「めんどくさい」に支配されてて
ここ1か月近く、無気力、虚無感に駆られることが多かった。
今まで生きていて一番、生きていることに「めんどくささ」を感じていると思っている。
今手元にないので、内容を確認することができないんだけど、ちょっと前に『生きていくのが面倒くさい人』(著:岡田尊司)という本を読んだことがあった。
話が横道に逸れるので最小限のことしか書かないけど、本の内容は回避性パーソナリティ―という特性と、その特性を伴った人が生きることに対して無気力になってしまう深層心理や要因に迫る内容だったと思う。
私自身が回避性なのかは置いといて、事実、今の私は生きていることがとてもめんどくさい。そのめんどくささは、数日前、カウンセラーさんにもお話した。
何もやりたくないわけじゃない。でも、何かしらのアクションを起こそうとすると、それを実行に移す前に「めんどくさい」という壁が立ちはだかってる、というような感覚がある。
この「めんどくさいの壁」を超えられず、結局「あれやりたかったんだけどなー…」と思い返しつつ一日を終えてしまう、そんな怠惰な毎日。
めんどくさいの壁はなんでできてしまうんねん。
「めんどくさい」って概念は、「やらなくてもいいや」で済む小さな行動の回避とか、「こうしたらこの後めんどくさい」という予期回避的な積み重ねが大きいのではないかとぼんやり分析してる。
求人を見るのがめんどくさいのは、まだ貯金に余裕があって「慌てなくても良い」っていう心の緩みが無意識に生じてる。
このまま、のほほんとしてるならまだ可愛いもんだけど、不安障害が生じてる身なので「慌てない」一方で物凄く「慌てている」。
今月を、来月を過ごしてく分には余裕はあるが、一分一秒私は衰えていくし、お金は減っていくし、勘を取り戻せなくっていく。
余計なことを考えるようになる。「俺全然頑張れてないじゃん」とか「このまま何も出来ずに死んだらどうしよう」とか、考えすぎたうちに脳に疲労が蓄積していく。
ここ1週間以上記事を書けなかったのも、めんどくさかったからだ。気分転換になると思って始めたことだったが、今の私には気分転換もめんどくさい。
見ようと思って録画した番組を見るのがめんどくさい。ラジオとYoutubeは、スマホのバッテリーの消耗が気になってめんどくさい。
文章を書くこと、考えが引っくり返したおもちゃ箱みたいに散乱して何を伝えたいか分からない。一言苦しいとすら書けない。
仕事すぐに辞めるのもめんどくさいからでしょうか。
お昼何食べようかと思っていつも同じメニューを選んでしまうのもめんどくさいからでしょうか。ついつい早食いしちゃうのもめんどくさいから?
人と話したいけど、いつ、どこで、誰と、何を話せばいいか考えすぎてめんどくさい。社会に苦言を言うのも、苦言言ってる人を見るのもめんどくさい。
思い返すと、高校から早く抜け出したくて雑に指定校推薦を選んだ辺りからもうめんどくささが出ている。私の人生、いつの間にかめんどくさいに支配されてたんだ。
バカだから今になってようやくその事実に気づく。私の20代のQOLは全部「めんどくさい」に飲み込まれた。後悔してる暇もない筈なんですが、この事実に気づいた私の思考回路の疲労がピークを迎えてしまいました。
めんどくさいんで今回はここで筆を置きます。
P.S.
めんどくさいけど、やりたいことは死ぬほどある。ただめんどくさい。
死ぬのもめんどくさいから明日も生きてる。ここはめんどくさいに感謝。