現場に行った事は一度もない。
でも、ちゃんとジャケットは用意してある、まだ先は長いから。