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タイムループと和解せよ!――『タイムマシンガール』面白かったよ

『タイムマシンガール』という映画を見てきました。池袋のシネマ・ロサでしか上映されていなかったインディー(?)作品だけれど、面白い! これを書いている時点ではシネマ・ロサでも上映が終了していますが、大阪での上映が決まっているらしい。大阪近郊のかたは是非見てもらいたいです。

『タイムマシンガール』メインビジュアル

どんな映画か? 「びっくりすると30、40分タイムスリップしてしまう会社員」が主人公のコメディです。

プロレスとソロ活が大好きな主人公の星野可子(葵うたの)は、とある事件をきっかけにビックリすると少しだけタイムスリップしてしまうという体質になってしまう。そのためなるべく他人と関わらないようにしていたが、ふとしたきっかけで恋の始まりが訪れるのであった。しかし、おっちょこちょいな山本千鶴(高鶴桃羽)に驚かされ、意図せず時間が巻き戻り、そのチャンスもなかったことになってしまう。だが特に良くなかった可子と千鶴の仲は次第に近づいていくのだった。可子の能力を知った千鶴はギャンブルでお金を稼ごうと提案し、成功するものの、時空を調査する公務員の安野時夫(立川志の太郎)や、タイムマシンの実験が失敗して2人に増えてしまった発明家の井手泰人(木ノ本嶺浩)に追われ、タイムスリップすることにより世界が崩壊する可能性を指摘される。悩んだ可子は自分の体質を治そうと奔走するが...。

タイムマシンガール - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

「ビックリすると少しだけ」という設定が本当に良い。自分の意思ではどうにもできないし、まったく便利じゃない。キャッチコピーの「タイムスリップマジしんどい」のとおりなわけです。そこにおっちょこちょいだけれど、妙に憎めない後輩・千鶴が加わることで、何気ないシーンでも「ひょっとしたらタイムスリップしてしまうのでは……」というドキドキ感が生まれている。この「びっくりするとタイムスリップ」×「おっちょこちょい」というかけ算の答えが想像以上によくできています。

そしてもう一つ、この映画は現実に翻弄されるやるせなさを描きながらも、同時にそれでもその現実を楽しめるという超前向きなメッセージも感じられます。なんでそんなこと思ったのか。やや遠回りですが、そもそもタイムスリップってなんのためにあるのか?を踏まえて説明したいです。

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ちょうど最近、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』というゲームをはじめました。子どものころクリアできなかったゲームにリベンジというわけなのだけれど、実はこれもタイムループもの。三日後に月が落ちる世界で、三日間を繰り返しながら世界を救うという物語です。

思えば、タイムスリップやタイムループなどの時間移動ものは、フィクションでよく使われ続けたテーマでもあります。個人的にパッと思いつくものだと『君の名は。』(2016)、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)、『STEINS;GATE』(アニメは2011)、それに細田版の『時をかける少女』(2006)……。アニメばっかだな。海外の作品だと『LOOPER/ルーパー』(2012)がすごく好きですね。どうしてこうも時を移動するのか?

簡単に思いつく理由としては、時間=運命という図式によるもの。つまり過去に移動することで、未来=この世界の運命を変えよう!というパターンです。『君の名は。』はまさにそんな話だったと思いますが、もっとわかりやすいのが『ドラえもん』の導入。未来からドラえもんがのび太に干渉することによって、セワシたちが苦労している状況を変えたいというところから話ははじまります。バッドエンド(=ジャイ子)を回避して、ハッピーエンド(=しずかちゃん)にたどり着け! 改めて書くとすごい話だ。

「ムジュラの仮面」のようなタイムループものも基本的にはこの「時間をさかのぼって運命を変える」という図式の応用編みたいなものかなと思います。月が落ちるからリンクは何回も三日前に戻るし、まどかを救うために暁美ほむらは何度も時間を巻き戻す。

物語の主人公たちは、時間を行き来しながら、というか行き来すること自体をもって、不可逆的と思われた運命に立ち向かう。しかし、実は時間移動にはもう一つのパターンがあります。それは時間=運命としながらも、その運命を受け入れるというもの。

その典型が昨年ヒットした『侍タイムスリッパー』(2024)です。この映画では会津藩士・高坂新左衛門が現代にタイムスリップしてしまう物語です。現代日本では高坂は時代劇の「斬られ役」として生計を立てながら、複雑な事実に直面します。幕府や打倒されたこと。しかし結果として日本は豊かな国になったこと。しかし――しかし豊かになる過程で、会津の人々には過酷な処遇が待ち受けていたこと。高坂は苦悩しますが、この運命を変えることは不可能です。高坂はそれらがすべて終わった未来に来てしまったのだから。畢竟、彼ができることは「いかにしてつらく、複雑な事実を受け入れるか」ということしかなく、そのために戦うことだけです。

当然ですが、「運命を変える時間移動」は未来から現在、現在から過去というようにさかのぼるかたちになり、「運命を受け入れる時間移動」は過去から現在というかたちをとります。しかしここである疑問にぶち当たります。過去から現在への時間移動。これは本当に"タイムスリップ"なのだろうか? だって、私たちは常に「過去から現在へ」移動し続けているじゃないか――。

たとえば『グッバイ、レーニン!』(2004)という映画がありますが、これは昏睡状態のあいだに東ドイツがなくなりドイツが統一されていた……というシチュエーションです。これはいわゆるタイムスリップではなく、理屈としては現実にも起こりえます(敗戦後もジャングルに潜み続けた旧日本兵がいますよね?)。現実とは常に「目が覚めたら、世界が一変していた」という性質のものです。その意味では、「運命を変える時間移動」がドラマチックな物語になるのに比べて、「運命を受け入れる時間移動」はより一層現実のデフォルメとして感じられるものなのかもしれません。

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前置き(?)が長くなりましたが、『タイムマシンガール』はどうか? 可子たちは現在から過去へ移動します。その意味では「運命を変える時間移動」になりそう……なのですが! ならない! それがこの映画のみそのひとつです。

正確には可子の運命は変わっているかもしれないけれど、それは可子の意思ではありません。冒頭のシーンが象徴的です。職場の先輩と良い感じになったところを、千鶴のせいで手前の時点でタイムスリップしてしまい、しかも「職場の先輩と良い感じになる」というイベントも発生しなくなってしまう。謂わば運命を"変えられてしまった"のです。時間を移動できるのに、結局私の思い通りにはならない――。あれ、これって現実では? つまり『タイムマシンガール』の時間移動は過去に戻って現実を変える方向でありながら、現実のデフォルメ、「運命を受け入れる時間移動」の物語になっているのです。

だけれど、『タイムマシンガール』には重苦しさはなく、どこまでも軽やかで、笑いにあふれています。私たちは現実を大きくは変えられない。だからといって単に無力でもないし、楽しみがないわけではない。一応、タイムスリップの能力によって世界が崩壊するかもしれないという話が出てくるものの、実際にそのほころびが映画内で描写されることはありません。どこまでも可子と千鶴の周辺で話は完結していて、喜びも悲しみも彼女たちの日常の延長です。運命に翻弄されながらも、結果として直面するさまざまな小さな現実を前向きに受け止める姿勢をこの映画から感じました。千鶴は可子の未来を一つぽしゃらせてしまったかもしれないけれど、一方で千鶴との出会い自体が可子にとってはまた新たな「面白い現実」でもあるわけです。映画を通じて、可子は千鶴とつるんで、よく笑うようになります。可子にとっては、結構な"お邪魔虫"だったはずの千鶴と。

映画が終わって夜の池袋に出ると、つまらない現実が待っていました。ニュースはきな臭い話ばかりだし、仕事はうまくいかないし。だけれどこの数日は明るい気分になっている。最近目覚めが悪かったのが、割とすっきり目も覚めました。これはマジです。繰り返しと不条理ばかりの日常は続くけれど、可子のように、千鶴のように、粛々とかつウキウキと毎日を生きていきたいですね!

「タイムスリップのせいで世界が崩壊したらどうする?」
「そのときは、世界の終わりを一緒に見ましょう!」

『タイムマシンガール』より